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28 茶事加減を教えて


「俺も葉那とお茶を飲みたい」

 

 葉那の顔を見上げて(、、、、)ねだる。

 休日の昼下がり、彼女が好んで飲むフランス銘柄の紅茶専門店から帰った後、若木色のソファで膝枕をして貰っていた。

 初めは「用事があるから」と会えるのは午後からの予定だったが、ストックを買いに行くのだと聞いて銀座までついて行った。買い物に付き合わせるのを悪いと思っているらしい。それより一緒にいられる時間が長い方が断然良いが。


 そういう埋め合わせの気持ちがあるのか、甘えた願望を口にすると思ったより容易(たやす)く応じて貰えた。きちんと揃えられた脚に頭を預け至福の時を過ごす。

 

 目の前のナチュラルな木製ローテーブルの上ではティーカップに綺麗な紅色が映えている。葉那が茶葉から丁寧に淹れる紅茶はとても美味しいが、俺が今ねだっているのは彼女の()てる抹茶(、、)のことだ。葉那は定期的に実家に赴いて茶道の師範をしているらしい。


「葉那の淹れてるところを見たい……」

「葉那の和服姿を見たい」

「葉那に指導されたい」

「縁側で、庭に雪が舞うのを眺めながら抹茶を啜ったら夫婦って感じだよな……」


「はいはい……」


 葉那は柔らかな目尻のまま頭を撫でる。急速に暖房を入れた室内は既に眠気を誘う暖かさで、ぽかぽかとした春の陽気の中にいるようだ。加湿器に垂らしていた精油だろう、仄かに新緑の香りも漂っている。


「霧崎君も教室に来る?」

「どういう人が来んの?」

「そうね……年配の方が多いかしら」

「またオジサンかよ」


 囲まれるその様を想像し嘆息した。

 そもそも仕事もあるのに家の勤めまで律儀に果たす必要はないと思うが(二人の時間も減る)、この辺りを踏み込むのは未だ地雷だと身に染みているので強く否定をできない。


「女性もいるわ。貴方が通うようになったら若い子も増えるかもね」

「それはダメだな、葉那が嫉妬するから」

「そうね、いやだわ……」

「じゃあ個人レッスンで」

「最初からそのつもりなんでしょ?」


 今度はくすりと笑う、瞳を見つめて交わす。


「ああ。茶室で二人きりでさあ、お前の実家で、実家のお前が見れるって……心躍るシチュエーションだよな」

「教えてあげてもいいけど、個人教授はそれなりに包んでもらうわよ」

「金とんの? 彼氏から」

「本気で教わりたいならね。ただシチュエーションを楽しみたいだけならダメよ。私に教えを請う為に何年も待つ全国の門下生に申し訳が立たないでしょ」


 生真面目に葉那は言う。単純に家に逆らえないと言うより責任感が強いのだろう。報酬も彼女に入るものではないと思うが


「どれくらい包まれてんの?」

「気持ちよ」

「千万くらい?」

 

 葉那は眉をひそめた。


「――貴方、少し不思議に思っていたのだけど、金銭感覚がずれてない? 実家から支援を受け取りそうじゃないのに」

「俺にもよく分からないくらいあるんだよ。特許も幾らか持ってるみたいだし。いつの間にか振り込まれている」

「そうなの」と彼女は気の無い相槌を打つ。

「つまらなさそうだな。喜んでほしいところなのに」 


 いずれ寄附にでもしてしまえばいいかと思っていたが、今は『お嬢様』との生活を夢見ている。英国王室にも負けないくらい彼女を満たしたい。


「貴方からのプレゼント……ちょっと無理していると思ったから嬉しかったのに。仕事も今は非常勤なんでしょ?」

「それで小物しか買わせてくれなかったのか。もっと甘えていーんだぜ。エルメスを空にする?」

「使い道が女性に貢ぐだけなのは感心しないわね」

「そう言われても。庶民が急にお金を持っても使い道が分からないんだよな。俺は特に何も欲しくないし」

「貴方庶民とは言いがたいんじゃないかしら。霧崎家なんてほとんど現代貴族よ」


 確かに、無駄に広がる庭園と古びた洋館の実家はそういう階級制度がある頃から引き継がれていそうだが


「感覚が庶民なんだよ。きっと俺を慮って優しい両親がそう育ててくれたんだろう。『上流』社会には向かないと思って」


 “名門”らしい中高では家柄がどうだとか学生同士の癖に(うるさ)く、殆ど馴染めなかった。そのせいか、馴染む気もない俺を彼女がよく嗜めたものだ。

 はたして父親に試されたのか、長閑(のどか)なフランスの片田舎から突然そんな場所に放り込まれた理由は分からないが、自分が『そういう世界』に向かないという事はお陰で早々に理解できた。

 紅茶だって正直なところネットでオススメされるティーバッグで満足する。


「貴方の感覚で使えばいいじゃない。ご両親にささやかなプレゼントをしたら喜ぶと思うわ」


 そう言う顔はどこか寂しそうに見えた。葉那が親への不満を口にすることはないが、そもそも話題にすることもない。なんとなく踏み入れさせない雰囲気がある。


「葉那が選んでくれる?」

「貴方のお母様のご趣味は分からないわ」

「親父のは分かるんだな」

「完璧にね?」


 くるんとカールした睫毛の奥で黒目がちの瞳が悪戯気に笑う。


「そうやって俺を苛めるのはやめろよ……」

「事実だから仕方ないじゃない」

「未だ親父に未練があんの?」

「永遠の恋だわ」


 ほうといつも通り冗談か本気か分からない物憂げな表情に、溜息を一つ吐いた。


偶像(アイドル)みたいなもんだよな……そう思おう」



 ***



「ん……うまい」


 ずず、と茶を飲み干す。

 結局葉那は部屋でお茶を()ててくれた。 

 要望に応えて和服姿で。もうそれだけで眼福で、日本で一番美味しい。門下生だってシチュエーションに予約待ちしているのが本当じゃないだろうか。

 指で軽く飲み口を拭き、茶碗を正面に向けて静かに置く。


「意外に作法は(わきま)えているのね。見直したわ」

「婿入りできそう?」

「無理よ」


 葉那はあっさりと言い退ける。


「俺が家督を継いだら葉那は自由に出来るかな」

「貴方は不自由になるけどね」

「俺はお前を拘束できれば十分」

「まあ、破談になった縁談が戻ることはないわ。日下(うち)は体面が絶対だから。霧崎家の“はみだし者”になった貴方じゃ尚更ね」

 

 あっさりと言われた後で口の中には渋みが残った。家を出たらもう彼女()にとって俺の価値は無いのか。

 指を縫い付ければ閉じてくれる葉那の態度に嘘があるとは思えないが、やはり恋愛と結婚への線引きは変わっていないようだ。長閑だった気分は消え失せて、唐突に気が()いた。 


「駆け落ちは?」

「陰湿なのよ。物理的にも社会的にも逃げられないわ」

「それなら問題ない。せいぜい日本の中だけだろ」

「私は日本人なの。貴方だって、今の職は失うわよ」

「それが? 何で俺が年功序列な日本の最高学府で教えたりアメリカに居住権があると思う? 学術はボーダレスなんだぜ」

「あら、思ったより偉い先生なのね。でも、私がそれを選ばないから」


 葉那は僅かに上げた口角を崩さない。

 “家”なんかに頼らなくても彼女の望む全てを守れる自信があるのに、当の彼女が“俺”を望まない。


「何で……」

「私には私の事情があるの」

「何だよ、それ。俺を選ぶより大事なことか?」

「そうね。貴方を選ぶより大事なことよ」


 彼女が微笑(わら)う訳が分からない。

 和服姿は変わらずとても綺麗なのに、そのまま蝋人形のように固っていってしまいそうで、そうなる前に腕をぐいと引き寄せた。姿勢を崩し弾みで前に手を着いた彼女は、目尻をきっと上げて睨みつける。


「作法がなってないわよ」

「忘れさせてやるよ」 


 結い上げた髪の無防備なうなじに口付ける。


「やめなさい。もう点ててあげないわよ」

「今度は俺が点てる番」


 重なったと思う心が体と一緒に離れてしまうなら、ずっと繋げていたい。







 ***

 浅く乱れる呼吸

 鶯色(うぐいすいろ)に染められた絹の上

 半端に解けた髪束が黒い川のように流れる



 ――――葉那。


 

 俺の名前を呼べよ

 呼んだらやめてやるから

 本当はやめて欲しくないんだろ

 ***







「お腹空いたな。デリバリーを適当に頼んでいいか?」

「…………」

 彼女はシーツに突っ伏したまま黙っていた。


 ベッドから動けなそうな葉那に、届いたサンドイッチを千切って口元に運ぶ。


「この後どうする?」

「……動けると思う?」


 少し掠れた声で睨まれる。


「じゃあゆっくりできるな」

 葉那を独り占めできそうだ。


「何で貴方が嫌いだったか思い出したわ」

「何で?」

「傲慢で乱暴」

「今はそれでも?」

「……好き」


 彼女は溜息を吐いた。


「まあ一時だと思えばこそね。正気を失えるのも」

「じゃあ将来の話をしようぜ。子供は何人欲しいとか」

「悪いけど貴方との将来は考えていないの」

「考えていないだけで、」


 す、と肩に指を触れる。ぴくりと動いた。


「もう俺じゃないと満足できないと思うけど」

「それって根拠がないわよね。勿論貴方だって」

「俺は分かってるから。葉那だけだ、て」

「――そうね。分かるのは、解るわ」

 葉那はどこか遠い目をして呟く。


「でも結ばれない運命だって、あるのよ」


 分かったような振りをする彼女を、いい加減に壊してやりたかった。


 

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