サバゲーで有名配信者と出会った話
五月の湿った空気が、千葉の山中にあるサバゲーフィールドに停滞していた。
美穂はバリケードの影で、荒い呼吸を整える。ゴーグルの中はわずかに曇り、視界は悪い。相手チームのフラッグまであとわずかだが、行く手には濃いブッシュが広がっている。
……右に一人、潜んでるはず。
そう確信した瞬間、背後から音もなく現れた影が、彼女の肩を軽く叩いた。驚いて振り向こうとする美穂を、低い、驚くほど落ち着いた声が制する。
「動かないで。2時方向、倒木の陰にスナイパーがいます。」
心臓が跳ねたのは、銃口を突きつけられたからではない。その声の「響き」があまりに特別だったからだ。毎晩、寝る前の暗闇で、スマホのスピーカー越しに耳元を震わせていたあの低音。
「僕が左から出ます。10秒後に、正面のブッシュへ。……行けますか?」
短い指示。だが、その語尾の独特な余韻だけで、美穂の脳裏に「シン」というユーザー名が浮かぶ。動画配信チャンネルで圧倒的な登録者数を誇る、日本でも上位のゲーム配信者だ。鮮やかなテクニックと迷いのないプレイ。そして何より、鼓膜に響く、低くて艶のある声。一度聴いたら忘れないその声が、スピーカー越しではなく直接耳に響いてくる。
「了解。」
美穂は喉の奥を震わせるように短く答えた。
その声に慎二は一瞬、美穂の口元を見た。フェイスガードで隠れてはいるが、その声はどこかで聞いたことがある。彼の指先がわずかに止まる。だが、すぐに気持ちを切り替えて正面を見据えた。
「行きます。」
慎二が鋭く飛び出し、わざと派手な射撃音を立てて敵の注意を引く。美穂は泥に膝をつくのも構わず、最短距離でブッシュを駆け抜けた。重い次世代電動ガンの反動を肩で受け止め、迷いなく引き金を絞る。
「ヒット!」
敵の叫び声が森に響き渡り、終了のホーンが鳴った。
二人は同時に銃を下ろす。慎二がゴーグルを外すと、そこには声のイメージ通りの、少し目尻に皺の寄った大人の男の顔があった。
「いい連携でしたね、MIOさん?」
「……やっぱり、バレてました?」
差し出された手は、細く、だが力強い。美穂は自分の手が泥で汚れているのも忘れ、その手を取った。
美穂はMIOとしてSNSに歌ってみた動画をアップしていた。日頃のストレスの発散と副業にでもなればと始めたものだったが、今ではそこそこの再生回数を稼いでいる。
「…声に聞き覚えがあったので。」
慎二がそう言って、休憩エリアに足を進める。長身の彼の歩幅は大きくて美穂は慌てて後を追った。
「私も、貴方の声に聞き覚えがありまして…。」
「あぁ…まぁ、多分その答えで合ってますけど、ここでは言わないでもらえますか?…プライベートなので。」
目尻を下げてそういう慎二に美穂は思わず胸を押さえて、小さく頷いた。声だけじゃなくて、顔もいいとか反則だ。
美穂は熱くなる頬を押さえて、休憩スペースへと足を進めた。
配信に疲れた慎二は、気分転換にいつもと違う駅に降りた。そこからあてもなく歩いて、目についた小さなカフェに入る。静かなピアノの音が満ちた空間は客もまばらで、店内に置かれた観葉植物の緑がPC画面に疲れた目を癒していく。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ。」
男性の店員に、言われるがまま適当に窓辺の席に座る。日差しは強くなく、少し空いている窓からの風が気持ちいい。
「ご注文がお決まりでしたら、お伺いいたします。」
すぐ近くで聞こえた声に思わず顔を上げる。
そこにはあの日、サバゲーで自分を助けてくれた美穂がいた。彼女は驚いたように目を見開いているが、きっと自分もそうだろう。慎二は不自然に空いた間を誤魔化すように挨拶した。
「まさか、こんなところで会うなんて思ってなかったです。」
「はい、私も…びっくりしました。」
美穂はそう言って、水の入ったグラスを置いた。白いシャツから覗く細い首には、小さな薬莢の飾りがついたネックレスが揺れ、美しく浮いた鎖骨には印象的な黒子。
いつも、彼が作業用BGMとして聴いている「首から下の歌い手」の動画で見る身体的特徴と一緒だった。彼女だと改めて確信する。そして何よりこの声が慎二の胸に引っかかっていた。
「コーヒー、ホットでお願いします。」
「かしこまりました。」
特に会話もなく、注文を取ると美穂はカウンターへ消えていった。その後ろ姿をしばらく見送っていた慎二はハッとして視線を窓の外に向ける。
45にもなって何してんだ。
久しく感じていなかった、胸の高鳴りと高揚感を嗜めるように自身に言い聞かせる。色恋のような感情はもうとっくの昔に忘れたはずなのに…。
慎二はコーヒーが届いてからも美穂と特に話すわけでなく、窓の外を見続けていた。
再び週末のフィールド。美穂は示し合わせたわけではないが、慎二との再会をどこかで期待していた。
自分の働くカフェに来てくれた時には息が止まるほど驚いた。会話は殆どしていないが、彼がいる間、何度も視線を向けてしまった自覚はある。そして、帰宅してからすぐに過去な配信を見直した。何度も見たはずなのに、その『声』を聞いただけで、彼の表情が浮かんでくる。
しかし、彼は人気配信者の「シン」だ。自分とは住む世界が違う。それに、年齢からしてもう家族がいるかもしれない。
そんなことをつらつら考えていた美穂は足元の段差と目の前のコンテナに気が付かず、盛大に足を引っ掛けた。
「ギャッ!」
女の声とは思えない、声が漏れる。そのまま、迫り来るコンテナ。次に来るだろう衝撃と痛みに身構えた時、グイッ!と強い力が美穂を引き寄せた。
「…ツッ!!」
次の瞬間、目の前にはコンテナの赤ではなく、濃紺が広がっていた。
「大丈夫ですか?」
そして、頭上から降ってきたのは『あの』声。
「!!?あ、す、すいません!」
美穂は弾かれたように慎二から離れた。
「いえ、怪我は…」
パパパッ!
慎二が声をかけようとしたその時、美穂の背中に弾が当たった。一瞬2人とも見つめあったまま言葉を失うが、美穂はハッとしたように右手を挙げた。
「ヒット!」
サバゲーでは打たれたらフィールドの決められたゾーンに移動しなければいけない。
「あの、車の後ろに2人います。…頑張ってください。」
ゴーグルと口元を覆ったスカーフ越しだったが、美穂が笑ったのを慎二はハッキリと感じた。そして、それはしっかりと慎二の胸に形を作る。
右手を上げたまま移動する、美穂の背中を見ながら、慎二は何かを決意したように愛機のAK74MNを握りしめた。
夕暮れが迫る駅のホーム。サバゲーバッグを足元に置き、二人は電車を待っていた。まさか、帰りも同じになるとは思っていなかった。
日常に戻るための、最後の境界線。
「……今夜、23時から配信をするつもりです。」
慎二が、いつもの「配信者の声」で、少しだけトーンを落として言った。
「久しぶりに、協力プレイのFPSをやろうと思って。……今日の挽回に。」
美穂は、子供のような言葉に思わず笑った。
「……野良と組むんですか?」
美穂が少し首を傾げて尋ねると、慎二は電車が滑り込んでくる風を受けながら、今日一番穏やかな顔で微笑んだ。
「いいえ。非公開のプライベートロビーを作ります」
慎二は、彼女の耳元にわずかに顔を寄せ、囁く。
「パスワードは、さっき俺たちが無線で使っていたチャンネル番号です。……もし気が向いたら、ログインしてくれますせんか?」
美穂が返事をする前に、電車のドアが開いた。
美穂は何も言えないまま吸い込まれるように車内へ入り、閉まりゆくドアの向こう側に立つ慎二を見つめる。
彼はもう、スマートフォンに視線を落としている。
さっきのは…幻聴?
そう思った時ポケットの中でスマホが短く震える。
通知画面には、慎二のチャンネルからの【今夜22:00〜 参加型!?戦友を待つ配信】の文字。
美穂は車窓に映る自分の口元を、指先でそっと隠した。ドアの向こうで慎二がスマホから顔を上げ、こちらを見ている。そして、緩やかに笑った。
電車がゆっくりと動き出す。彼はどんどん小さくなって見えなくなった。
今夜23時。その瞬間、自分が「MIO」として彼のロビーに現れるのか、それとも一人のリスナーとして声を聴くだけにするのか。
その絶妙な距離感を楽しみながら、彼女はイヤホンを耳に装着した。
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