人間特別国宝
玉造剛毅はなんとなく気が向いて、自分のクローンたちを順番に眺めていった。
少年時代の自分が、何かを熱心に読んでいる。
そうだ、幼年時代のエピソードによれば、彼はその頃から漢字に魅せられ、漢和辞典が愛読書だったはずだ。しかし、よくよく見ると、分厚い辞典の間に小さな本が挟まっているのが分かる。本当は漢和辞典より漫画の方が好きだった。漫画を買ってもらえるという理由から、漢字の勉強に精を出し、漢字検定の最年少記録を次々に破っていった少年時代を思い出した。
人間特別国宝として、この世界で最も完璧に漢字を読み書きし、新たな漢字を創造し、その書は広く漢字を使う国々を超えて受け入れられている。二十一世紀の王羲之とも呼ばれる玉造剛毅だった。少年の頃の自分は漢字でキャリアを築くなんて思っても見なかったと、子供の自分を見ながら感慨深く思う。
二十一世紀の中頃、アメリカのある俳優が自分のクローンを創ったのが始まりだった。
当の俳優は、老齢が進み、眉目秀麗でならした自分の容貌が失われるのを嘆き恐れ、自分の若い影武者を創るつもりだったらしい。しかし、秘密裏に進めていた計画はあっさり露見した。老齢を嘆き恐れる小心さの一方で、長年、人々からの賞賛を受け続けて肥大した自己顕示欲によって、身内のパーティーでクローンを見せびらかしたいという誘惑に耐えられなかった。
俳優とクローンが並んで立つ写真がネットに流出した。
人間のクローンは技術的には十分可能になっていたが、表の世界では存在しないはずの技術があっさりと公開されてしまった。それに加えて、悪のりで二人がそろって出演した映画が大ヒットして、やり方によっては非常に商業的な価値があることが証明された。人間のクローンを創ることに関する倫理とか道徳とか、メビウスの輪のように表と裏がどこまでも続く議論が何となくスルーされてしまった。あっという間に、俳優が自分のクローンを創ることが普通になっていた。
それに続いたのは歌手やタレントたちだった。何やら面白そうだと競ってクローンを創り、分業するやら、世襲するやら、グループを作るやら、カオスの世界を繰り広げた。
さらに参入したのが、自分こそ世界のセレブだと任じる人たちだった。始めは一人だったのが、誰かが二人創ると、今度は三人と、数を争うようになっていった。最後には、世界同時多発的にクローンのセレブたちが闊歩し、どれがオリジナルで、どれがクローンか分からなくなった。
本物を確定するための裁判が世界で勃発したが、天上天下唯我独尊、俺が一番という人間ばかりで、元は同じ遺伝子を持った強者ばかり。ひたすら混沌、カオスが深まってゆくばかりだった。
裁判ではそれぞれがオリジナルを主張して、過去の恋愛経験、性癖、初体験など、個人的な暴露合戦となった。オリジナルの主張として法廷で自殺するセレブまで現れ、裁判所自体がこの手の認定を放棄した。
玉造剛毅は次の部屋も見てみた。
部屋には一心不乱といった様子で、漢字を書き続ける青年時代の自分がいた。
漢字を書き、書いたものを眺め、丸めると捨てる。それをただ繰り返す自分は、公式な記録にあるイメージ通りだとは思うが、あれほど思い詰めて漢字を書いてはいなかったと少し恥ずかしくなる。
あの頃は、漢字の意味、成り立ちを知るのがただ面白くて、中国の古い書物を漁り、象形文字のような漢字の原型を書き写し続けた。あの経験があるからこそ自分の漢字には形だけでない、魂魄を込めることが可能なのだ。漢字の形ばかりを追い求めている青年時代の自分には分からないことだと、自分でもある青年の未来を思うと少し可哀想になった。
さてと、ついでに隣の部屋も覗いてみた。
最後の部屋は、自分がただ座っていた。確かに、自分は終日座していることがあり、また一度捕われると、寝食を忘れて、自分が捕われている物の正体をとらえようとすることがあった。それは、天啓を待つようでもあり、自分の中で膨らんでゆく想念が熟し、概念に昇華するのを待っているようでもあった。そうして生まれた漢字が、世界中の人々に受け入れられ、今では、欧米でも玉造剛毅が創った漢字が使われるようになっている。
かつて、新しい発見や製品が彼の創る一字の漢字で表現されるとき、それは、人種や文化を超えた感銘を人々に与えた。しかし、その部屋の自分はそんな高尚な境地にあるのではなく、ただぼんやりとしているのに過ぎないと知っていた。自分と同じぐらいの年齢の自分は、既に耄碌し、ただただ一日を無為に過ごすことを佳しとしていた。そして、その姿が広く受け入れられているということは、自分も既に耄碌した老人であるということだろう。
ついに国レベルでのクローン規制は放棄され、責任はとらないが権威だけはあった国連に丸投げされた。そして、クローンを創るのに値する人間だけが、クローンを創ることを認められるという『国連クローン宣言』が出された。
この宣言に基づいて国際条約が結ばれた。そして、ようやく各国がクローンを創ることを許可制にするという、ひどく手間暇の掛かる堂々巡りが終わった。
ただし、許可の基準は国ごとにとてつもなく違っていて、国連宣言に意味があったのかはよく分からなかった。
アメリカは、プラグマティカルにクローンを創るのに莫大な税金を掛けた。理由は、その莫大な税金を払えることこそ、クローンを創るのに値する人間だとの証明になるからと。
ドイツでは、クローンを創るのに値する人間という議論を始めるにあたり、先ずは人間とは何かという議論で泥沼にはまりこんだ。いまだ制度を作るためのとば口にさえたどり着けていない。
フランスでは、人間は全てクローンを創るのに値するとして、許可制は有名無実化した。
中国では、単純に政府によってクローンを創るのに値する人間であるという認可を得られれば良いとした。しかし、認可を得るための手続きが不透明で、不公平な制度だとの非難が常態化している。
ロシアでは、クローンを創るのに値する人間に関して、深い人間洞察に基づく文学性高い定義が作られた。世界的な評価を得てノーベル文学賞候補ともいわれるほどだった。ただ残念なことに、未だに申請書を完成させることができた人間はいなかった。設問一つ一つが難しすぎて、内容に関する問い合わせがあるたびに、ロシアクローン許可最高委員会での議論が始まった。そして、いまだ問い合わせに答えられたことがなかった。
日本では、クローンを創るのに値する人間ということは特に議論にならず、国連が決めたのだからと『人間特別国宝』という制度が作られた。人間国宝に認定された人々から、さらに重要度が高いと認定された人々が、その重要度に基づきクローンの数を決めて創られるというものだった。許可制というより、国家事業として、本人の希望とはあまり関係なく粛々とクローンが創られることになった。
ある夜のことだった。
玉造剛毅は自分の書斎で座っていた。高尚なことを考えていたり、新しい漢字について沈思黙考したりしているわけではなかった。本当に、単に、ぼんやりとしていた。近頃はこんな風に座っていると数時間は過ぎていて、その間眠っていたわけでもないのに全く記憶がないことがあった。今日もそれに近かった。
襖が静かに開くと、自分がそっと部屋に入ってきた。部屋の隅にあった座布団を自分の前に置き、自分の前に自分が座った。夜だから白日夢ではないし、ドッペルゲンガーでもないようで、合理的な解釈は人間特別国宝として展示されている自分の一人がやってきたのだろうと思う。
「ちょっと良いかね」と、自分が自分に声を掛けてきた。
うなずくと、自分が話し始めようとしたが、自分のことは自分が一番よく分かっている。その夜は寒い晩だったので、何か気付けでもないとうまく話せないだろう。懐古趣味と書道家というイメージ戦略で使っている火鉢にのせた薬缶に、日本酒を入れたチロリをほうり込んだ。日本酒の匂いが部屋に広がり、手近にあった湯飲みに熱燗を注ぎ、自分と自分はしばらく酒を啜っていた。
「困った事になってね」と、ようやく自分が自分に話し始めた。
政府の方針が変わったというか、要は財政難で人間特別国宝の制度改革が議論されていたが、ついに縮小が決定したらしい。色々な議論の末に、『生きている』ことで特別な価値を生み出している人間だけを『人間特別国宝』とし、それ以外は『人間至宝』とか、『もの作りマイスター』とか、『現代の匠』などとして継承するとのことだ。
複製されたクローンはこの法改正に従い、人間特別国宝の任を解かれることになった。要はリストラで、突然の解雇で、失業だ。今まで人間特別国宝が仕事であるという意識は当事者をふくめて全くなく、当然、社会保険などに加入しているわけもないから失業手当などもない。さらに、人間特別国宝として仕事をしていたといえば聞こえは良いが、玉造剛毅の複製の場合、何となく彼の日常を模倣していただけで、特別なことをしていたわけではない。だいたい、当の本人が既に書道家としての意識はなく、書家であった自分を模倣しているという情けない状態に慣れ親しんできたのだから。
玉造剛毅の複製は五人で、下は十歳の子供から、本体と同じ六十五歳までいた。その中で三十五歳の玉造剛毅は才能を引き継いだというのも変だが、何とか書家としてやっていけそうだった。
二人とも黙ったまま、湯飲みで酒を飲んでいると、壮年の役を担う四十五歳の自分がやってきた。意外にも壮年の自分は少し晴れ晴れとした表情だった。
「ちょうど良いタイミングなので書道家をやめます」
壮年の自分は全く書道家としての才能は引き継いでいなかったが、妙に人当たりが良く、様々なイベントに引っ張りだこだった。玉造剛毅の名前を使った商売を手広くやっていて、なるほど、人間特別国宝なり、書道家を続ける必要はなさそうだった。また、壮年の自分を見ていると、書道家として成功したのは、書道の才能だけではなく、結構世渡りにたけていたからだと分かる。
しばらくすると、二十歳の自分がやってきた。やはり書道家をやめるという。
「書道家をしたかったわけではないが、嫌でたまらなかったわけでもなかったから、今回は良い機会です」
この後どうするのかと訊くと、グラフィックデザイナーになるという。いや、もうその仕事を時々やっていたので、それを本業にするという。自分は書道だけでなくそんな才能もあったのかと思う。
次に、十歳の自分がやってきた。もともとあまり子供らしい自分ではなかったが、今日の自分は一層子供っぽくなかった。十歳で人生の転機が来ているのだからもう少し焦るとか、戸惑うとか、何なら泣き出すとかの反応もありそうだが、あまり動揺している様子はない。淡々と今後十二年間の必要経費を示した。
「今まで勉強をしていないから、大学は私立でないと無理です」と、非常に現実的な見通しだった。
自分はまだ子供だから働けないからと財産分割を要求してきた。きっと予め貯金額を確認していたのだろう、銀行預金と同じ金額だったので判子とキャッシュカードを渡した。
「それでは」と、十歳の自分は堂々と去って行った。
あまりに可愛げない子供だったが、環境が人を育てるということかと勝手に納得する。
三十五歳の自分もやってくるのか思ったがやってこなかった。多分、三十五歳の自分は何も気にせず、本を読むか、拓本でも見ているのだろう。少し才を衒う気配がないでもないが、好んで書道家の道を進んでいるらしいので放っといて良いだろう。
「さて、どうしたもんかね」と、自分が自分に呟く。
六十五歳の自分とはもう長い付き合いで、結婚もせず、兄弟もなく、既に両親は亡くなっており、最後の肉親同士だと思う。昔は自分が自分らしくなって欲しいと、時間があれば自分の生い立ちなどを詳細に話し聞かせ、隠し事もせずに色々なことを話し、書道家として二人で研鑽してきたのだ。今ではどちらが書いたのかよく分からない書が世間に随分出回っており、特にどちらが書いたかを気にすることもなくなった。しかも、自分が怠惰に流れるにつれ、軌を一にするようにもう一人の自分も怠惰の中に埋没していった。
「飽きたな」と、自分が自分に呟く。
そうだ飽きたのだ。芸術家だって飽きるのだ。寿命も延びて、世間の移り変わりも激しく、書道に埋没していたとしても世界の変化は否応なく迫ってくる。
新しい漢字を創って世間にもてはやされた時期もあったが、それも他の追随者が可能性を掘り尽くし、今はただ一面の荒野が広がっている。音楽の創造が音階という限られた選択肢に呻吟するように、漢字だって限られた可能性しかないのだ。その上、AIなんて怪物がとんでもない馬力で可能性の荒野をさらに激しく荒廃させてゆく。
もう話すこともなくただ酒を飲み続け、深夜を回ったころ、自分と自分は同時に立ち上がった。二人はよろよろと廊下をたどり、玄関を過ぎて、家の前の道から駅前の方に向かったといわれているが、それから二人の消息はようとして知れない。
こんな話がある。
中国の書聖とたたえられた名人が酔った中で書いた書が、書道史上最高傑作だったという話が伝わっている。もちろんその書自体が存在するわけもないが。
「やはり自分にも書を書くときに、自分という枠を嵌めてきたことがよく分かる」
自分が酔ったときの書を越えられないことに、諦念を込めて、晩年語っていたらしい。
中国のインターネットに不思議な老人たちの話が現れるようになった。
中国の都会で葬式や結婚式、満月、還暦、古希、喜寿、米寿などの祝い事があると、二人の老人が紛れ込むことがあり、実に楽しそうに飲み、喰い、喋り、哄笑しているという。
彼らはいつの間にか現れ、いつの間にか去って行くのだが、二人が現れた証拠にその宴席に相応しい漢詩が残されているという。老人たちが書いたと思しき墨跡が非常な奇貨として評判になると、飛びきりのビリオネアの中に老人たちが紛れ込むことを期待して毎日宴席を設ける人まで現れているとの噂が広まった。
しかし、中国の都市は監視カメラにあふれ、ほぼ全ての人間の行動が当局に見張られているというのに、その老人たちの正体が全く不明とはどうしたことだろう。ある非常に高位の政府高官が、党主席との説もあるが、老人たちを宴席に呼ぼうと中国中の監視カメラを使って探したが、ついに二人を探すことは出来なかったという。それでも、毎日、毎日、どこそこに二人の老人が現れたとの消息はネットの中で増え続けていた。
人々は二人を神仙老爺とよび、神仙老爺の訪れた家は貧することがないという。
これがあの夜に消えた二人の消息と関係するのかどうか分からないが、そうかもしれない。




