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ダニアのフォンドブフをベースにして作ったビーフシチューは殊の外好評で、テレンス団長からもお褒めの言葉があった。ルイス料理長も機嫌がいい。ダニアは美味しかったと言われても素直に喜べない自分が苦しかった。表情を見られないようにしなければと思えば思うほど、俯きがちになっていった。
その夜は吹雪だった。翌朝目覚めたダニアは初めて見る雪景色に目を見張り、そしてこの冷たさは故郷でもアルテューマでも経験できない冷たさだと思った。サルミスは乾燥地帯なので雪は珍しく、食堂の中にいても町の子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。本来は快活なダニアだが、誘拐されてからはどうしても後ろ向きな思考パターンに陥りがちなダニアは、虚ろな表情のまま厨房に入った。ダニアには食堂の隅の一室を宿舎としてあてがわれているので、外に出る必要がない。他には誰もこの食堂に住んでいないので、1人というのは今のダニアにはうれしかった。人との繋がりは強くなれば強くなるほど、ネガティブな方面に動いた時に憎しみや恨みが深くなる。この地を去る時に罵られながら出ていくのも嫌だし、後々まで陰口を言われるようになるのは辛い。この地をダニアも嫌いになりたくない。朝の冷たい空気が、ダニアの心まで冷やしていくようだ。
頬を思い切りパンと叩いた後、ダニアは気持ちを入れ替えた。いけない、こんなネガティブになっている時間はない。なにせ今日からフォンダニョー=羊のフォンを作ることにしているのだ。牛より多少癖はあるが、煮込みが4時間から6時間くらいで済む。夕方からの仕込みでも翌朝には間に合うのだ。作り方はフォンドボーやフォンドブフと基本的には同じだから、トラヴァーさんから知識として教えてもらってはいたが、実際に作ったのは今日が初めてで、どんな出来になるのか楽しみだ。それに、牛は高いが羊は地元のものだから安くて新鮮なものが入る。伝統メニューにはラムチョップもあるが、あれはハーブ、せめて胡椒だけでも手に入ればもう少し食べやすくなるのに、とダニアは思っている。意に染まぬ形でサルミスに来ることになったが、どうせならこの地ならではの食材や料理に触れたい。料理研究家ダニアの意地の見せ所だ。
「おはようございま~す、ヴィンスで~す!」
気の抜けたような声で厨房に声を掛けたのは、食料品店の店主ヴィンスだ。後ろに誰かがいるような気がして、ダニアはヴィンスの後ろを気にした。
「ああ、サルミスに初めて来た行商なんですよ。メリッサさん、薬草とか香辛料がほしいって言っていたでしょう?ちょうどいいから、直接取引してもらおうと思って。」
ぬっと姿を現したその人に、ダニアは思わず叫びそうになった。声が出なくて良かったとさえ思ってしまった。
そこにいたのは、ノトスの商人ザカリーだったのだ。ザカリーの目は泣きそうでもあり、怒っているようでもあり・・・だがザカリーは何かを知っているようだ。ダニアの名を呼ぶことも、知り合いだという素振りも見せなかった。
「初めまして。南のノトスにあるボルシュ商会のザカリーと申します。ノトスで取れるハーブや香辛料を取り扱っています。ご入り用だとヴィンスさんから伺い参上致しました。見ていただけますか?」
足が震えるが、ザカリーの荷馬車に近づいたダニアは、胡椒の香りに気づいた。
いい香り。胡椒はやっぱり必要だわ。
大きく息を吸い込むダニアを見て、ヴィンスが笑った。
「食材のことになると、メリッサさんは本当に周りが見えなくなるね。」
「こちらの方は、メリッサさんとおっしゃるんですか?」
ザカリーの目が意味ありげに光った。
「ええ、騎士のフィルさんが連れてきたんですよ。話せないけれども料理の腕は確かだからって・・・。」
「そうですか、メリッサさん、よろしくお願いしますね。では、ヴィンスさんはそちらで納入していてください。私はメリッサさんに商品を見てもらいますので。」
「ああ、わかりました。」
ザカリーが荷馬車の方にダニアを連れ出してくれた。声が聞こえないと思われる所まで来ると、ザカリーはダニアを馬車の影に隠した。
「ダニアさん、どうなっているんですか?」
だが、ダニアは話すことができない。書いてもマクシーンの目がどう光っているか分からないから怖い。カタカタと震えるばかりのダニアの右頬に大きな傷があるのに気づいたザカリーは、そっとその傷に触れた。
「やられたんですか?」
頷くくらいなら大丈夫だろうか。ダニアは小さく頷いた。
「話せないのも、誰かのせい?」
こくん。
「本当は今すぐにこのまま連れて逃げたいけれども、どうやら厄介な相手らしいのでちゃんと準備する必要があるんです。必ず助けるから、待っていてください。」
ダニアは思わずザカリーの袖を掴んだ。優しい顔に戻ったザカリーが、上から包むようにその手に触れた。
「アルテューマ騎士団が動いています。いきなり来たら怪しまれるので、まずは私が商人として入り込み、様子を見ることになったんです。大丈夫、納入として何回か来ますよ。ね?」
ダニアは頷いた。
「声は出さないでいるんですか?」
首を横に振ったダニアを見て、ザカリーの顔が再び険しくなる。
「声を出せないようにされたんですね。そろそろ時間切れかな?」
ヴィンスが様子を見に来たようだ。
「メリッサ、欲しい物はあった?」
ザカリーが代わりに答える。
「ええ、ラダとローリエとローズマリー、それにクローブがほしいそうです。他にもないか聞かれましたので、また次の納入の時に宿に置いてある分をお持ちしようかと。」
「よかったな、メリッサ。」
ダニアが欲しいものを、ザカリーはよく知っている。ダニアは頷いた。
「じゃ、この箱、今日の納入分な。請求はうちでまとめるから心配しなくていいよ。」
「メリッサさん、また次もよろしくお願いしますね。」
にこやかに、だが心配の色を隠さない目で、ザカリーがダニアを見る。ダニアは微笑んだ。2人を見送るダニアは、南の国ノトスの人であるザカリーがこの寒いサルミスに、それも年に数度の雪の積もった日に、ダニアを探しに来てくれたことがうれしかった。アルテューマ騎士団も動いていると知って心強さを感じた。一方で、これから何が起きるのか、全く先が見えない不安も大きくなった。ダニアはザカリーから渡された箱を持って厨房に戻った。今自分にできることは、この薬草や香辛料を使って、美味しく病気を予防できる食事を作ることだけだ。
・・・・・・・・・・
ザカリーはその後2日ほどサルミス騎士団に顔を出した後、国に戻ってまた商品を揃えてくる、と言ってサルミスを立ち去った。サルミスと王都の中間地点の町で待機していたロンたちアルテューマ騎士団のチームと合流すると、ザカリーは今や遅しと待ち構えていたロンに、旅装を解く時間も与えられずに報告させられた。
今回、アルテューマ騎士団が率先して動くと『ハティ』に対してもサルミス騎士団に対しても問題が起きる。何より総騎士団からの邪魔が入る可能性がある。私的な行動と取られれば懲罰対象になる恐れさえある。だがそこはアレクサンダー団長が、騎士団内の人間の誘拐、それに『ハティ』が関わっている可能性を示唆しながら説明してくれることになっている。
「ダニアさんは、確かにサルミス騎士団の厨房で働いていました。料理長1人とダニアさんの2人で回しているようです。ダニアさんは『ハティ』の魔術師によって声を奪われ、話すことも叫び声を上げることもできません。サルミスの騎士団長から、緊急時に吹くための笛を与えられています。ダニアさんをサルミスに連れて行ったのは、フィルという騎士で間違いありません。食糧を納入している業者からも確認が取れています。それから、・・・。」
言い淀んだザカリーに、ロンが続けてくれ、と言った。
「ダニアさんですが、『ハティ』で何らかの暴行を受けたらしく、右頬に大きな傷ができていました。あれはもう治らないかと。」
ロンの拳が机を叩いた。そんなことをしても何にもならないと分かっているが、ロンは怒りを鎮めることができなかった。
「ダニアさんには、アルテューマ騎士団が動いていることを伝えてあります。ですが、何故か絶望的な顔をしていましたし、何かに怯えていました。魔術師から何らかの暗示を掛けられているか、何か動けばそれがすぐに分かるようになっているか、フィルという騎士に監視でもされているのか・・・それにしても、そのフィルという騎士を何度か食堂近辺で見かけましたが、あれは監視しているというよりも、守ろうとしているような、切なそうな、そんな目でしたねえ。」
しんと部屋が静まりかえる。ロンの体からまるで冷気が漏れ出したような寒気を、全員が感じていた。
「副団長、俺たちにそんなもんぶつけてもな~んにも解決しませんよ。」
エヴァンの声に、ロンははっとした。ようやく収まった寒気に、みんなが洗われた後の犬や馬のように身震いする。
「作戦を立てよう。」
ロンの後ろで控えていたフィーニスが、何か考え込んでいる。ロンはそれを横目に見ながら、ダニア奪還作戦を立て始めた。
それにしても、なぜフィルが?ロンの疑問はただ大きく膨らむ一方であった。
読んでくださってありがとうございました。
第一部は30話で終了予定です。
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