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今日は短めです。
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フィルは悩んでいた。ダニアを囮にするという指示は、フィルがヴァストークからメティへ送った「ロンには好きな女がいる」という、ロンの弱点に関する報告がきっかけで出されたものだ。つまりダニアが今人質になっているのはフィルのせいだとも言える。
日に日にやつれていくダニア。
無理に微笑んでルイス料理長の手伝いをしているダニア。
チョコレートは王都の貴族しか食べられない超高級輸入品だというのに、それを作って振る舞ってくれたダニア。
サルミス騎士団の騎士たちから体調不良を訴える者が減ったのも、ダニアが来て塩に頼った味付けからフォンをベースにしたものへ、そして薬草や香辛料を使った料理へと替わり、明らかに上がった食事レベルになってからだ。これまで出されなかった野菜に嫌悪感を示す騎士もいたが、おいしく料理されていればみなペロリと平らげる。ロンたちが「食の女神」と言っていたのもうなずける。そして、何よりもフィル自身が完全に胃袋をつかまれていた。
もっとも、胃袋をつかまれていたのはフィルだけではない。最近ダニアの傍に行っては、「メリッサちゃんは何が好きなの?」「メリッサちゃんと遊びに行きたいけれども駄目かなあ?」等、ダニアの気を惹こうと話しかけてダニアを困らせている騎士が何人もいるのだ。フィルはそういう騎士たちを追い払ってダニアが仕事に専念できるようにしている。だがダニアはフィルが来ると怯えと安堵という完全に矛盾した目でフィルを見る。怯えは仕方がない。ここまで連れてきたのは自分だし、『ハティ』の手先として状況によっては殺すとまで言ったのだ。ダニアが怯えない方がおかしい。
フィル自身がダニアとの関係を諦め気味だからだろうか、最近出入りするノトスからきた納入業者とダニアが妙に親しげなのが癪に障った。特に親しげなのは商人の方だが、ダニアも嫌がる素振りは見せない。何となくおかしいと思った。いつものフィルだったら、ダニアに近づく男がいると『ハティ』にすぐに報告していただろう。だが、フィルにとっては、ザカリーという男はダニアのことが気になる男の1人に過ぎなかった。商人の男の方に、ダニアに気があるのかどうかもう少し調べよう、等と悠長なことを考えてしまったのだ。
フィルはロンが虫除けに必死だと言っていたアルテューマ騎士団の騎士たちの話を思い出し、ロンの気持ちが分かると思った。そして『ハティ』の目から逃れられたら自分もこの思いを告げられるのに、とも思った。ダニアを解放してやりたいという思いはあるが、『ハティ』を統べるマクシーンの魔力と魔術の力は侮れない。下っ端の自分にはマクシーンの魔力量は分かっても、魔術の精度などはさっぱり分からないが。
うだうだしながら3日が過ぎた。今日もダニアはフォンダニョーを作り、手に入れたローズマリーと古くなったパンを削って作ったパン粉を使って、ラムチョップの香草焼きを作っている。ラダが入ってから格段に肉の臭みが消え、ラムやマトンに抵抗感があった人でも美味しく食べられるようになった。香草や香辛料の値段は安くはないが、ローズマリーは挿し芽でも増える。春先か秋の暑さが過ぎた頃に、穂先を15センチほどにカットして地面に触れる部分まで葉をこそげ落とし、直射日光の当たらない地面に植えておけば、1ヶ月ほどで発根を始める。3ヶ月もすればしっかりと根が付く。移植できないのがローズマリーの難点だが、植える場所を最初からきちんと選んでおけば香りの良い生け垣にもなる。とはいえ、寒冷地のサルミスでは鉢植えにして冬は家の中に入れた方が無難だ、とザカリーも言っていた。
「ラムとローズマリーは相性がいいんですよ。だから、これからはサルミスのどの家もローズマリーを常備するといいと思うんです。」
ザカリーはそのために、乾燥したハーブの状態のものではなく、苗の状態のローズマリーも持ってきていた。春になって温かくなってからの方がいいが、少しでも増やしたいなら今からでも、と言って、ダニアは苗の穂先を切って水揚げし、挿し芽を植えていた。ヴィンスの所にも苗を置いていき、植物を育てるのが上手な人に預けるようにと言っていた。ザカリーは役に立つ。このサルミスの地で、ダニアがフォンダニューやハーブを使った羊肉の料理を出し始めてから、羊肉や羊のチーズをよいものと見なす住民が増えた。ワシらの土地の重要産業だ、と言い出す爺様まで現れたと聞く。騎士団同様に疲れやすかったり風土病だと思われていたりした症状を持つ住民がサルミスには多かった。ダニアのアドバイスによって騎士団とヴィンスの店を通じ、各家庭に食生活改善のためのレシピが広がったことで、住民も少しずつ健康を取り戻していた。ダニアには感謝しきれない。ザカリーにも感謝だ。自分は・・・フィルは自分がいかに卑怯な人間かということをただただ痛感させられていた。
食堂の外のベンチで少しだけ温んだ風に吹かれていた時、ツンツンと袖を引かれた。
「どうした?」
ダニアがローズマリーの小さな鉢を1つ持っていた。
(最近、フィルさんとても疲れているでしょう?ローズマリーにはリフレッシュ効果もあります。嗅ぐだけでもいいけれども、少しだけ葉っぱに触れるといい匂いがするんです。この子を預けるので、夜、フィルさんの所で少し温めてあげてもらえませんか?厨房だけだと、何かあった時にせっかく増やしたローズマリーがなくなってしまうかもしれないから。)
メモを見せたダニアに、フィルは手を伸ばそうとし、その右頬の傷にはっとした。そうだ、この傷は自分たちの仲間が付けたものなのだ。
「俺のことまで気に掛けてくれてありがとう。俺のこと、怖いだろうに。」
ダニアがビクッとする。言わなくていいことを自分で言って自分が傷つくなんて馬鹿だな、とフィルは内心で自嘲する。ダニアは小さな鉢植えを手渡すと、お辞儀をしてさっと食堂に戻ってしまった。掌に収まるほど小さな鉢植え。これは少し大きくなったら植え替えてやらねばならないだろう。まるでダニアの分身のようで、フィルはそっとその香りを嗅いだ。清涼感のあるその香りに心が洗われる。
ダニアを助けよう。もし『ハティ』から何か良くない指令が下りたら、それに抵抗したい。魔術を掛けられたら自分の思うように動けるか分からないが、ダニアが逃げる時間くらいは確保してやりたい。「温度変化」をどう使えば効果的か、今から考えておこう。フィルは小さな鉢をそっと包むようにして自分の部屋へと運んだ。
・・・・・・・・・・
ザカリーがアルテューマ騎士団の一行の元に戻ってきた。翌朝、ロンたちダニア救出班がザカリーの荷馬車に乗り込んだ。荷馬車は3台用意した。
「ここから先にザカリーを巻きこむこと、申し訳ないと思う。だが、今回の作戦にはザカリーの協力がどうしても必要なんだ。」
「ダニアさんのためなら、構いません。成功の暁には、危険手当ということで少し色を付けていただければ。もちろん、ダニアさんが私を選んだ場合には邪魔しない、というのも入っていましたよね?」
「うっ・・・ダニアの意志が何よりも尊重される、だよな?」
「はい。サルミスでもいい取引ができましたから、次の取引がなくなったとしても向こうから求めてくるでしょう。ダニアさんにとって、サルミスでは羊料理の研究をするのが心の安らぎのようでした。」
「そうか。」
ロンは空を見上げた。朝日がまだ稜線に近いところにいる。
少しだけ、あと少しだけ待っていてくれ。
空はダニアのいるサルミスとも繋がっている。フィーニスがロンの左肩に、まるで猛禽類のような威厳で止まった。
「行こう。こちらが時間通りに動かないと、本拠地を叩く部隊が動けない。」
荷馬車は静かに朝焼けの中を走り出した。
読んでくださってありがとうございました。
次回救出作戦。
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