第三章 記憶は罠か導きか
(“記憶”は、武器になる。でも……)
(それだけに、逆に“足枷”にもなり得る……次はもう、通じないかもしれない)
再起動の音は、さっきより静かだった。
まぶたを開いたシズハの視界には、先ほどとほぼ同じ光景が広がっていた。迷路のような通路。鈍く光る床。壁の端末に点滅する赤いサイン。
「……戻ってきた……」
けれど、何かが違う。
同じように見えるのに、わずかに空気の流れが変わっている。
足元の金属が、一歩ごとに“感触”を変えているような気さえした。
その違和感に囚われる前に、隣から声がした。
「おい、シズハ。聞こえるか?」
振り向くと、すでに立ち上がったカエデがこちらを見ていた。
だがその目は、どこか慎重な色を帯びている。
「……さっき、反応が遅れたのは俺の読み違いだった。次は、中央を迂回して左の回廊へ回す。音誘導はそっちに張れ」
シズハは頷いた。思い出す。
——さっき、あの白い影は一度だけ“左後方”に跳ねた。
あれは罠じゃない。パターンだった。
……いや、違うかもしれない。変わるかもしれない。
(記憶はある。けど、それが正しい保証なんて……)
シズハは自分の足元を見た。
前回、ここを一歩踏み出した瞬間、振動があった気がする。
だから、少しだけ歩幅をずらす。
慎重に、一歩、二歩。
変化はない。
でも、すでに背中に冷たい汗が流れていた。
「動いた!」
カエデの叫びと同時に、白い影が壁を蹴って飛び出してくる。
鋭い、跳ねるような動き。だが今度は、シズハにも“次の一手”が見えていた。
「左、誘導準備完了!」
「よし、俺が正面で追い込む!」
通路に響く足音。二人の動きは前よりも噛み合っていた。
網のトリガーに指をかけ、狙いを定める。
(ここ……来る!)
白い影が曲がる。タイミングは完璧。
だが——
「っ!? 止まった……?」
影は、シズハの網の直前でぴたりと動きを止めた。
そして、跳ね返るように逆方向へ——
「カエデ、逃げた! そっち行った!」
「チッ、まさかのフェイントか!」
二人の連携は、あと一歩のところで崩された。
そして、再び——
ゴォォォン……
鐘の音が響く。
無情にも、時間切れ。
床が沈み、再び世界がほどけていく。
「……なあ、今の……“止まった”って……」
カエデの声がかすかに震えていた。
「……前の記憶、逆に読まれたのかもしれない」
視界が白に染まる直前、シズハは思う。
(“記憶”は、武器になる。でも……)
(間違えば、それは致命的な罠になる)