第五章 みんな
誰も手をつけなかったチョコレートケーキは、
そのまま──テーブルの上に残り続けていた。
甘い匂いはすっかり薄れ、
しんと静まり返った空間の中心で、それだけが主張もせず、待っているようだった。
誰も動かない。
誰も食べようとしない。
でも、次のテーブルも出てこない。
表示は変わらず。
《観測中……》
食べれば進む。
そう思っていた。
譲れば次へ行ける。
そう信じていた。
でも──違った。
ケーキは残ったまま、空間は“停止”していた。
「……これ、終わらないな」
カエデが言った。
その声に、苛立ちも戸惑いもなかった。
ただ、疲れたように落ち着いていた。
ルアは目を伏せたまま、言葉を飲み込んでいた。
シズハは、テーブルのケーキを見つめていた。
(なんで、進まないんだろう)
(“食べなかったから”? “選ばなかったから”?)
(でも、もう……食べられない)
そのとき、ふと胸に浮かんだのは──
白くて、丸くて、ふわふわの耳。
「きみたち、がんばってるねぇ〜☆」と、無邪気に笑っていた声。
ポルル。
いつも勝手に現れて、勝手に喋って、勝手に消える。
でも、ずっと“そばにいた”。
(……わたしたち、“みんなで仲良く”って言われてたよね)
(その“みんな”に……ポルルを、入れてなかった)
「……ねえ」
シズハの声が、沈黙を割った。
「“みんなで仲良く”って……ポルルも入ってたんじゃないかな?」
カエデが顔を上げた。
ルアの目が、わずかに揺れる。
「……その発想は、なかったわ」
「ずっと、“3人”で分けようとしてた。譲り合ってた。
でも、ポルルって……最初から、そこにいたよね。
見てたし、聞いてたし……一緒にいたのに」
「“仲間”として見てなかったんだ」
カエデがぽつりと呟く。
「だったら……もう選ぶ必要なんてないんじゃないかな」
シズハが、ケーキを見つめたまま言った。
「ポルルも呼んで、みんなで食べようよ。」
その言葉に、空気がわずかに脈動した。
誰も異を唱えなかった。
ルアが微笑んだ。
カエデも、小さく頷いた。
シズハが、そっと皿に手を伸ばす。
両手で、大事そうにケーキを持ち上げた。
「……ポルル。
あなたも“みんな”だった。わたしたち、やっとそれに気づけたよ」
その瞬間、表示が切り替わる。
《観測終了》
《目的達成:意識外思考による他者配慮》
《ミッション完了》
《完了タイム:01:14:58》
《評価:協調反応値 A / 感情負荷値 高》
《次ミッションロード中……》
「……終わった……?」
カエデがぽつりと言う。
空間の中心に、優しい鈴の音が響いた。
天井から、ふわりと何かが降りてくる。
白く丸い球体──ポルル。
「やっほ〜☆」
ポルルが、くるくると回転しながら舞い降りる。
「ほんとに、ほんと〜〜に! よく気づいたねぇ〜っ!」
「やっぱり……」
「うんっ☆ ボクも“みんな”だったの〜。
でもね、だれも“呼んでくれなかった”から……ずーっと出してたの♪」
シズハは、皿を持ったまま小さくつぶやいた。
「……そういうつもりじゃなかったけど」
「“見てた”ことに……気づいてなかっただけ」
その視線は、ポルルには向かなかった。
けれど、その声にはほんのわずかに、戸惑いと理解が混じっていた。
ポルルは、くるくると回転しながらケーキの皿に近づくと、にぱっと笑った。
「うんっ♪ “みんな”がそろった、って記録しておくね〜☆」
そして、皿の上のケーキをくるりとひと回しするように触れた。
「おやつ、おいしくいただきましたっ☆」
空間が、白く滲んでいく。
その光のなかで、ルアが静かにつぶやいた。
「……仲良くするって、そういうことだったのね」
転送が始まっていた。
シズハは、胸の奥に灯ったあたたかさを、
そっと大事に抱えたまま、目を閉じた。