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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灰被り

作者: 鈴名可疎

自殺描写がありますが、本作は自殺を推奨するものではありません。苦手な方はご注意ください。

 テレビのニュースは三日前からずっと、九州地方の火山の噴火で持ち切りだった。噴き上がる煙と、煮えたぎる溶岩と、灰に包まれた町が、繰り返し画面に映る。

「確認されているだけでも死者は150名、未だ所在が分からない方は1800名ほどに上ります」

こんなことを言ったら良くないんだろうけど、僕には関係の無いこと、どうでもいいことだと思ってしまう。けれど、灰に塗れた町に灯る明かりだけは、なんでかとても綺麗に見えた。


 大学を卒業するまでは、順風満帆な人生だった。第一志望の高校、第二志望の大学に入学して、適当に部活をやって、友達と呑み明かして。就職だってなんとかなると思っていた。そして実際なんとかなった。ただ、会社の社風がどうにも性にあわなくて、結局それは体を壊すという形で表面化した。


『体調はどうだい』

『……すみません、部長。すぐに治します』

『こんなことは言いたくないけどね。そういってもう何ヶ月経ったと思ってるのかな』

『っ、すみません、ごめんなさい』

『申し訳ないけどね、うちも会社だから。働かない人間に席を残しておけるほど、余裕があるわけじゃないんだよ』


 それからしばらくして、体調は元に戻った。ただ、一度踏み外した社会のレールには、何をどうしても戻ることが出来なかった。


『誠に恐縮ではありますが、今回は採用を見送らせていただくことになりました』

『厳正なる選考の結果、遺憾ながら不採用とさせていただくことになりました』

『大変恐縮ではございますが……』

『今回は……』


『今後のご健勝を、心よりお祈り申し上げます』





「また寝てるの? 寝すぎるのも体に良くないよ」

ドアが開く音がして、予想通りの声が響く。付けっぱなしにしていたテレビはいつの間にかバラエティに切り替わっていた。帰ってくるのはいつも大体八時ごろ。どうやら五時間も眠っていたらしい。


「……うるさいな」

「昨日だってずっと寝てたのに。SwitchとかPSとか、ゲームでもすればいいじゃん、暇でしょ」

君には関係ないだろ、なんて言いかけて、そんなわけが無いことに気がついて黙った。だって僕は、彼女のヒモなんだから。


「作り置きしてたやつあるからご飯にしよう。冷蔵庫にラップしてあるからチンしてくれる?」

宿泊費無料、衣料支給制、三食昼寝付き。掃除やら洗濯やらといった家事を頼まれるわけでもなく、かといって恋人のような振る舞いを求められるわけでもない。なんだか知らないけど生かされていて、ただ淡々と日々を生きている。


「ごめん。また、落選通知来た」

「そっか。あ、カレー甘くない? 一味あるよ」

「……大丈夫。むしろちょっと辛い」

「え、あ、中辛派?」

「うん。でも美味しいから平気」


 彼女がそうやって受け流すのは多分、意識的にやっていることなんだろうと思う。僕が痛みに気付かなくても済むように。社会からの孤立感を、日常の風景で中和するように。


「ねえ」

なんで優しくしてくれる。なんでなにも望まない。喉元まで迫る言葉を押し殺して、僕は言う。

「やっぱり一味、取って」

辛くても良いから。




 僕はクズだ。社会のゴミだ。早く死んでしまうべきだ、彼女の負担を考えろ。わかっている。わかっているけど、なんでか、死にたくない。




 それは、火山の噴火から一週間が経って、テレビももう断片しか伝えなくなったような日に起きた。

いつものごとく惰眠を貪る僕の背に、ドアが開く音が刺さる。彼女が帰ってきたのだ。けれどいつもと違って、なんの声も聞こえてこない。


「……」

鞄を置く、手を洗う、生活音だけが騒ぐ。

「……おかえり」

不安になって彼女の方を見ると、いつもと変わらない笑顔がそこにあった。


「ただいま。珍しいね、おかえりって言うの」

「それは君の方だろ」

「え、なにが」

「帰ってきても何も言わないの。いつも、寝すぎとかなんとか言ってくるくせに」

「いや、そういう気分の日もあるからさ」


 何一つ態度には表れない。手がかりはただ、帰ってきてから何も言わなかったというそれだけ。でもそれだけで十分、なにかがあったことはわかった。


「どうしたの」

「なにが?」

「ヒモでも話聞くくらいは出来るから」

「いや、別に聞いてもらう話なんてないよ」


 なんでだ。僕はそんなに頼りないのか。そりゃ、社会にも馴染めなかったようなクズだけど。


「なあ、言うくらいはしてくれよ」

「だからなにもないよ。いつも通り」

「嘘つくなよ、なんで」

「なにもないってば!」


 彼女が叫んで、時間が止まった。一瞬だけ表情が崩れたような気がしたけれど、やっぱり彼女は笑顔で、それが答えだった。


「なにもないよ。ご飯にしよう」

その日の夜は、さほど辛くない麻婆豆腐を食べた。



 知っている。知っていた。もう半年、こんな生活をしているんだから。彼女にもたまにそんな日がある。身体には表れないだけで、言葉にはしないだけで、漠然とした痛みを抱えてくる日が。夜になると聞こえてくる息遣いは、確かに泣いている時のそれだった。



 結局、噴火による死者は1000人を超えたらしい。それだけの命を喰った山は、全てを忘れたみたいに、また熱い炎を溜め込み始めている。




「行ってきます!」

彼女は言ってドアを開けた。部屋には、僕の分のトーストと目玉焼き。昼ごはんはレンジにあるよ、なんて書置きが残されている。トーストを齧り、目玉を破いて、そうして僕は腹を括った。



 近くのホームセンターで安い縄を買う。安いと言っても丈夫さは折り紙付き。触り心地は最悪だった。


 それから、部屋に残った僕の痕跡を全て消すことにした。例えば歯ブラシだとか、男物の服だとか、彼女のお金だったことを思えば申し訳なかったけれど、そういうものをゴミ袋に詰めた。


 別れは告げなかった。お礼も言わなかった。感情の機微に聡い彼女なら、片付いた部屋を見れば、気づくだろうと思ったから。


 僕の足で行ける範囲は、せいぜい二十キロくらいのもの。その中に丁度いい森があったことは僥倖だった。昼の光が射し込まない場所までは行こうと決めて歩を進める。行けば行くほど暗くなるそれを、なんだか心みたいだな、なんて思った。


 最後に彼女の笑顔を願えたから、僕の人生は、多分それなりに幸せなものだったんだと思う。

ありがとうございました。

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