38 身勝手な人たち
「夭輔をクラブに連れて行ったのは、私だ」
喫茶店で向き合う、真次さんの声には苦悶が滲んでいた。
こんな時だって初めて見るそんな顔も素敵、と思う自分がいる。それは昔からの『日下葉那』だけど今はそんな自分を上から見下ろしているように冷静だ。
「息子に初めてプレゼントを貰って、浮かれてしまった」
真次さんの胸ポケットにはシンプルなネクタイピンが差してあった。束の間目を細める。彼らしい、と懐かしんだ自分に安堵した。
「きっと君が勧めてくれたんだろう」
「いいえ。それはご子息が自分で選んだものです」
「そうだろうな。君は私がネクタイを締めないことを知っているから」
「――それで、私達の微妙な関係を察して御子息を『社交場』に連れ出したんでしょう。もう少し私の気持ちが向くようになるよう差し向けて」
驚く程明晰な思考回路の自分がいた。何でも見通してしまう目の前のこの人のように。
きっとこうやっていつも自分すら俯瞰して、だから途轍もなく冷静なんだ。
「でも貴方は知らなかった。ご子息は貴方と違って隠せない事を」
「息子が私と違うのは知っているが、店を知らなかった。馴染みのつもりだったが」
「それも貴方が悪いんです。何故そのホステスが見合わないリスクをおかして店としての一線を越えたのか、私には分かる気がします」
――きっと貴方が届かな過ぎたから。
「躾を人に任せたのが貴方の誤算です」
「返す言葉もないな」
目の前の男性は心を絞るような寂しげな表情をする。以前の私だったらそれだけで絆されてしまっただろう。
「償うべきは私だ。息子を許してくれないだろうか」
「許すも何も彼は犠牲者でしょう。貴方と私達――身勝手な女の」
模倣品を作り上げた彼女は私の共犯者に過ぎない。
『私』が初めてあの人より先に席を立つ。
「真次さん。もしそれでも貴方が私に何か償いたいというのなら、お願いを聞いてください」
その人は先の言葉が分かっているかのように悲しそうな顔をした。
「ご子息を二度と私の前に立たせないでください。そして、彼を幸せにしてください」
「それはまた難解な、矛盾だな」
「私にとっては、自明です」
そうして振り返ることなく『私』は店を後にした。
***
「ねえ葉那ちゃん。以降、どう? アレ、役にたった?」
「ああ、あれ……ごめんなさい、捨ててしまったわ。それに、彼とは別れたの」
「そっかあ……――て、ええっ! な、なななななんで!?」
「その話はあまりしたくないわ」
「ごめん……もしかして、なんか、なんかあたしのせい……?」
「全く違うわ、気にしないで。それに別れてよかったわ」
「そんな……。でも、霧崎君、葉那ちゃんのこと大好きっぽかったよね……?」
「もう彼の名前は出さないで。ずっと馬鹿だったけど……もうちゃんと、お見合いをするわ」
「うそ……嘘だよね?」
「相手の家柄が適当で、申し込まれたら結婚するつもり」
「申し込まれたらって……葉那ちゃん、未だ結婚は考えてないって言ったじゃん。だめだよ、ねえ、落ち着いて、考え直して……今、傷ついているから自棄になってるんだよ。絶対後悔するから。お願い、一生のお願い」
「一生のお願いを私の為に使うなんて、優しいのね、茜。でもいいのよ。元々、恋愛して結婚しようと思っていないから。そういう世界なの」
「どういう世界もないよ。葉那ちゃんが笑わなきゃ……。やだ。葉那ちゃん、雰囲気変わったよ。柔らかくなった。笑うようになった。もっともっと美人になってた……」
「そうだとしても彼とは関係ないわ。彼の為に努力したことなんか、ないから」
「葉那ちゃん……お願い」
「ごめんなさい、茜……。早川君とは幸せになって」
***
PM 07:00 『都内三ツ星フランス料理店』
男女が二人。一回り年上の男性が、微笑んで女性を見つめている。
男性から、指を隠す程大きな石の乗った指輪を差し出されて『私』の指に嵌められる。
左手の薬指
きつく締め付ける。
それは宝石の重みで指から滑り落ちないようにする為の、正しいサイズ。
「あの日」からひと月が経つ。
真次さんは少なくとも一つ目の願いは聞き入れてくれたのか、彼の姿を見ることはそれから一度もなかった。もっともそれは彼自身の意思かもしれないけれど。
――はい。
『私』が受け答えて婚約が成立する。
これでいい。なにもかも戻るだけ。
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