第4話
春田は、現場に向かう車内でずっとそわそわしていた。今日は「室内に複数の痕跡が残っている事件」だと聞いたのだ。つまり――推理の出番である。
「よし……今日は絶対に“犯人像の推理”を決めるぞ」
助手席で、春田はドラマで見た“腕を組んで目を細める名探偵ポーズ”を練習していた。そこへ、運転席から冷たい声が飛ぶ。
「新人。今日も儀式か」
「い、いや、これは……その……」
「推理する気満々の顔だな」
図星だった。
現場に到着すると、室内には散乱した物、倒れた椅子、踏みつけられた紙片など、いかにも“推理したくなる景色”が広がっていた。
春田は目を輝かせる。
「先輩!これは……犯人は右利きで、身長は180cm前後で、力が強くて――」
「言わない」
黒江は即答した。
「えっ……いや、でもこの椅子の倒れ方とか……」
「倒れ方だけで犯人の身長がわかるなら、俺らの仕事はもっと楽だ」
「じゃあ、この紙片の破れ方から“犯人は短気”とか……」
「性格診断は占い師の仕事だ」
春田はめげない。
「じゃあ、この足跡の向きから“犯人は焦っていた”とか……」
「焦りは足跡に出ない。出るのは“向き”だけだ」
「じゃあ……この散乱した物から“犯人は慌てて逃げた”とか……」
「散乱は風でも起きる」
春田は完全に困惑した。
「先輩……じゃあ、鑑識って……推理しないんですか?」
「しない」
黒江は淡々と言った。
「推理は刑事の仕事だ。鑑識がやるのは“事実の収集”だけだ」
春田は納得できない。
「でも……推理って、かっこいいじゃないですか」
「かっこよさで仕事を選ぶな」
黒江は散乱した物を一つずつ丁寧に袋へ入れながら続ける。
「推理は派手だ。だが、派手なものは外れる。鑑識は地味だ。だが、地味なものは残る」
春田は黙り込んだ。
「でも……推理しないと、事件って進まないんじゃ……」
「進むよ」
黒江は即答した。
「推理は“仮説”だ。仮説は間違う。だが、事実は間違わない。事実を積み重ねれば、推理がなくても事件は動く」
春田は驚いた。
「じゃあ……鑑識って、事件を動かしてるんですか?」
「動かしてるよ。派手じゃないだけでな」
黒江は床に落ちていた小さな繊維片をピンセットでつまんだ。
「ほら。こういうやつだ。誰も気づかない、誰も見ない、誰も褒めない。でも、こういう“地味な一つ”が事件を動かす」
春田は息を呑んだ。
「でも……推理って、やっぱり憧れるんですよね。ドラマだと、鑑識が事件の核心に迫ったり……」
「核心に迫ったら怒られる」
「怒られるんですか」
「怒られる。鑑識は“事実だけ”を出す。核心は刑事が決める」
春田はしばらく黙り、散乱した物を見つめた。
「……じゃあ、俺が今考えてた“犯人像”って……」
「全部妄想だ」
「妄想……」
「妄想は仕事じゃない」
黒江は淡々と続ける。
「いいか新人。仕事ってのはな、“わかりたい”気持ちより“確かめたい”気持ちが勝ってないとダメだ。推理は“わかりたい”だ。鑑識は“確かめたい”だ」
春田はその言葉に胸を打たれた。
「確かめたい……」
「そうだ。確かめるために、地味な作業を積み重ねる。派手な推理より、地味な事実の方が強い。強いから、事件を動かせる」
春田は深く息を吸った。
「先輩」
「なんだ」
「推理って……地味じゃないですね」
「地味じゃないよ」
「でも……地味の方が、強いですね」
黒江はわずかに口角を上げた。
「気づいたか。地味は強い。派手はすぐ壊れる。地味は残る。残るから、真実に近づける」
春田は散乱した物を見つめた。
さっきまで“推理の材料”にしか見えなかったものが、
今は“事実のかけら”に見えた。
「……先輩。俺、推理より、事実を拾える鑑識になりたいです」
「言ったな。じゃあ今日から、妄想と距離を置け」
春田は思わず笑った。
推理は派手だ。
だが、派手だからこそ壊れやすい。
そして今日もまた、地味のプロへの一歩が静かに積み重なっていく。




