↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

「パパとけっこんする!」を真に受けた勇者、世界中の【婚姻法】を改正しにかかる

作者: あゆと
掲載日:2026/08/23

「パパとけっこんする!」


四歳の娘ミアがそう宣言した瞬間、世界最強の勇者アレクシスは動きを止めた。寝台の上で絵本を抱えたミアは、父親が固まったことなど気にも留めず、「パパだいすき! ずーっといっしょ!」と満面の笑みを浮かべている。


「……ミア。本当に、パパと結婚したいのですか?」と念のため確認すると、ミアは迷いなく「うん! パパとけっこんする!」と頷いた。アレクシスは笑わず、娘の小さな手を両手で包んだ。


きっかけは、寝る前に読んでいた絵本だった。王子と姫が結婚する場面を見たミアが「パパ、けっこんってなあに?」と尋ねたので、アレクシスは四歳児にも分かるよう、「大好きな人と、これからもずっと一緒にいようと約束することです」と説明したのである。


アレクシスは冗談をほとんど言わない男だった。そして、人が口にした言葉を勝手に軽く扱うことも嫌っていた。ましてや、それが愛する一人娘が初めて口にした将来の夢なら、なおさらだった。


「分かりました。ミアが自分でそう決めたのでしたら、パパも真剣に考えます。できる方法があるのか、きちんと調べてみましょう」

「うん!」


その家には、「そこまで真剣に考えなくていい」と止めてくれる大人がいなかった。アレクシスは妻がおらず、四歳のミアを一人で育てる父親だった。食事も、保育園への送り迎えも、風呂も、寝かしつけも、全部一人でやっている。


そして何より、この男は真面目だった。世界を救う時も、父親をする時も、呆れるほど真面目一徹だった。


翌朝、アレクシスはいつも通りミアを保育園へ送り届けると、その足で王宮へ向かった。


◇


「陛下。娘との婚姻について、ご相談がございます」


国王ロベルトは、笑顔のまま固まった。向かいに座るアレクシスはいつも通り背筋を伸ばし、膝の上には小さな手帳まで用意している。


冗談ではない。この男が国王の執務室まで来て冗談を言ったことなど、十年来の付き合いでも一度としてなかった。


「……婚姻、と申されますと?」


アレクシスは真剣に頷いた。


「昨夜、四歳の娘から結婚したいと言われました。現行法では直系親族同士の婚姻が認められていないことまでは確認しておりますので、何らかの例外規定を設けることが可能か、ご相談に参りました」


ロベルトは微笑みを保った。


(……待て。笑うな。絶対に笑うな! この男は本気だ)


怒るとは思っていない。アレクシスはそんな男ではない。だが、笑われたと感じれば「不適切な相談でしたか。申し訳ありません」と真顔で引き下がり、次から自分一人で解決しようとする可能性がある。


それは困る。ものすごく困る。


「承知しました。まずは、詳しい事情をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」

「ありがとうございます」


アレクシスは昨夜の出来事を最初から説明した。絵本を読み、結婚について教えたところ、ミアが「パパとけっこんする!」と宣言したのだという。そこまでは、どこにでもある微笑ましい父娘の話だった。


問題は、その父親が翌朝には国家法の改正を相談しに来たことだけである。


「娘が初めて、自分から将来について口にした言葉です。父親として、最初から『できない』と切り捨てるのではなく、可能な方法があるかだけでも調べておきたいと思いまして」


(真面目すぎる……!)


ロベルトは額に浮かびそうになった汗を堪えた。


目の前にいる男は、単なる勇者ではない。魔王軍十万を一人で突破し、城塞都市を焼き払う古竜を一刀で斬り、最後には魔王本人を討ち取った。


五大国の全軍、聖教会の聖騎士、エルフの精霊騎士、ドワーフの重装兵。そのすべてを集めても、アレクシスには勝てない。


その気になれば、一人で世界を終わらせられる。


幸い、その男は誰よりも善良だった。王位も領土も求めず、莫大な褒賞金の大半を戦災復興へ寄付し、自らの力を理由に誰かへ要求を押しつけたこともない。


だからこそ、世界中の為政者は彼を慎重に扱っていた。


世界を滅ぼせる男に対して、「あの方なら怒らないから大丈夫」などという接し方をするほど愚かな王はいない。人格を信頼することと、その人格に甘えることは別だった。


ロベルトは慎重に言葉を選んだ。


「現行法では、直系親族同士の婚姻を認めていない理由が複数ございます。従いまして、例外を設けるとしても……極めて慎重な検討が必要になるかと存じます」


「慎重な検討が必要、ということは、制度上まったく不可能というわけではないのでしょうか」


(そこを拾うのか!?)


ロベルトの心臓が跳ねた。可能だとは一言も言っていないが、今ここで「絶対に無理です」と断ち切るのも怖い。


(否定して立ち上がられたら、その次は何だ? 他国か……? いや、まだ考えるな。まず手元に置け!)


「現時点で可能とは申し上げられません。まずは法務官にも確認し、制度上どのような整理になるのかを調べる必要がございます」

「承知しました」


アレクシスは手帳へ、《直系親族婚姻。制度上の整理について法務官へ確認》と書き込んだ。


(正式案件になった……)


ロベルトは一度だけ目を閉じ、別方向から攻めることにした。


「アレクシス。ちなみに、幼いお子様が父親へ『結婚したい』と仰ること自体は、それほど珍しいことではございません。余にも娘が三人おりますが、三人とも幼い頃には似たようなことを言ってくれました」


アレクシスは驚いたように目を見開いた。


「三人ともですか。それで、その後ご結婚は?」


(するわけないだろう!!)


喉まで出かかった言葉を飲み込み、ロベルトは笑顔を維持した。


「……いたしませんでした」

「そうでしたか。娘御たちは、途中でお気持ちを変えられたのですね」


(そうだ! そこだ! そのまま進め!)


「子供の気持ちは、成長とともに変わるものです。幼い頃の『結婚する』という言葉も、大人が考える婚姻とは少し違う意味で使われる場合がございます」


アレクシスはしばらく考え、やがて深く頷いた。


「なるほど。つまり、ミア本人の意思については、成長に合わせて継続的に確認する必要があるのですね」


(そっちへ行ったか!?)


ロベルトの笑顔がわずかに引きつった。


「……そのように考えていただいても、差し支えはございません」


アレクシスはさらに手帳へ、《ミア本人の意思は成長に合わせ継続確認》と書き込んだ。


(どうして全部、議事管理みたいになるんだ……!)


その後もロベルトは何とか説明を続け、最終的には「現行法を直ちに改正するのは難しい」というところまで話を着地させた。アレクシスは不満そうな顔一つせず、深く頭を下げる。


「承知いたしました。私事でお時間を取らせてしまい、申し訳ございません。もちろん、私の事情で法律を曲げていただこうとは考えておりません」

「いえ、とんでもございません」


ロベルトは即座に否定した。


(謝るな! そのまま「国へ迷惑をかけた」に行くなよ……!)


アレクシスは少し考え、続けた。


「こちらで難しいようでしたら、他国の婚姻制度についても調べてみようと思います」


(来た!!)


ロベルトの血の気が引いた。それでも表情だけは動かさず、「……他国、でございますか」と静かに確認する。


「はい。もし異なる制度を採用している国がございましたら、ミアが成人した後、そちらへ移住する方法もあるかと思いまして」


(待て待て待て!! 移住!? 駄目だ、それは駄目だ! アレクシスが隣国へ住む、それだけで軍事均衡が壊れる。各国が誘致する、勇者争奪戦になる……本人が嫌気を差して「ではどこにも属しません」なんて言い出したらもっと最悪だ! 古竜が出たら誰が頼みに行く!? 魔王級が出たら誰が止める!? 止めろ! でも命令するな、絶対にだ! 柔らかく……時間を稼げ!)


ロベルトは内心の絶叫を一切顔に出さず、穏やかに微笑んだ。


「その件につきましては、少々お時間をいただけないでしょうか。他国の制度が関係するとなれば、外交上の確認も必要です。余の方でも、各国へ問い合わせてみましょう」


「そこまでしていただけるのですか?」

「もちろんです」


(そうだ、そのまま動くな……!)


アレクシスは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。では、本日はこれで失礼いたします。ミアを迎えに行く時間ですので」


ロベルトは最後まで穏やかな笑顔で見送った。扉が閉じ、足音が廊下の向こうへ消えてからも、念のためさらに十秒待つ。


「世界会議を招集しろ!!」


飛び込んできた宰相へ、ロベルトは三十分間耐え続けた汗を袖で拭いながら叫んだ。


「勇者アレクシスが、四歳の娘と結婚するために国外移住を検討している!」


宰相はしばらく黙った。


「……陛下。医務官をお呼びいたしましょうか?」

「余は正気だ!!」


◇


三日後、五大国の国王と女王、聖教会の教皇、エルフ王国代表、ドワーフ連邦大使、魔術師協会長、大陸同盟代表が王都へ集まった。これほどの顔ぶれが同じ円卓についたのは、魔王討伐以来である。


正式議題は、《勇者アレクシスに関する国際的婚姻法制上の調整について》。


ロベルトが事情を説明し終えると、隣国の女王は額を押さえた。


「つまり、四歳の御息女が『パパと結婚する』と仰った。勇者殿はそれを将来の意思表示として受け止め、難しいなら制度の違う国への移住まで検討している。間違いありませんね?」

「一字一句その通りだ」


女王は天井を見上げた。


「……帰りたいわ」

「余だって帰りたい」


アレクシス本人がいない。その一点だけで、会議室の空気は普段とはまるで違っていた。


教皇は机を叩き、「親子婚など認められるはずがない! 教義以前の問題だ!」と怒鳴った。エルフ代表も自国では当然禁止だと断言し、ドワーフ大使は「四歳児の一言で五大国と三種族が集められたのか」と呆れ返っている。


ロベルトは全員の発言を聞き終え、静かに尋ねた。


「余も完全に同意見だ。では、誰が勇者本人にそう説明する?」


誰も目を合わせなくなった。先ほど机を叩いていた教皇は静かに手を引き、女王は水へ手を伸ばし、エルフ代表は急に書類の端を揃え始める。


教皇が咳払いした。


「いや……勇者殿は人格者だ。婚姻を認められない程度で怒り出すとは思えん」

「余もそう思う。十年付き合っているからな。あいつがこの程度で暴れるとは、一欠片も思っていない」

「では問題ないではないか」


ロベルトは円卓へ両手を置いた。


「世界を滅ぼせる男に対して、『たぶん怒らないから大丈夫だ』という前提で接する馬鹿がどこにいる?」


会議室が静まり返った。


「我々はアレクシスの人格を信頼している。あいつが善人であることも、力を悪用しないことも知っている。だからこそ、その信頼に甘えるなと言っているんだ。気分一つで世界を終わらせられる男の良識を、こちらから試す必要がどこにある」


女王が静かに扇子を閉じた。ロベルトはそこで一度言葉を切り、全員を見回す。


「それに、一番怖いのは怒らせることではない。アレクシスなら、『皆様にご迷惑をおかけしているようですので、今後は公的な依頼から距離を置きます』と、本気で善意から身を引く。その翌日に古竜が現れたら誰が倒す。魔王級が出たら誰が行く?」


誰も答えなかった。


ドワーフ大使が腕を組んだ。


「つまり、勇者殿は何一つ脅していない。我々の側が、あの方の善意に依存しすぎているわけか」

「そういうことだ」

「善良な世界終末装置か。扱いづらいにも程があるな」


ロベルトは即座に大使を睨んだ。


「今の言葉、本人の前では絶対に言うな」

「言われなくても言わん! 命が惜しいわ!」


女王はため息を吐いた。


「ですが結局、誰かが『四歳児の結婚宣言は一般的な婚約とは違う』と説明するしかないでしょう。ロベルト王、あなたはもう説明されたのですよね?」


「した。『子供の気持ちは成長とともに変わるものだ』とな。そしたらあいつ、真顔で《ミア本人の意思は成長に合わせ継続確認》と手帳へ書きやがった」


女王は目を閉じた。


「……全然伝わっていないわね」

「だからお前たちを呼んだんだ!」


教皇が法的婚姻とは別に親子で交わす《家族の誓い》を作る案を出したが、「勇者殿ほど真面目な方を言葉遊びで誤魔化すつもり?」と女王に一蹴された。エルフ代表の「成人まで十四年間、結論を保留する」という案も、「あいつは十四年後に本当に再検討するぞ」の一言で撤回された。


やがて「では御息女本人に説明しては?」という案が出た。一瞬だけ全員の表情が明るくなったが、「どなたが御息女へお伝えになりますか?」と問われると、再び沈黙が落ちる。


「今度は四歳児にまで気を遣うのか」とロベルトが呆れると、教皇は真顔で頷いた。


「もし泣かせたら、勇者殿が悲しまれる」

「怒りはせんぞ」

「分かっておる。だが、世界を滅ぼせる男に今後会うたび、『私はこの方の娘を泣かせた』と思いながら話すのは嫌だ」


ロベルトは額を押さえた。


「結局そこに戻るのか……」


その時、扉が開いた。


「失礼いたします」


全員が固まった。アレクシスが立っている。つい数秒前まで好き放題言っていた世界最高権力者たちが、一斉に姿勢を正した。


(来た……! 全員、顔を作れ! 教皇、お前さっき机を叩いてただろ!? 女王も「帰りたい」とか言ってたな、忘れろ! 絶対に迷惑そうな顔をするなよ!?)


教皇は満面の笑みで立ち上がった。


「勇者殿。本日はお越しいただき、ありがとうございます」


女王も何事もなかったように微笑む。


「どうぞ、お掛けくださいませ。ちょうど各国で建設的な意見交換を行っていたところです」


アレクシスは深く頭を下げた。


「私事のために、これほど多くの皆様のお時間を頂戴してしまい、申し訳ございません」


(違う違う違う!! そう受け取るな!)


ロベルトより先に、女王が即座に口を開いた。


「とんでもございません。勇者殿と御息女の将来に関わる重要な案件として、我が国も真摯に受け止めております」


笑顔は完璧だった。


(四歳児の「パパとけっこんする」ですけれど!?)


アレクシスは感謝したように頭を下げる。


「ありがとうございます。どうか遠慮なさらず、率直なご意見をお聞かせください」


(率直に言えるか!!)


女王は「御息女のお気持ちを最大限尊重しつつ、現行制度との整合を慎重に整理する必要がございます」と述べ、教皇も「教義上の婚姻概念について幅広い観点から検討してまいります」と続けた。


(お前、さっき「教義以前の問題だ!」って机叩いてただろう!?)


ロベルトは教皇を横目で見たが、もちろん口には出さない。


すべての発言を真剣に手帳へ書き終えたアレクシスが、顔を上げた。


「つまり、現時点では難しいものの、可能性そのものが否定されたわけではない、という理解でよろしいでしょうか」


全員の呼吸が止まった。


(違う! ほぼない! でもここで切ったら他国へ行く……駄目だ、時間を稼げ! 四歳だぞ、気が変わる! 絶対変わる! 頼むから変わってくれ!!)


ロベルトはゆっくり口を開いた。


「……関係各国とも連携しながら、検討を加速してまいります」


「ありがとうございます」


アレクシスが深く頭を下げる。首脳たちも笑顔で頷いたが、その内心だけは見事に一致していた。


(誰でもいい! 早く四歳児の気を変えてくれ!!)


◇


そして世界は、本当に検討を加速させてしまった。


《勇者婚姻問題特別検討委員会》が設置され、五大国の法務官が連日会議を開いた。聖教会は千年前の教典を読み返し、エルフは古法を掘り起こし、ドワーフは氏族制度の例外規定を洗い出した。


三日目の朝、宰相が死んだ目で書類を読み上げる。


「《直系血族婚姻特例法》第三次草案、《家族的誓約制度案》、《勇者特別婚姻区域構想》、それから魔術師協会より《親族関係解除術式・試作報告》が届いております」


「何だそれは」

「親族関係そのものを魔術的に解除できないかという研究です」

「なぜ三日でそこまで進んでいる」

「陛下が『検討を加速する』と仰いましたので」


ロベルトは書類の山を見つめた。


「……加速しすぎだ。魔王がいた頃の方が、会議の議題はまともだったぞ」


その隣では、当事者のアレクシスだけが相変わらず真剣に資料を読んでいた。法務官へ質問し、教会の見解を確認し、十四年後まで想定して手帳へ書き込んでいる。


(こいつ、本当に十四年待つつもりだ……!)


その時、廊下から幼い声が響いた。


「パパー!」


扉が開き、保育園の先生に手を引かれたミアが入ってきた。迎えの時間を過ぎてもアレクシスが来ないため、王宮まで連れてきたらしい。


「パパ、おむかえおそい!」


アレクシスはすぐに娘の前へしゃがんだ。


「申し訳ありません、ミア。少し会議が長引いてしまいました」

「なにしてたの?」

「ミアとの結婚について、皆様に相談していたのです」


(本人に言うのか!? ……いや、もういい! 直接聞け! 頼むミアちゃん、何でもいい! 四歳児らしいことを言ってくれ!!)


ミアは首を傾げた。


「けっこん?」

「はい。ミアが、パパと結婚すると言ってくれた件です」


ミアは数秒考えた。


「パパとはしない! レオくんとするの!」


会議室の空気が止まった。


アレクシスもわずかに目を見開く。


「……レオ君、ですか」


(来た!!)


アレクシスは娘へ穏やかに尋ねた。


「レオ君というのは、保育園のお友達ですか?」

「うん! ほいくえん!」

「おいくつですか?」

「よんさい!」


アレクシスは少し考えた。


「そうですか。では、ご家族は――」


ロベルトが即座に割って入った。


「勇者殿。まだお二人とも四歳でございますので、ご家族へのご挨拶などは、もう少し先でもよろしいのではないでしょうか」


「そうでしょうか。父親として、一度ご挨拶をしておくべきかと思ったのですが」


(駄目だ!! 行くな! お前の「娘がお世話になっています」は、向こうからすれば世界を滅ぼせる男の家庭訪問だぞ!? 父親は謝る、母親は青ざめる、下手すりゃ一家で引っ越す! ミアが泣く! お前も悲しむ! 全員不幸だ!!)


ロベルトは笑顔のまま答えた。


「お気持ちはよく分かります。ただ、今はお子様同士を静かに見守られるのがよろしいかと存じます」

「なるほど」


アレクシスは素直に頷いた。


その時、ミアが父親の袖を引く。


「パパ、きのうはパンやさん!」

「昨日は……パン屋さん?」

「うん! クッキーくれたの!」


会議室中の目がアレクシスへ集まった。さすがの彼も何かに気づき始めたらしく、少し考えてから娘へ尋ねる。


「では、その前は誰と結婚したかったのですか?」

「ドラゴン! がおーってして、かっこいいの!」


長い沈黙が落ちた。


レオ君。パン屋。ドラゴン。そして自分。


アレクシスはしばらく考えたあと、極めて真剣な顔でロベルトへ向き直った。


「陛下。つまり、ミアは昨夜の時点ですでに、私との婚約を解消していたということでしょうか」


(違う!! そこじゃない!! ……いや待て、あと一歩だ! 頼む、その真面目な頭であと一段だけ下りてこい!)


ロベルトは最大限穏やかに答えた。


「勇者殿。恐らくではございますが……そもそも婚約という性質のものではなかったのではないでしょうか」


アレクシスが黙る。


「四歳のお子様が仰る『結婚する』は、大人が考える婚姻よりも、『今、一番好き』『ずっと一緒にいたい』というお気持ちに近いことがございます。御息女にとっては、その時その時の『大好き』を表す言葉なのではないかと」


アレクシスはミアへ向き直った。


「ミア。パパのことは好きですか?」

「だいすき!」

「レオ君は?」

「だいすき!」

「パン屋さんは?」

「クッキーくれるからすき!」

「ドラゴンは?」

「かっこいい!」


アレクシスは黙った。その視線が、ゆっくり円卓の書類へ向かう。《直系血族婚姻特例法》《家族的誓約制度案》《勇者特別婚姻区域構想》《親族関係解除術式・試作報告》が積み上がっていた。


「……陛下。もしかすると、婚姻法を改正する必要はなかったのでしょうか」

「その可能性は……かなり高いかと存じます」


(最初から一ミリも必要なかった!! ……でも今は言うな。そのまま終われ!)


アレクシスはさらに書類の山を見た。


「では、世界会議も……」

「結果といたしまして、各国間の意思疎通を深める、大変有意義な機会となりました」


(完全に必要なかった!!)


教皇も穏やかな笑顔で頷いた。


「勇者殿。御息女のお言葉を真剣に受け止められたお気持ちは、父親として立派なものです。ただ、今後同様のことがございましたら、法制度を調べる前に数日ほど様子をご覧になるのもよろしいかもしれません」


(頼む……! 次は三日、いや一週間待ってくれ! もう千年前の教典は読みたくない!)


アレクシスは深く頭を下げた。


「皆様には多大なお手数をおかけいたしました。申し訳ございません」


各国首脳は一斉に笑顔を作り、「とんでもございません」「お気になさらず」と返した。


その時、魔術師協会長が一枚の紙をそっと隠した。ロベルトは見逃さず、「協会長。その資料は?」と穏やかに尋ねる。


「その……《親族関係解除術式・試作報告》でございます」

「そこまで研究してくださったのですか?」

「はい。検討を加速した結果でございます」


ロベルトは笑顔で頷いた。


「……大変、熱心なご検討でしたね」


(誰が親子関係を魔法で解除しろと言った!?)


ミアはそんな大人たちの苦労など何一つ知らず、父親の服を引っ張った。


「パパ、かえろ!」


その一言で、人類最強の勇者の表情が父親へ戻った。


「はい。帰りましょう。今日はシチューにいたしますか?」

「する!」


アレクシスは娘を抱き上げ、各国首脳へ深く頭を下げた。


「皆様、本当にありがとうございました」


勇者親子が扉へ向かう途中、ミアが父親の頬へ抱きついた。


「パパ! やっぱりパパとけっこんする!」


アレクシスの足が止まった。世界各国の首脳たちも、一斉に息を止める。


(頼む……! 今度こそ真に受けるな!!)


アレクシスは数秒黙ったあと、ミアを抱いたまま微笑んだ。


「ありがとうございます、ミア。パパはとても嬉しいです。ただ、結婚のことは、大きくなってからもう一度考えましょう」

「うん!」


会議室中から、声にならない安堵が漏れた。


ロベルトがようやく肩の力を抜いた、その時だった。


ミアが何か思いついたように、ぱっと顔を輝かせた。


「じゃあね、ミアね、パパとレオくんとドラゴン、みーんなとけっこんする!」


アレクシスが足を止めた。


五大国の王が固まった。教皇が目を閉じた。魔術師協会長の手から《親族関係解除術式・試作報告》が滑り落ちた。


アレクシスはしばらく考えたあと、ゆっくりとロベルトを振り返った。


「陛下。重婚と異種族婚について、一点確認してもよろしいでしょうか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
勇者、世界を敵に(笑)
滅茶苦茶面白かったけど、この世界の為政者にはなりたくねえなぁ……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。