第六章 記録の揺らぎ
ただ、今回は崩壊の気配がなかった。
“退場”ではなく、“移行”のような静けさ。
(崩れない……今までと、何かが違う)
ミッション完了の表示が消えると、通路のすべてが音もなく溶けていった。
白い光が空間全体を満たし、足元の感触も徐々に失われていく。
ただ、今回は崩壊の気配がなかった。
“退場”ではなく、“移行”のような静けさ。
シズハはその中心で、小さく息を吐いた。
(捕まえた……)
達成感はある。確かな重みとして、手の中に残っていた。
隣にいるはずのカエデに目をやる。
彼も静かに立っていた。網を手から離し、少しだけ笑っている。
「これで、次に進める……のか?」
「たぶん。でも……変だな」
「なにが?」
カエデが目の前の空間をじっと見つめた。
その視線の先、淡く浮かぶ半透明のウィンドウがあるのが、シズハにも見えた。
空中に、まるで“画面”のように表示されたそれは、ミッションの終了とともに自動的に出現したらしい。
誰か——いや、“何か”によって提示された記録。
自分たちがどんな行動を取り、どう評価されたのか。まるで観察されていたような——そんな“ログ”。
「これ……視界に直接、浮かんでる……?」
「初めて見たな。ミッションの詳細、記録されてたのかよ……」
おそるおそる、シズハは自分のログに目を向けた。
そこには、確かに記されていた。
《記録対象:レイン(シズハ)》
《参加人数:2》
《協調率:89%》
《記憶連携:成功》
《対象捕獲:完了》
私たちは、二人でやった。
三度失敗し、やっと息を合わせて、あの標的を追い詰めた。
でも——
「……俺のほうも、おかしい」
「……え?」
カエデが自分のログを見ながら、眉をひそめる。
「シズハの名前が出てない。“単独行動”って扱いになってる。行動ログは俺だけになってるみたいだ」
「……そんな……」
シズハは自分のログを見直した。
こちらには明確に「二人で協力して成功」と記録されている。
なのに、カエデのログには、シズハの存在が“なかったこと”になっている。
「なんで……?」
「わからねぇ。でもたぶん……“世界が記録してること”と、“俺たちが体験したこと”が一致してない」
その言葉に、心の底がぞわりと揺れた。
耳の奥で、鈴のような微かな音が鳴る。
チリン……チリン……
新たな通知ウィンドウが浮かび上がる。
《次の試技領域へ進行中》
《参加者認識:現在 1名》
《連携AI:無所属(仮定)》
《補足:前回ログとの不整合を検出》
「……ねえ、私たち……本当に一緒に戦ってた?」
シズハの声が、静かに響いた。
カエデの目がわずかに揺れた。
「さあな。でも、俺はそう“思ってる”。それで十分だろ」
視界が白に染まり、ふたりの間に言葉が落ちる。
(でもこの世界は、それを“なかったこと”にしようとしてる……)