第7話
春田は、現場に向かう途中からずっと胸がざわついていた。今日は「犯行の流れが複雑な事件」だと聞いたのだ。つまり――ドラマでよく見る“鑑識が事件の核心に迫る名シーン”ができるはずである。
「よし……今日は絶対に“核心に迫る鑑識”を決めるぞ」
春田は、ドラマで見た“現場を見渡して鋭い目をするポーズ”を練習していた。そこへ、黒江の低い声が落ちる。
「新人。今日も儀式か」
「い、いや、これは……その……」
「核心に迫る気満々の顔だな」
図星だった。
現場に入ると、部屋の中は荒れていた。家具が倒れ、窓が割れ、床には複数の痕跡が散らばっている。春田は目を輝かせた。
「先輩!これは……犯人はこの部屋で被害者と揉み合って、その後窓から逃げたんじゃ――」
「言わない」
黒江は即答した。
「えっ……いや、でもこの状況からすると……」
「状況だけで核心に迫れるなら、刑事はいらない」
春田はめげない。
「じゃあ、この倒れた棚の位置から“犯人は背が高い”とか……」
「言わない。棚は勝手に倒れる」
「じゃあ、この割れた窓から“犯人は外へ逃げた”とか……」
「断定するな。風でも割れる」
「じゃあ、この散乱した書類から“犯人は何かを探していた”とか……」
「散乱は猫でも起こせる」
春田は完全に困惑した。
「先輩……じゃあ鑑識って……事件の核心に迫らないんですか?」
「迫らない」
黒江は淡々と言った。
「核心に迫るのは刑事の仕事だ。鑑識は“核心に迫らないことで核心に近づく”」
春田は意味がわからなかった。
「迫らないことで……近づく……?」
「そうだ。核心に迫ろうとすると、見たいものだけを見るようになる。だが、鑑識は“見たいもの”じゃなく“あるもの”を見る」
黒江は床に落ちた小さなガラス片をピンセットでつまみ上げた。
「ほら。こういうやつだ。核心に迫ろうとすると、こういう地味なものを見落とす」
春田は息を呑んだ。
「でも……核心に迫るって、かっこいいじゃないですか」
「かっこよさで仕事を選ぶな」
黒江は続ける。
「核心に迫るのは派手だ。だが、派手な核心は外れる。地味な事実は外れない。外れないから、事件を動かせる」
春田は黙り込んだ。
「でも……核心に迫らないと、事件って進まないんじゃ……」
「進むよ」
黒江は即答した。
「核心は“最後に見えるもの”だ。最初から見えるものじゃない。最初に見るのは“事実”だ。事実を積み重ねれば、核心は勝手に浮かび上がる」
春田は驚いた。
「じゃあ……鑑識って、核心を作ってるんですか?」
「作ってるよ。派手じゃないだけでな」
黒江は散乱した書類を見ながら言った。
「核心に迫るのは刑事だ。だが、核心を支えるのは鑑識だ。鑑識が拾った地味な事実が、核心を形にする」
春田は胸が熱くなった。
「先輩」
「なんだ」
「核心って……地味ですね」
「地味だよ」
「でも……地味って、強いですね」
黒江はわずかに口角を上げた。
「気づいたか。核心は派手に見えるが、土台は地味だ。地味が積み重なれば、核心は勝手に立ち上がる」
春田は散乱した物を見つめた。
さっきまで“推理の材料”にしか見えなかったものが、
今は“核心の土台”に見えた。
「……先輩。俺、核心に迫らない鑑識になりたいです」
「言ったな。じゃあ今日から、“見たいもの”じゃなく“あるもの”を見ろ」
春田は思わず笑った。
核心に迫らないことが、核心に近づく道だなんて、思ってもみなかった。
そして今日もまた、地味のプロへの一歩が静かに積み重なっていく。




