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23 戻って、戻って、戻って

「真次さんに、何て言ったの?」

「何も」


 彼は表情を浮かべずただハンドルを握って前を向いていた。来たままの道を戻って行く。


「帰国以降連絡も取っていない。あいつの事は考えても無駄だ」

 ちら、とだけ横目で見て。

「まあ、会合か何かで偶然会ったんじゃねぇか。『上層』の世界は狭いってお前もよく言うだろ」

 

 再び彼の家に戻ってきた。

 仕方なくコンビニエンス・ストアで一通りのものは揃えたけれど。……何で私がこんな「お泊まり」セットを。

 以前まで一緒に生活をしていたとは思えない程、居心地が悪い。場所が違うせいか、別れた(、、、)せいか。ホテルでも取れば良かったのかもしれないが時間も遅いし


 ――それに、真次さんの意図が分からない。


 実際は『迷惑』にすら思っていないのでは。

 私がどうというよりただ単に彼の側に立った接し方なのかもしれない。それはまあただの部下、よくて『友人』より息子が大事よね。相変わらず隅から隅まで相手にされていない。

 

『息子さんは私に任せて……いってらっしゃい』

 

 家族と離れて赴任する哀愁を帯びた表情に胸が締め付けられて、少しでも安心して欲しくて伝えた言葉。精一杯の背伸びでそんな「約束」を一方的にした十二歳の自分が恨めしい。

 とはいえ成人もしたのだから時効の筈だ。


 もやもやを打ち消すようにシャワーの勢いを強くする。豪雨のように肌を打った。


 彼の姿を再び目にした時、確かに涙が出た。

 今すぐにでも抱きつきたい――そんな衝動に駆られたことは認める。

 でも真次さんの後ろ姿を目にしただけで、またその存在を恨めしく思う自分がいる。……こんな(さま)だから、真次さんは私に会ってくれないのかも。


 まるで凄く強い磁石みたい。

 あの人が近くにいる限り、彼に引き寄せられる事はないだろう。せめて出会いがどちらかだけであれば、もう少し真っ当な人生を送れたかもしれない。

 ――息子を(たぶら)かしてその父親との不貞を(たくら)む。

 彼の言う通り、良家の子女どころか目も当てられない悪女ではないか。揃いも揃ってこんな自分を咎めないどころか彼に至っては好意を寄せるなんて、器が大きいと言うより変人の域なのでは。



 髪を乾かしてリビングに入る。

 香ばしい匂いがした。片側がオープンになったペニンシュラ型キッチンで彼は料理をしている。そういえば夕飯が未だだった。けれど色んな事が立て続けにあり過ぎて、もうお腹に入りそうにない。


「私の分もあるならごめんなさい。先に休ませてもらうわ」


 先にそう言って長ソファに目をやる。大の大人一人が寝そべられる程はあった。


「私をベッドで寝かせてくれるのよね?」



 寝室に入る。やっぱりキングサイズの大きさはあるベッド。

 霧崎家ではこれが標準なのかしら。

 私をお嬢様と笑って庶民ぶるところがあるけれど、一般の感覚とずれていることにすら彼は気づいていない。日本社会で労働をしている分、私の方が余程世間を知っている筈だ。


 仰向けになると受け止めて少し沈む白いシーツ。ああ、どことなく彼の匂いがする。

 すうっと瞼が降りた。

 

 霧崎君……

 

 美味しそうな匂いね

 お腹が空いていたの……

 料理の皿を……黒髪の女性に運んで

 見ている私は誰なのかしら

 食べている女性は誰……

 そうか……

 私じゃ、ないわよね

 私は今も結局ひとりきり

 しあわせになってね、霧崎君

 私のいる、薄暗いここはどこ……


 ――ぼんやりと薄暗い天井

 差し込む一筋の光……

 

 その先を追って横を向くと、扉の開いた逆光の中、藍色の瞳と目が合った。


「起こして悪い。一人なら食べるかと思って」


 サイドデスクに置かれたお皿

 なんだか既視感が……


「俺を呼ぶ時は、泣くんだな……」


 彼が呟いて、頬が濡れていることに気が付く。

 ああ、夢を見ていたのか。

 確かに悲しい結末の映画を観ていたような


 彼の瞳は暗闇だと反射が少なく黒に近づいて、藍色だ。というかよく見ると昔よりも暗い色になった気がする。学生の頃の印象でずっと蒼い目だと思っていたが――

 彼自身をちゃんと見たことってあったかしら。似ているところ、違う部分、そんな物差しだけでなく。


 ぽっかりと空いたような、

 なんだかとってもお腹が空いた


「頂くわ、霧崎君。でも――」

「食べさせて」


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