第二章 最初の一歩と鐘の音
音を立てるな——
その警告は、ただの表示ではなかった。
空間そのものに刻まれた“掟”のようなものだった。
(歩かなきゃ……でも、足音が……)
シズハは立ち尽くしていた。背後の壁から冷気がじわじわと這い寄ってくるようで、逃げ道は前しかないことを、体が察していた。
通路の奥。揺らぐ光は淡く、まるで“誘ってくる”。
けれど、その先に何があるのかは、一歩目を踏み出すまでわからない。
(静かに、静かに……)
そっと右足を浮かせ、床へ下ろす。
爪先から踵へ。まるで命綱を渡るような緊張のなかで、足裏に金属の冷たさが伝わる。
無音。
息を殺す。鼓動が耳に響く。
何かが——何者かが、こちらを“聞いて”いる気配がした。
もう一歩。
ゆっくりと。焦るな。慎重に。
だが——。
カツッ。
小さな、けれどあまりにも鮮明な音が、空間に弾けた。
(……ッ!?)
足の端が床の継ぎ目の“縁”にわずかに触れた。ほんの数ミリ、角度が狂っただけ。
だが、それはこの世界にとっては致命的だった。
瞬間——
ゴォォォォォン……!!
鐘の音が、世界を打ち抜いた。
空気が震える。壁が震える。自分の内側すら、震えた。
「っ、あ……ッ」
叫びかけた声は、音の奔流にかき消された。
視界が白く染まる。表示が滲む。数字が乱れ、文字が流れる。
「音認識:違反」
「残り猶予時間:停止」
「判定:失敗」
「再起動準備中」
(なに……? 私、失敗……?)
身体が浮く。
重力が消えたわけではない。空間の“下”が、すべて剥がれ落ちていく。
床が反転し、壁が溶け、構造が崩れる。
まるでこの部屋は、“ミスを起こした存在”を包む器として仮の形を保っていただけで、罰が下った瞬間、維持する意味を失ったかのように。
ゴォォォォォン……!!
再び鳴る鐘。その音はもはや物理的ではない。
耳ではなく、胸の奥深く、魂の臓にまで届いてくる音だった。
(やだ……いや、やめて、そんなの……!)
叫びは出ない。声帯が震えたとしても、この世界には“響かせる自由”すら許されない。
そして、全てが——白に溶けた。