第九章 誰が記録し、誰が裁くのか
新たな空間は、これまでとは明らかに雰囲気が違っていた。
広く、静かで、ただただ“白い”。
床も壁も、天井も、境界がわからないほどに滑らかで均一。
音が吸い込まれ、空気の流れすら感じない。時間が止まっているような錯覚。
中央には、椅子がひとつだけあった。
「……なんだ、これ」
カエデが低く呟く。
「椅子……?」
シズハも戸惑う。
どこにもミッションの開始表示はない。敵もいない。道具もない。
ただ、“座れ”と言わんばかりに、椅子だけがぽつりと置かれていた。
視界の上部に、やっと文字が現れる。
《最終判定試技:連携検証フェーズ》
《参加者:2名》
《条件:各自、記録内容に基づく“再証言”を行え》
《制限時間:3分》
「……再証言……?」
「記録内容って……まさか、また“あれ”を見るのか?」
次の瞬間、ふたりの視界にそれぞれ別のウィンドウが浮かぶ。
《レイン(シズハ)のログ》
・協調率:89%
・捕獲成功
・連携操作:あり
・対象:クロウと共闘
《クロウ(カエデ)のログ》
・単独行動
・捕獲成功
・連携操作:認識外
・対象:認識情報取得失敗
「……まただ」
カエデが椅子の背に手をかけながら呟く。
静かに、どこか疲れたように笑っている。
「俺の記録じゃ、お前……“認識されてない”ことになってる」
「私の方では、ちゃんとカエデがいた」
「どっちが正しいんだろうな。いや、どっちを“正しいと証言するか”って話か」
そう言って、カエデはゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「俺は……お前とやった。記録に残ってなくても、それが俺の証言だ」
シズハも、一歩前に出る。
「私も……あなたといた。間違いない。記録に反していても、それを否定する気にはなれない」
ウィンドウがゆっくりと閉じていく。
《証言受理》
《再構築中……》
——その時だった。
空間の中心に、新たな記録ウィンドウが浮かぶ。
《解析結果:記録内容に不整合あり》
《記録者の認識差を検出》
《評価基準:忠実度/連携信頼値》
《継続対象:レイン(シズハ)》
《待機保留:クロウ(カエデ)》
「……は?」
「なっ……」
ふたりが同時に声を発した。
「待てよ。なんで……シズハだけ?」
「カエデ、私……何も——」
再び音が鳴る。
チリン……ではない。重く、鉄を引きずるような機械音。
カエデの足元に、沈むような影が現れる。
「……待てって。何だよ、これ」
「ダメ、行かないで——!」
シズハが駆け寄ろうとするその瞬間、透明な壁のようなものが立ちはだかった。
見えない壁。越えられない。
そして、カエデが笑った。
「……シズハ。次、ちゃんと行けよ。今度は、ちゃんとログに残るように」
「そんなこと言わないでよ……! 私、あなたと一緒に——!」
「知ってる。俺も、同じだった」
カエデの姿が、白い霧に包まれるようにして消えていく。
最後に、ぽつりと呟いた。
「記録なんて、誰が決めてんだろうな……」
シズハは立ち尽くした。
誰が記録し、誰が裁くのか。
彼女は、答えのない問いを胸に刻みながら、ただ、そこに残された。