第一章 静寂の目覚め
最初に覚えたのは、空気の気配だった。
冷たくも熱くもない、完璧に整えられた空気。呼吸をしても、肺に風が通る感触が希薄で、どこか“作られた”空間のように感じられた。
シズハ・レインは、暗い中でゆっくりと瞼を開けた。
(……ここは……?)
視界の端がまだ霞んでいる。感覚が全部、“一歩遅れて”やってくるような違和感。
硬質な床。金属の匂い。
手を動かす。動く。だが、自分のものじゃないみたいにぎこちない。
(動ける……でも、なんで私はここに……)
名前はわかる。“シズハ・レイン”。
けれど、それ以外が空白だった。
家族は? 年齢は? なぜこの場所に?
(……なんで、何も浮かばないの)
恐怖というほどではない。だが、心の奥にじわじわと染みてくる“異常”の気配。
静かすぎる。音がない。風の流れだけが、まるで“誰かの息”のように這ってくる。
それが皮膚に触れるたびに、シズハの鼓動がほんの少し速くなる。
彼女は慎重に上半身を起こし、あたりを見渡した。
壁も天井も、継ぎ目のない金属面。すべてが無機質で、まるで“閉じられた棺”の中のようだった。
ただ一つ、奥に延びる通路。その先にだけ、微かに明滅する光が見える。
その瞬間、視界に白い文字が浮かび上がった。
「音を立てるな」
「残り猶予時間:00:59:59」
(……猶予? 何の?)
喉がひくりと動いた。唾を飲む音すら、この空間では許されないような気がした。
シズハは目を細め、奥の通路を睨む。
光は瞬いている。心臓の鼓動に似たリズムで。
(この空間……ただの部屋じゃない。何かがおかしい。何かが……待ってる)
背筋に冷たい感触が這い上がる。
そして、視界の隅に再び浮かぶ。
「残り猶予時間:00:58:04」
「音を立てるな」
(時間が減ってる……。これは“制限”だ)
急かすように、静かに、確実に。
無音の死神が、猶予を刻んでいる。
彼女は立ち上がった。
この場に留まる選択肢はなかった。ただし、音を立てずに進まなければならない。
ふと、胸の奥からことばが漏れた。
「……ほんとうに、誰のための世界なんだろう」
沈黙がそれを呑み込み、応えはなかった。
それでも、彼女には感じられていた。
ここには、“誰か”の意図がある。
そしてそれが、じわりと忍び寄ってきている。