第七章 観察と応用
四度目の開始。 だが、今回は違う。
(思い出すんじゃない。読むんだ、“今”を)
シズハは、もはや記憶をなぞらない。
記憶は、罠になる。
あの空間は“記憶に合わせて姿を変える”。
ならば、それを破るには、記憶より速く、この空間を——読み切るしかない。
「音を立てるな」
「残り猶予時間:00:59:59」
「挑戦回数:4」
表示が消える。
通路の先、光は変わらず淡く瞬く。
(見る。聞く。感じる。……そして、考えるな、感じろ)
シズハは目を細め、床の模様を追った。
板の継ぎ目は規則的に見えるが、一本だけ光の反射が鈍いラインがある。
(ここ……微かに踏まれてる。前の“私”が残した痕跡……?)
その手前で一歩目をずらす。
かすかに床が揺れた。
だが、沈まない。
反応もない。
(“正解”だったかはわからない。
でも、“今”は安全)
次に、空調の風向きに意識を向けた。
空間の左側だけ、冷風が下に巻き込むように流れている。
その真下の床板が、さっきと違って、わずかに——呼吸をしている。
(この空気の“落ち込み”、……センサーか)
そこを避ける。慎重に、音を立てず、すり足のように一歩ずつ。
二歩。
三歩。
微細な床の振動が、足の裏に伝わる。
鉄板に何かが下から押し返しているような、重低音に近い“動き”。
(ここも……変化する)
もう一歩先の板を覗き込む。
前と同じ光沢、同じライン、同じ材質に見えて——ほんのわずかに、角度が違う。
(傾いてる。
ほんの数ミリ、だけど……これは“踏ませようとしてる”傾き)
足を止める。
深く息を吐かず、浅く吸いながら、右へ斜めに移動。
その瞬間、背後でわずかに「キィ……」という金属の応力音が鳴った。
(今のルートで、もしそのまま進んでたら——)
シズハは冷や汗をかいたことにすら気づかないまま、“読みながら”歩いていた。
(これは記憶では突破できない。
“反応”し続ける力が要る)
空間が、変わる。
それでも自分は、その都度、読む。
感じる。
選ぶ。
その覚悟が、彼女の足取りを強く、そして静かにしていく。