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13 契約外のプロポーズ

「ん……」 


 ゆっくりと舌が撫でられ唾液が(あふ)れていく。後ろから抱きかかえられるように座り振り向かされて口付けを受ける。

 ――力が入らない。

 首を固定するのは体の自由を奪う基本だけど、分かってやっているのかしら。

 手がブラジャーの上から胸を包み舌の動きと同じように緩慢に撫でる。しかし指が下側からするりと入り込んだ。


「ふッ……」


 びくりと体が震える。

 ――確かに付けたままだけど……

 最早関係なく胸がブラカップとの間でやわやわとほぐされていた。口が塞がれたままどう抵抗していいか分からない。

 と、答えるように唇が離れた。解放されてそのまま頭を胸板に預ける。だけど乳房に添えられた手は離れず今度は唇が(うなじ)を口付けた。

 そのまま耳、肩、腕、手の甲と――

 気が付けば背は倒れて仰向けになっていた。続いてお腹、(もも)(すね)、足の爪先まで――満遍なく唇が触れていく。


 ――なんかこれって……


 本当の情事のようだ。

 これが……

 正直に言ってこういう形になるとは思っていなかった。体の一部分を触るのを許可する、痴漢ではなく選んだ相手に。そうして『いやらしいこと』への嫌悪感に対する耐性を付けたいという主旨なのに。

 やっぱり話、聞いてないじゃない――

 

 体の各所へ口付けの挨拶をしていたように今度は手のひらが優しく触れてそれらを繋げていく。まるでエステにいるような心地よさだ。不思議といやらしさが感じられない。手の温もりに体の緊張が解けてほぐれていく。


 すっかり油断しているとしかしその範疇をあっさり超えてきた。乳房を包んだ掌の指先が先端を摘んだ時

「アッ……」

 自分から漏れた嬌声的な響きに驚いた。

 それが合図のように今まで温められてきた体が発火していく。

 体が重なっている――

 いつの間に脱いだのか直接肌が触れ合っている。冷たく硬質な男性の肌。柔らかい肌が受け止めて密着する。異質なものが噛み合わさるような一体感。

 

 そう感じてしまった後は大きく骨張った手が体に触れる度肌が痺れた。感電したようにピクリピクリと勝手に震え信号が脳に逆流していく。


 快感に変わって――


 人の手が触れているだけなのに電気が流れて

 肌の外から伝ってきた筈なのに

 体の芯から熱くなっていく

 この熱をどうにか鎮めて欲しい

 求めるように首を引き寄せ唇を開いた。


 確かに良かった。理性なんて脆いものに頼らず前提を立てておいて……







「んん……」


 カーテンの隙間から差し込む陽光で目が覚めた。いつ以来だろう。ぐっすりと熟睡したように爽快だ。軽く伸びをする。心地よく体が(ほぐ)れて――

 ハッとして隣を見た。

 男が眠っている。

 

 昨夜――

 途中から記憶が曖昧だが、少なくとも下着は身につけていて安堵する。

 それにしても霧崎君なんかにあんな反応を見せてしまうなんて。別にその重みが自分と同じ感覚だなんて期待していた訳じゃないけれど、デートでは女慣れしていない風を出しておいて『そういう経験』には慣れているなんてやっぱり最低――


 だんだんと腹が立ってきた。

 折角気持ち良い朝だったのに、台無し。

 下着姿でいるのも信じられない余所余所しい気持ちになって急いでベットを降りた。スプリングがぎしりと揺れるが彼は気持ちよさそうに眠り呆けている。


 自分の寝室からこんな風に逃げるように出るなんて――


 クロゼットから手早く洋服を取り出して扉を閉める。ブラウスのボタンを留める時に気が付いた。体に仄かに紅を入れたような跡が幾つも……。自分だけの体だった筈なのに知らない間にまるで所有印を押されたようだ。


「やってくれたわね、霧崎君……」 


『そんな隙』を見せた自分を呪って溜息を吐くしかなかった。



 ***

 


「葉那さ……」


 朝食のトーストを(かじ)りながら彼が低い声で言う。


「何よ」

 ややつっけんどんになって答える。

 顔を合わせる前に朝食を作って出て行こうと思っていたのに、彼は寝起きの目をこすりながら朝が早いとぼやいて当然のように席に着いたのだ。

 ――昨夜の事(、、、、)など何も無かったかのように、いつもと変わらぬ様子で朝食を食べ出した。


「いつからこっちにいる……?」


 低血圧らしくゆっくりとした動作と口調。

 朝が弱いのは真次さんと同じね。とちょっとだけ気持ちが緩む。


「アメリカでの赴任? つい数ヶ月前よ。来たばかりで貴方に会ったの」

「ふーん……いつまで?」

「さあ? 今回は特別だけど……普通は日本と各国ニ年置きに変わるわ」

「ニ年か……」


 というか父親も同じ職だというのにどれだけ興味が無かったのか。本当に真次さんが可哀想だわ。赴任先でも家族写真を持ち歩いていたくらいなのに。


「ニ年付き合ったらさ……俺と結婚してくれないか」 


 ――またこの人は。

 冷めた気分でコーヒーを淹れる。鼻孔をくすぐる良い香りが広がる。

「葉那……」

 懇願するような声が聞こえるが、誰が寝起きの男の夢見事に耳を貸すかしら。


「それって、日本に帰る前に結婚して仕事を辞めろ、ていう意味?」

「葉那と離れたくない」

「私、自分の仕事に誇りを持っているわ。女は簡単に仕事を捨てられると思っている人と家庭を持ちたくない」  

「……悪い」

「それにニ年っていうのは普通の勤務で、私は臨時だからもしかしたら明日にでも勤務地が変更になるかもしれないわ」

「それって親父(あいつ)に聞けば分かるのか?」

「やめなさい。もし私の異動に不自然があったら即貴方とは縁を切るから」

「しないって……」


 そもそも真次さんが決める事でもないけれど、実際あの人はどうとでもしてしまえそうなのよね。仮にこの人と結婚なんて事になったら一族の見えない力が働くんじゃないかしら。


「じゃあ今結婚しないか?」

「バカな事言ってないで、コーヒーは飲むの? 私、そろそろ出るわよ」

「葉那がどこに赴任しても俺が付いて行く」

「貴方研究職でしょ? そんな短期間で雇ってもらえるところあるの? それにここが一番環境が整っているからここにいたんでしょう。結構見損なうわ、簡単に自分の仕事を投げ出す人って」

「……」


 彼は読めない表情で押し黙っている。


「まあニ年も経てば気持ちも変わるわ。忘れなさい」

「……そうだな、ニ年経ったら葉那も俺から離れられなくなっているかもしれないし」

「相変わらず傲慢ね。そんな訳ないじゃない」

「いや、昨日の感触だともっと早い」

「ッ――馬鹿じゃないの?」


 唐突に持ち出すのでカップを持つ手が跳ねて彼のシャツに茶色の染みを作った。


「熱っ……――お前、コーヒーかけるってなんだよ……動揺し過ぎだろ」

(うるさ)いわ」   


 冷ます必要も無くなって、席を立った。重要なことを思い出す。


「私の着信履歴、消しておいてよね」

「もう覚えたけど?」


 本当に、憎らしい。




  § 一章 恋人契約/了



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