第六章 なぜずれるのか
——また、戻ってきた。
冷たい金属の床。なめらかな壁。規則的に流れる風。
すべてが、“最初の空間”と寸分違わぬように作られている。
だが、もう騙されない。
(同じじゃない……絶対に)
シズハは立ち尽くしていた。
足先から伝わる床の硬ささえも、もう信じられない。
「音を立てるな」
「残り猶予時間:00:59:59」
「挑戦回数:4」
四回目。
視界にその文字が浮かぶたび、胸の奥に冷たいしこりが増えていく。
(六歩目を避けたのに……七歩目で落ちた。
あの床、前は床一枚分、もっと後ろだったのに)
何度思い返しても、確信は揺るがない。
この空間は、毎回“変化している”。
正確には——同じように見えるよう、計算し直されている。
(記憶が間違ってるわけじゃない。
あの一歩目も、二歩目も、すべて同じように踏んだ)
じゃあ、なぜ沈む?
なぜ鐘が鳴る?
なぜ、“通じない”?
(これは……ループじゃない。リセットでもない)
口には出さずとも、頭の中に言葉が形を成す。
(この空間、私の記憶を前提に再構築されてる)
今までと同じように配置しながら、わずかに罠の位置をズラす。
過去の行動を参照して、次の“落とし穴”を組み替える。
(だったら、これは……誰かが“見てる”)
全身をひやりと冷気がなぞる。
風の流れが、さっきよりも緩やかになった気がする。
(私の記憶も、行動も……全部、読み取られてる?)
背後に視線を感じるわけではない。
けれど、“何か”が確実にこの空間を動かしている。
記憶ではなく、今この瞬間を読み、計算し、調整している。
——だから、ズレる。
——だから、同じ場所で、同じミスは起きないように構築されている。
(私が先に読むしかない。向こうの意図を、動きを)
もはや“記憶の再現”では意味がない。
必要なのは、その場で空間の呼吸を読み、罠の意図を先回りして動くこと。
そして、確信が生まれる。
(これは、試されてる。私の判断を、私の“即応性”を)
冷たい空間の中心で、シズハの瞳がわずかに細まった。
静かな決意が、内側から灯りはじめていた。