第四章 誰も知らない死
静寂が落ちていた。
ポルルはもう跳ねるのをやめて、どこかへ消えた。
代わりに現れたのは、ただ、空白だった。
光も、音も、気配すらもない“白”。
それが、空間のすべてだった。
「……誰だったんだろうな」
カエデの声が、ぽつりとこぼれる。
彼の目は、虚空を睨むように細められていた。
「……さっきの、処理された補助ユニット。
“いた”って言ってたけど、思い出せねぇ」
「私も……記憶が、引っかかるのに……名前が出てこない」
シズハは、自分の頭に手を当てた。
何かがあった。
そこに“いた”気がする。
けれど、思い出そうとすればするほど、指先からするりと滑っていく。
「……記憶じゃなくて、存在そのものが“消去”された」
ルアが言う。
まるでそれが当然のように、淡々と。
「存在ログを破棄されれば、それはもう“存在していなかった”ものとして扱われる。
たとえ一緒にいたとしても。名前を呼んだとしても。
世界の側が“いない”と定義したら、そっちが正解になる」
「でも、私たちが“覚えてる”なら……それは……」
「残念ながら、“記録されてない記憶”は、“記録された虚構”より弱いのよ」
ルアの言葉は、あくまで冷静だった。
だが、その奥にある無力さに、シズハは気づいた。
——どんなに確かに“いた”と感じても。
——この世界では、それは“なかった”ことにされる。
その時、不意に。
空間の奥に、光のノイズが走った。
一瞬、焼きつくような視界の反転。
何かが“チラリ”と、画面に浮かんだ。
だが次の瞬間には、もう消えていた。
「……見えたか、今の」
「ログ……だった。誰かの記録。
けど、消されてた。名前も、所属も、“消去済”って……」
カエデが歯を食いしばる音がした。
「こんなやり方……あるかよ……」
「“いた”ってことすら、残さねぇのかよ……!」
怒りだった。
けれど、それは誰にも向けられない怒りだった。
相手がいない。
責任を問うべき存在が、最初から“見えない”。
だからこそ、どうしようもない。
「……じゃあ、私たちも……」
シズハがつぶやいた。
「次に失敗したら、“いなかったこと”にされる?」
「うまく記録されなきゃ、ね」
ルアが目を伏せたまま言う。
「ログが残らなければ、評価されなければ。
どれだけ叫んでも、どれだけ仲間を助けても——
“その命は存在しなかった”って、上から定義されるのよ」
(存在しなかった……)
誰にも覚えられず。
名前も残されず。
それどころか、“いた”ことすら否定される。
そんな死が、この世界にはある。
そんな死が、すぐ隣まで来ている。
「……嫌だ」
声が出た。
震えたけれど、確かに。
「そんなふうに、“誰も覚えてくれないまま”消えるの、嫌だ」
「たとえ……誰にも認められなくても、
誰かの記憶の中には、ちゃんと“いた”って、思ってほしいのに……」
その時。
ほんの微かに。
空間の奥で、“鐘”とは違う音が鳴った。
——キン。
金属の高音。
けれど、それは明らかに“祝福”ではなかった。
まるで何かが、どこかで静かに壊れたような音。
「……また、誰か……」
カエデが呟く。
“処理された”音だった。
だが、今回は——名前すら、最初からなかった。
「……誰が、死んだんだろう」
「……もう、“誰も知らない”わよ」