第一章 標的、跳ぶ
耳の奥で「カチリ」と何かが噛み合ったような音がした瞬間、視界が開けた。
今度の空間は、細く入り組んだ通路が迷路のように広がっている。金属の床には規則的な線が走り、天井からは淡い光が射していた。
だが、その中央——
そこに、ひとりの少年がいた。
短く乱れた黒髪。鋭い目つき。
褐色の肌に、制服の袖を乱雑にまくり上げた腕。
どこか野性味を帯びた気配をまとい、肩で息をするその姿は、この場所に生きている存在のように見えた。
「……カエデ……?」
思わず声が漏れた。
少年がこちらを振り返った。その瞳が、シズハの視線を射抜く。
「おお、ついに顔合わせか。声だけだったもんな」
軽く、口の端を上げる。
どこか懐かしさすら感じさせるその声音に、シズハの鼓動が跳ねた。
(これが……カエデ?)
以前、壁越しに交わした声。
硬さのなかにあった優しさ。真っ直ぐすぎて、どこか不器用な口調。
だが今、目の前にいる彼は——想像していたよりもずっと「現実」だった。
もっと、荒っぽくて。
もっと、強くて。
だけど、どこか——危ういほどに、まっすぐだった。
「顔、ひきつってんぞ。……俺、そんなに怖いか?」
不意にカエデが笑った。
その無防備な笑みに、シズハは言葉を返せなかった。
——やっぱり、違う。
声だけじゃ伝わらなかった。
この人は……ちゃんと、ここにいる。
その時、電子音が鳴り響いた。
《制限時間:5分。標的捕獲ミッション開始》
表示が消えるのとほぼ同時、通路の奥で何かが走り抜けた。
空気を裂くような跳ね音。白く、素早く、低く構えた影。
「……今の、なにか……」
シズハが息を呑んだ。
「たぶん、あれが“標的”だ」
カエデの声は低く、目を細めて影の動きを追っている。
「動き速いな……でも、パターンがあるかも。追うぞ」
そう言って、カエデは風のように駆け出した。
シズハの足が、一瞬遅れる。
その背中を見送りながら、心の奥で小さく囁く。
(……一緒にいるって、こういうことだったんだ)