のじゃロリ年金受給相談
※この作品は2021年3月末時点での法令を元に書かれています。
「申し訳ない、国民年金の受給申請をしたいのじゃが」
ある晴れた日の昼下がり、その方は唐突に市役所の窓口へと現れた。
私は初め子供のいたずらかと思った。
なぜなら、その方は小学三年生程度の身長しかなく顔立ちも大変幼いものだったからだ。
「そうじゃ、わしの国民年金の受給申請じゃ。断じて家族のものではない」
和服と言ったような召物を着ており、オレンジ色とも茶色ともつかぬ髪色にキツネの耳のようなものを生やしたその方は、窓口担当である私の質問にこう答えた。
国民年金とは1961年に始まった、日本国内に住む20歳以上60歳未満のすべての人が加入して社会全体で支え合う公的な制度である。
40年間保険料を納め続けていた場合、現在年間約78万円支給される。
「かしこまりました。では照会をいたしますのでお名前と生年月日、住所をお伺いしても宜しいですか?」
子供のいたずらと思いつつも、市役所玄関の受付と案内の職員を突破してしまったのだからしょうがない。
私はできるだけ形式通りに応対することにした。
「名は『神籬 寡魅狐』、生年は延暦15年7月3日で通しておる。住所はよう覚えとらんので同居人に書いて貰ってきた」
その方……ここからは神籬さんと呼ぶことにするが、神籬さんが出したメモ紙を見ると、うちの市からの住所が書いてあった。
「ええと……延暦15年と言うのは西暦で言うと……?」
「はて……西暦で言うと分からぬが、歳で言うならわしは1200年程生きておる」
正直延暦15年がいつなのか分からないが、名前と住所が分かれば照合はできだろう。
私は端末を叩き神籬さんの名と住所で検索すると、確かに「神籬 寡魅狐」はこの市に住民登録をされていた。
「西暦796年7月3日生まれ、『神籬 寡魅狐』さんで間違いないですね……?」
「うむ。それじゃと思う」
役所の住民データベースに登録されているので、間違いはないのだろう。
流石に延暦と言う元号が登録されているわけではないが、西暦796年生まれと言うのは偽りがなさそうである。
「それでは年金受給資格があるかどうか、お調べいたします」
「宜しく頼むぞ」
一抹の不安を胸に、神籬さんの社会保障関連の記録を検索する。
しかし予想通りと言うか、国民年金保険料の支払い記録は存在していなかった。
「申し訳ありません。お尋ねいたしますが、過去に国民年金保険料をお支払いした事はございますでしょうか?」
「む? そう言えばそんなものは支払っておらなんだな……。やはり保険料とやらの支払いが必要なのか?」
「はい。国民年金は20歳から60歳までの40年間のうち、10年以上国民年金保険料のお支払いを頂いた方に対してお支払いをしております。神籬様の場合20歳から60歳……いえ、任意加入期間である70歳までを含めても、お支払いできる状況にはなかったですよね……」
796年生まれの70年間と言えば、日本は平安時代なのだ。
まだ制度すらないのだから、国民年金保険料を支払えるわけがない。
国民年金の加入には年齢制限があり、任意加入制度を利用し10年間延長したとしても、70歳以上になってしまった場合は加入することができないので年金は貰えない。
「むう……役所から支払えなどと言う通知はこなかったのう……。そう言えばその期間は熊野の山伏達と修行をしておったのじゃ。それで支払い通知が届いておらなかったのかも知れぬ」
いや、そもそも支払い通知も何もないだろうと言う想いでいっぱいではあるが、事実支払っていなかったのだから仕方ない。
「うーん……念のため聞いておきますが、お勤めされていたところで、今まで厚生年金を支払っていたとかは無いですよねぇ?」
厚生年金とは、公務員や株式会社などの法人に勤めている人が加入する年金である。
雇い主側と雇われる側が半々で負担し、国民年金に上乗せされて支給されることから二階建てと表現されたりもする。
「ちょっと前まで働いていたのは個人の探偵事務所だったのじゃがの、その探偵が色々あって廃業してしまったのじゃ。助手のようなものをしておったわしも職を失ってしまったのじゃが、失業保険が貰える期間が過ぎたにもかかわらず次の仕事の当てがない。生きるために金が必要なのじゃ……」
それを聞くと何とかしてあげたいところではあるし、できれば上司とかにこう言ったケースで何か特例が無いか聞きたいところだが、あいにくこの時間は皆が皆自分の仕事で手いっぱいだ。
自分だけで何とかするしかない。
「そうですか……一応お調べいたしますが、個人の探偵事務所では厚生年金に入っていたとは思えませんね……。小さな町工場とかでもいいので、一般的な企業にお勤めされていたことはありますか?」
「そう言うところで働いたことはないのぉ……」
お手上げであった。
厚生年金も国民年金と同じく基本的には70歳で被保険者としての資格を失いそれ以降の加入はできないのだが、所定の手続きを踏んでいれば70歳以上である場合でも加入している可能性はあった。
しかし、そう言ったところに勤めていなかったのであれば厚生年金保険料も支払っていなかったであろう。
「あ、昔の話でいいかの。今から100年近く前じゃが、一時的に軍に所属していた時代があったんじゃ。それで何とかならんか?」
「軍に所属……ですか……」
「うむ。あれは露西亜と戦っていた時かの。わしも一時の気まぐれと言うか、力を貸してやろうと思い、奉天と言うところまで行ってきたのじゃ」
「奉天と言うと……日露戦争の時……ですかね……。確か第二次世界大戦までに旧日本軍に所属されていた方の中には、軍人恩給が支給されるケースもあるみたいです。ちょっと関係しているところに問い合わせをしてみますね」
旧日本軍に所属していた国民や過去の公務員には恩給制度と言うものがある。
ひょっとしたら今でもそれが貰えるかもしれない。
一筋の希望を胸に、国の担当部署へと電話をかけてみる。
『はい、総務省政策統括恩給担当です』
担当部署に電話をかけてしばらくすると、担当官に繋がった。
「お世話になっております。私、南浪市国保年金課の『国保』と申します。窓口にいらしたお客様が恩給制度に該当されるケースではないかと思われるのですが、お調べすることはできますでしょうか」
『あー、はい。大体でいいので、どこに何年間所属しておられた方なのかおわかりになりますか?』
「それが……恐らく陸軍だと思うのですけど、日露戦争の際に奉天会戦に参加されているみたいなんですよね……」
『ええ……? 日露戦争……ですか……?』
電話越しにも困惑が伝わってきた。
しかし正直それはよく分かる。
私も実際に住民記録を見るまでは、誰か悪い大人に入れ知恵された子供のいたずらだと思っていた。
「はい……。ええと……信じがたいかもしれませんが、その方は平安時代の生まれでして……その、1200年生きている方みたいです……。必要でしたら、その方の住民記録をファックス等でお送りいたしますが……」
『あー……いえ。住民記録は後ほど送って頂くとして大体把握しました。おられるんですよ稀に。前回似たような問い合わせがあったのは10年ちょっと前かな……? しかし日露戦争付近ですか……一応お調べすることは可能ですが、今更恩給申請とは何故ですかねぇ……』
ええ……本当に時折いるんだそんな人……。
「あ、はい。なんでも勤めていた先がなくなってしまったので、生活のために年金等を受給したいと言う事で、窓口にいらっしゃいました」
『あーなるほど。でしたら、恩給制度よりも老齢福祉年金の方が現実的ではないですかねぇ。そっちの受給資格は無いのですか?』
「あ! 老齢福祉年金!」
私としたことが、完全に失念していた。
老齢福祉年金とは、1911年4月1日以前に生まれた者等が支給される年金である。
現行の国民年金制度が始まった際に、それ以前から既に老年であった者を救済する目的で始まった制度であり、かつてはよく活用されていたが現在の日本には受給者が30人いるかいないかのレア制度だ。
言い訳になるが、私が国保年金課に配属されてから一度たりとも申請に来られた方がいらっしゃらなかったので、制度の存在自体を忘れてしまっていた。
総務省の担当官に礼を言うと、私は再び窓口に戻り神籬さんに説明することにした。
「申し訳ありません、お待たせしました。神籬さんですと、手続きをして頂ければ『老齢福祉年金』が貰えると思います」
「おお、ちゃんと年金が貰えるのか!」
神籬さんの幼い顔が一気に明るくなった。
私は老年福祉年金受給の手続きに必要な書類と実際に貰える額を説明し、後日書類を揃えて提出して貰う事にする。
「一つ注意して欲しいのですが、老齢福祉年金は非常に弱い制度です。ご本人や同居の方に一定以上の収入がある場合や他の制度を利用されている場合は、減額されたり受給が停止される場合があります。貰える額も年間40万円程度と低い額になっておりますので、まだまだお元気であれば働いて給与収入を得た方がいいように思います」
「うむ。わしもできれば働いて金を得たいのじゃ。なのでまだまだ就活を続けるぞい」
そう言うと神籬さんは意気揚々と窓口を後にしていった。
本当に良かった。
しかしこのような方は日本に何人もいらっしゃるのだろうか。
今回はたまたま神籬さんが住民登録をしていたので我々でも対処することができたが、住民でなければ打つ手なしであった。
本当を言えば戸籍がどうなっているのかも知りたかったのだが、個人情報に該当するのでそこはぐっとこらえる事にする。
神籬さんを無事見送ると、私は次の方の受付をすることにした。
「受付番号124番のお客様、6番窓口へお越しください」
機械音声に導かれて窓口にお客様がやってきたが、私は再び絶句してしまった。
そこにいたのは頭に赤色のリボンを付けた、全長50cm前後の青いクマのぬいぐるみだったのである。
「年金受給についてききたいんやが、どうすりゃええんかの」
……誰か助けて。
なみさんから素敵なレビューを頂きました、ありがとうございます。
クローズアップ現代、今晩は問われる年金制度です。