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「やった~っ! 合格したぁ~!」
私は小躍りしながら母に電話を掛けた。
「お母さん? 私! 合格した! これで調理師の夢にまた近づいたよ!」
私はどうしても行きたかった調理専門学校の合格を、高校の帰りのSHR後に担任の先生から知らされた。浮かれて母に電話したところまでは良かった。浮かれすぎた私は、電話に夢中になって周りを見ていなかった。そのまま赤信号を無視して道路を横断し始めたのだ。
「危ない!」
誰かが叫んだような気がする。だが、私は同時にトラックに跳ね飛ばされていた。スマホが手から離れていく。横目に、赤信号が見えた。
馬鹿だな、私。せっかく夢実現のための第一歩を踏み出そうっていう時に、何やっているんだか。
そのまま、私の意識は途切れた。多分、死んだのだろう。
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そんな前世の記憶を(残念ながら)持って生まれ変わった私ダニアは、食に異様な興味を示す子として、ちょっと、いやそれなりに変人扱いされながら育った。生まれ変わったのはダニアの前世が知る世界ではなかったが、食材はそれなりに共通していたように思う。ただ、味付けは塩か酢かバター。スパイスやハーブもあまり普及していないようだった。バターを使った料理が御馳走とされたが、ただ重たいだけ。こんなものばかり食べるせいか、この国の上流階級・金持ちの商人などは、みんなお腹周りに脂肪を蓄え、突然死する人が多かった。高コレステロール状態から起きる高血圧状態になり、脳溢血や心筋梗塞で倒れているのだろう。
ダニアは前世で叶えられなかった夢を叶えたいと思っていたが、女1人で店をスタートさせるのはなかなか難しいものらしい。あまり料理が発達していないこの世界でも、もちろんそれなりに美味しく食べさせてくれる人はいる。例えば、同じ町で食堂をしているトラヴァーさんは、バターを控えめにしながらもハーブを使った料理を開発し、宮廷でも料理人をしていた人だ。おいしいと言っていたくせに、「草」を使うとは何事かと王子様からクレームが入り、クビになってこの町に流れてきたのだと言った。
ダニアはトラヴァーさんがこの町に流れ着き、食堂を始めたその日から、トラヴァーさんの店に入り込んだ。もちろん初めは追い払われたが、8歳のダニアは頑として動かなかった。手伝うから料理を教えてほしいと頭を下げ続け、トラヴァーさんが1人で切り盛りする裏で勝手に食器や鍋を洗い、1年粘って弟子入りを許可された。両親は慌ててトラヴァーさんに謝りに行ったが、トラヴァーさんは両親にこう言ってくれたらしい。
「あの子は料理を心の底から愛している。あの子が作った卵料理、食べたことがあるかい? 優しい味がするんだよ。9歳であんなものが作れるんだ。しっかり仕込めば、世界が変わるような料理を作るかもしれない。私は宮廷から理不尽に追い出されたが、この子が世界を変えたら私の努力も報われるような気がするんだ。弟子とは言っても、従業員として扱うから、給料は渡す。あの子が将来店を開く時のために、しっかり貯めてやってほしい」
両親は、ダニアが作ったオムレツのことだと気づいたようだ。卵焼きはあったがオムレツを両親は知らなかった。ダニアのオムレツは、生ハムを刻んで一晩少量の水につけ込んだものと、牛乳と生クリームを入れて作る。ふわふわしていて、ナイフで横に切るととろとろとした卵が広がるのだ。その様を見るだけでも両親は驚き、そしてどうして教えてもいないのにこんなふうにフライパンが扱えるのかとずっと思っていた。
この子にとって、料理は命なのだ。きっともって生まれた才能があるはずだ。
両親はよろしくお願いします、と頭を下げてくれた。そしてダニアに、絶対に途中でやめては駄目だ、と言った。トラヴァーさんのような人に料理を教えてもらえるなんて、運のいい奴だとも言った。こうして、ダニアの修行が始まった。
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「ダニア! コンソメが沸騰する!」
「すみません!」
ダニアは18歳になっていた。トラヴァーさんとこの店で9年、前世の記憶を頼りにコンソメやトマトケチャップ、ウスターソースなどを完成させながら、新たな料理の開発にいそしんでいた。ウスターソースはなかなか開発に手こずったが、一度口にすればその味に誰もが美味しいと言ってくれ、販売までするようになった。製造は両親に頼んで信頼できる職人さんに任せ、信頼できる商会を通じて販売することにした。開発者であるトラヴァーさんと私の元には、レシピ開発料として売り上げの1パーセントが払われる。トラヴァーさんはダニアの成果だと言ったが、ダニアは弟子として教えてもらったことの方が多く、授業料だと言ってこちらも譲らなかった。最後にはトラヴァーさんも苦笑いをして、本当にダニアは頑固だからなあ、といって折れてくれた。これで向こう50年、トラヴァーさんがこの店をたたんだとしても、一定の収入が入る。ダニアなりのお礼のつもりだった。
将来も明るい。料理は楽しい。トラヴァーさんのお店で働きながら技術を磨き、ダニアは毎日楽しく暮らしていた。だから、こんな日が来るなんて思っていなかった……大地震が起きてダニアのいた町がなくなってしまうなんて。
ダニアはその日、トラヴァーさんと契約したタマネギ農家にタマネギを取りに行っていた。突然鳥たちが騒いで飛び立った。あれ、と思った時には、地面が激しく揺れた。前世でも大きな地震はあった。ダニアの前世はせいぜい震度4程度までしか経験していなかったが、きっと巨大地震といわれるレベルのものだったに違いない。畑の中にいたダニアは、遠くで建物が次々と倒壊していくのを見た。そして、山が崩れ、大地に亀裂が入り、片方が隆起して段差ができていくのを、呆然としながら見つめていた。
ダニアは農家さんに店に戻ると告げて、急いでトラヴァーさんの店に戻った。地割れやら段差やら壊れた建物やらで、走れば10分ほどの道なのに1時間もかかった。そして、トラヴァーさんの店に戻った時、店は跡形もなく壊れ、隣の建物と混ざり合ってもうどうしようもなくなっていた。トラヴァーさんの名を呼んだが、全く返事はなかった。埋まってしまったのだと理解した。ダニアは両親がいるはずの家に戻ったが、家も同様だった。みんなで声が聞こえる所に行っては建物から人を助けたが、助けても時間が経つうちに具合が悪くなって死んでいく人の方が多かった。この世界のみんなは知らないだろうが、挫滅症候群だ。こうなると分かっていても、医療知識のないダニアにはどうしたらいいのか分からない。助けてという声に応えるしかなかった。もう一度トラヴァーさんの店に行ったが、やはり声はしなかった。ダニアは商会やソース作りを託した職人さんを尋ねたが、どこにも見つからなかった。
生き残ったのは僅かだった。元々300人の小さな町だったが、数えてみれば生き残ったのはたまたま外にいた20人くらいしかいなかったのだ。ダニアたちは呆然としたまま、夜を明かした。近くの騎士団から救助のために騎士さんたちが来てくれたのは、3日後だった。この町が一番ひどい状態だと騎士さんたちは言っていたが、ダニアたちはそんなことどうでもよかった。これからどうしたらよいのか、全く考えつかなかったからだ。
3日後、新たな補給品を持ってきた騎士さんが、王様からの言葉を伝えてくれた。
「王都はそれほど被害がありませんでしたので、生活の目処が付くまでとはなりますが、希望者は王都で住居を提供されます。最長3ヶ月、この間に仕事を見つけてください。4ヶ月目から家賃を払うか、別の所に出ていくか、選んでもらう形になります」
ある意味集団移転計画である。農家さんたちは畑が使えるのでこのまま残るそうだが、ダニアは王都に行く方に手を挙げた。王都に住める!とダニアは心躍った。
「お嬢さん1人だが、いいのか?」
周りを見ると、ダニア以外に手を挙げた人はいなかった。
「せっかくの機会ですから、王都で働いてみたいと思います。師匠も、両親も死んでしまったので」
「そうか。大変だったね」
こうしてダニアは騎士さんたちと王都へ向かうことになったのだった。
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