第2話
春田は、現場に入る前から胸が高鳴っていた。今日は血痕のある事件だと聞いたのだ。ドラマで何度も見た“血痕から犯行の流れを3Dで再現する名シーン”が、ついに自分の番だと思うと、足取りが自然と軽くなる。
「よし……今日は絶対に“血痕の語り”を決めるぞ」
現場前で、春田はスマホを横に構え、ドラマで見た“空中に線を描くポーズ”を練習していた。そこへ、背後から冷たい声が落ちる。
「新人。今日も儀式から始めるのか」
振り返ると、黒江が腕を組んで立っていた。相変わらず表情は石像のように動かない。
「せ、先輩!今日は血痕ですよね!ついに……ついに犯行の流れを3Dで――」
「しない」
黒江は即答した。
「えっ……いや、でもドラマでは……」
「ドラマは血痕がよく喋る。現実は無口だ」
黒江は淡々と現場に入っていく。春田は慌ててついていくが、期待はまだ捨てていない。
現場の床には、確かに血痕が点々と残っていた。春田は目を輝かせる。
「先輩!この血の飛び方……犯人はここからこう殴って――」
「わからん」
黒江は即座に切り捨てた。
「えっ……でも、飛沫の角度とか……」
「角度だけで犯行の流れが全部わかるなら、俺らの仕事はもっと楽だ」
黒江はしゃがみ込み、血痕の位置を一つずつ測り始めた。
「血痕はな、喋らない。語らない。黙ってそこにあるだけだ。そこから何を読み取るかは、地味な積み重ねだ」
春田は少し肩を落とす。
「じゃあ……ドラマみたいに“犯人は右利きだ”とか……」
「言わない。利き手は占いじゃない」
「じゃあ、“ここで被害者が倒れた”とか……」
「断定しない。断定は危険だ」
「じゃあ、血痕から犯人の身長を――」
「無理だ。血痕は身長を教えてくれない」
春田は完全に困惑した。
「じゃあ……血痕って……何を教えてくれるんですか?」
黒江は測定を続けながら答えた。
「事実だけだ。そこに“あった”という事実。それ以上でも以下でもない」
春田は黙り込んだ。
ドラマでは、血痕はまるで語り部のように事件を再現してくれた。
だが現実は、ただ静かに床に残っているだけだ。
黒江は立ち上がり、春田の方を向いた。
「いいか新人。血痕は喋らない。だが、喋らないからこそ信用できる」
「信用……?」
「派手な推理は外れる。派手な演出は間違う。だが、黙って残った痕跡は嘘をつかない。仕事ってのはな、喋るものより、黙って残るものを信じるんだ」
春田はその言葉に胸を打たれた。
「でも……黙ってるものから真実を拾うって、難しくないですか?」
「難しいよ。だから仕事なんだ」
黒江は淡々と続ける。
「血痕は語らない。だからこそ、語らせようとするな。語らないものを、語らないまま拾い上げる。それが鑑識の仕事だ」
春田はしばらく黙って血痕を見つめた。
ただの赤い点々にしか見えなかったものが、少しだけ違って見えた。
「先輩」
「なんだ」
「血痕って……地味ですね」
「地味だよ」
「でも……地味って、強いですね」
黒江はわずかに口角を上げた。
「気づいたか。地味は強い。派手はすぐ壊れる。地味は残る。残るから、真実に近づける」
春田は深く息を吸った。
「……先輩。俺、もっと地味を見られるようになりたいです」
「言ったな。じゃあ今日から、血痕の無口さと仲良くなれ」
春田は思わず笑った。
血痕は語らない。
だが、語らないからこそ、仕事になる。
そして今日もまた、地味のプロへの一歩が静かに積み重なっていく。




