第1話
鑑識課の新人・春田は、胸の奥がずっと熱かった。今日が初現場。ついに、あのドラマで見た“華やかな鑑識シーン”を自分がやる日が来たのだ。
「よし……まずは“ピッ……一致しました!”だな」
タブレットを持っているふりをしながら、春田は小声で練習する。指紋照合の決め台詞。子どもの頃から憧れていた瞬間だ。ついでに、ドラマで見た“謎の横持ちスキャンポーズ”まで再現してみる。
「おい新人。何の儀式だそれは」
背後から低い声が落ちた。振り返ると、鑑識歴十五年の黒江が立っていた。無駄な感情の一切ない、石像のような顔。春田は慌てて姿勢を正す。
「す、すみません!先輩!ついに……ついに現場ですね!」
「声のボリューム下げろ。ここ住宅街だ」
黒江は淡々と歩き出す。春田は慌ててついていく。胸の高鳴りは止まらない。ドラマのような派手な展開が、今にも起きる気がしていた。
現場に入るなり、春田はタブレットを構えるような仕草をした。
「先輩、まずは指紋照合ですよね。ピッてやるやつ」
黒江は一拍置いてから言った。
「ない。そんな便利な機械はドラマ専用だ」
「えっ……じゃあ、どうやって……」
「採って、持ち帰って、照合して、待つ。以上」
「……地味ですね」
「地味だよ」
春田は気を取り直す。
「じゃあ、血痕から犯人の動きを3Dで再現して……」
「しない。血痕はそんなに雄弁じゃない」
「でもドラマだと……」
「ドラマは血痕がよく喋る。現実は無口だ」
「じゃあ、DNA鑑定を現場で……」
「できたら俺はここにいない。研究所に住んでる」
「そんなに……?」
「そんなにだ」
「じゃあ、靴跡から犯人の身長と体重と歩幅を……」
「推理は刑事の仕事。俺らは“測るだけ”」
「測るだけ……」
「測るだけだ」
「じゃあ、遺留品を手に取って『これは……!』って言うやつは」
「素手で触ったら君の指紋鑑定から始まる」
「……ですよね」
「じゃあ、鑑識が犯人を追いかけるのは」
「走らない。走ったら証拠壊す」
「じゃあ、拳銃を構えるのは」
「持たない。構えない。撃たない」
「じゃあ、壁を叩いて“ここが怪しい”って言うのは」
「叩いたら証拠落ちる」
「じゃあ、利き手を断定するのは」
「利き手は占いじゃない」
「じゃあ、鑑識が“プロの犯行だ”って言うのは」
「プロかどうかは知らん。触ったかどうかだけ見る」
「じゃあ、鑑識が“犯人はこの中にいる”って言うのは」
「言ったら怒られる。あと大体いない」
春田は、もはや言葉を失っていた。ドラマで見た華やかな鑑識像は、粉々に砕け散っている。現場は静かで、慎重で、地味で、息を潜めるような空気に満ちていた。
黒江はそんな春田を横目で見て、ぽつりと言った。
「いいか新人。鑑識は派手じゃない。地味だ。だがな――地味は嘘をつかない」
春田は顔を上げた。
「嘘を……つかない?」
「派手な推理は外れる。派手な演出は間違う。だが、地味に拾った一本の繊維は、事件を動かす。地味は積み重なる。派手は散るだけだ」
黒江は現場の床にしゃがみ、小さな何かをピンセットでつまんだ。
「ほら。こういうやつだ。仕事ってのはな、派手さより確かさだ。誰に気づかれなくても、真実に近づく一歩を積む。それが俺らの仕事だ」
春田は息を呑んだ。その動きは、派手ではない。だが、妙に胸を打った。ドラマの主人公よりも、ずっと静かで、ずっと確かで、ずっとかっこよかった。
「先輩」
「なんだ」
「地味って……ちょっと、かっこいいですね」
黒江はわずかに口角を上げた。
「言ったな。もう戻れないぞ。地味のプロの世界へようこそ」




