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絶対にイタしません!  作者: Nixe(ニクセ)
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城下町での暮らし

「リコリス~、居るかい~?」

ドアをガンガンと叩きながら響いてきたのは、聞きなれた中年女性の声。

「お早う御座います、シーザさん。どうかされました?」

「いやぁ、今日も葉野菜の収穫が間に合わなくてね。手伝って貰えないかと」

 彼女は私が今働いている農場のオーナーの奥さんで、シーザという名だった。シーザの言葉に私は即座に奥の寝室へと向かい、使い慣れた農作業用のエプロンを首から掛ける。

「いいですよ、今日は特に予定もなかったですし」

「そうかい! 助かるよ!」

 後宮を出た私は、王様から与えられた3軒の内から1軒を選び、今はそこに住まわせて貰っている。本来の役目を全くと言っていいほど果たせなかった私には、過剰な処遇だと何度も断ったのだけれど、王様は最後まで折れては下さらなかった。


『そなたには何も授けてやることができなかった。これはせめてもの償いだ』


 違うと何度も首を振った。王様は何も授けて下さらなかったことなんてない。私が授かろうとしなかっただけだ。だから彼の責任なんて、何一つなかったのに。けれど、両親を既に亡くし、後宮に上がる際に持ち家も処分してしまっていたリコリスには、下町に降りても確かに住む家すらなかった。だから申し訳ないという気持ちで一杯だったが、この家だけは頂くことにした。

 これで、正妃ナミルに毒殺される運命から逃れることができた。私は確実に生き延びることができる、と。

 今は農場と街のパン屋の手伝いをしながらなんとか生計を立てている。贅沢は出来ないが、それでも十分な暮らしは出来ている。これが私の望んだ生活だった、はずだ。

 農場の手伝いを終えてもまだ日が高かったので、私はその足で街へ買い出しに出向く。ザリザリと砂を噛んで歩いていくと、何だが街がいつもより活気に溢れているような気がした。

「今日はお客さん多くない?」

 常連になりつつあるスパイスのお店の女将に、カウンター越しに話しかける。

「そりゃあそうよ~! 明日、王様が街を訪れるそうだから!」

 その名を耳にして、私は瞠目したまま固まる。

「王様、が? どうして……?」

「最近、南に砦を作っているだろう? あそこへの視察で街を通るとか」

 そういえば、近年南に隣する国が怪しい動きをしているらしいと噂されていた。もしそれが事実だとすれば、また戦が起こるかもしれないと街の人々も眉間に皺を寄せていた。

 そうか、明日、王様がここを通るのか。

 せめて、遠くから姿を眺めるくらいなら、許されるかな?

 そもそも、私を見たところで、王様が気付くはずもないけど。

 元より目立つような容姿でなかった私は、平民の服を纏えば本当にただの一般市民に成り下がった。当たり前だ、これが本来の姿なのだからと苦笑したけれど。スパイスを受け取りながら、明日王様がここを通過する予定時刻を女将に確認する。その時間であれば、朝食の後に出向いても十分に間に合う時間だった。

 翌朝朝食を軽く済ませ、私は早足で街へと向かう。中央広場は既に人々でごった返していた。

「王様がいらしたぞ~!」

 遠くで男性が叫ぶ声が聞こえる。それから現れたのは先頭を行く歩兵隊の姿だった。続いて騎兵隊が現れると、私の鼓動は自然と速くなる。王様が私に気付くはずがないと解ってはいても、『もしかしたら』なんて考えてしまう辺り、私はやっぱり愚かなのだ。

 歓声が一気に大きくなる。見覚えのある黒鹿毛の上で揺られていたのは、純白の鎧を纏ったアイザック王の姿だった。

 視界が急に滲んでよく見えなくなる。彼の姿を少しでも目に焼き付けていたのに、それが叶わなくて、私は必死に目を擦る。ボロボロと溢れる涙を何度も拭い、滲む視界の先の彼を瞬きもせずに見つめる。久しぶりに目にした彼は、少しやつれているようにも見えた。

 アンヴァルがカツカツと蹄を鳴らして近づいてくる。もうすぐ私の目の前だ。白い鎧が反射して光る王の姿は、神のようだとさえ思えた。

「王様、万歳~~!」

 私の隣の男性が両手を挙げて王を称える。それに釣られるように皆が両手を挙げた。馬上のアイザックがその声に僅かに視線を向ける。その瞬間、確かに視線が噛み合った、ような気がした。

 煌めくアレキサンドライトの光。もう決して届かないその場所に、今更手を伸ばしそうになる。この時になって、やっと自分がしてきたことの愚かさを知ったのだ。


 毒殺を免れて生き延びることが、本当の幸せだった?

 あの光の届かない場所で生きることに何の意味があるの?


「王、様……」

 みっともなく震えた声が零れる。もう二度と、彼の鼓膜を揺らすことのない声。ボロボロと頬を伝う涙を拭うことも忘れ、私はただ只管に彼を見つめていた。今、彼を取り巻く観衆は数百人以上。この中で彼が私に気付くことはないだろう。

 ――そう、思っていたのに。

 馬上のアイザックは、美しいその瞳を大きく見開かせる。その瞳の行く先には、私が居た。彼の唇が何かを紡ぐ。勿論その声は、歓声に掻き消されて私に届くことはなかったけれど。

 もしかして、私に気付いてくれた?

 自惚れかもしれない。でも、もうそれでもいいと思えた。

 王様が、私を忘れずにいてくれたなら、もうそれで……。

 黒鹿毛の馬の臀部が小さくなって行く。当然その馬上の白い鎧も小さくなって。

「……っ、うぅっ……」

 堪えきれない嗚咽が漏れる。どうせ誰も私のことなど見ていない。ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま、最後にもう一目、彼の背中を眺めようと視線を上げたその時。

「……あっ!」

 隣に立つ男性が、前を指さして声を上げる。その指先を辿るように視線を向けた瞬間、黒鹿毛の馬上の白い鎧がぐらりと傾ぐ。

「きゃぁぁぁぁっ!」

 奥の方から女性の悲鳴が聞こえる。次いで聞こえてきたのは、人々の恐々とした声だった。

「王様が……落馬したぞ!」

 その言葉を耳にした瞬間、私は人並みを掻き分けて走り始めていた。

「すみません! 退いて! 退いてください!!」

 両腕で必死に人を掻き分けて進む。辿り着いたその先には、見覚えのある男性の背中があった。

「王様! しっかりなさって下さい!!」

 丞相であるレオニードの声が上擦っている。彼の背から覗き込むと、そこには真っ青な顔色のまま動かないアイザックの姿があった。

「王様……!」

 思わず彼の横に手を突いて顔を覗き込む。息はあるようだが、意識を失っているようだった。

「貴方は……! 丁度良かった、ご自宅はこの近辺ですか?」

 レオニードが焦った様子のまま問いかけてくる。

「え、えぇ。歩いて10分ほどの所ですが」

 街中からは少し外れていたがそれ程遠い距離でもない自宅を告げれば、レオニードは近くの兵に即座に指示を出す。

「直ぐに王様を彼女の指示する場所へ運べ!」

「えぇっ!?」

 私の指示する所って、それは私の自宅しかないんだけど!?

「時は一刻を争います。ご協力を!」

 レオニードの剣幕に只事ではない事態なのだと理解する。コクコクと首を縦に振り、私は急いで立ち上がった。

「こちらへ!」

 スカートの裾を翻して走り出せば、王様の傍に仕えていた屈強そうな男性が王様をグッと抱き上げた。彼を筆頭にレオニードを含めて数人が私の背後を駆けてくる。

「残りの者はこの場の収集をして、一旦城へ撤退するように!」

 最後にレオニードは的確な指示を出し、広場を走り抜けた。


「こちらへ!」

 自宅に戻るなり私はとりあえず寝室の扉を開ける。この家にはベッドが一台しかないから、そこへ案内するしかなかった。屈強そうな男性が、ゆっくりと王様をベッドへ下す。即座にもう一人の男性が近づき、王様の鎧を外し始めた。

 ベッドに横たわるアイザックの顔色は以前として悪く、瞼が上がることはない。私は震える指先を強く握り締めながら、ただその様子を黙って見ているしかなかった。鎧が外されて上着も脱がされたアイザックの胸元が緩められる。丁度その時、外から蹄の音が近づいてきた。直後に響いてきた扉のノックオンに、私は急いで扉を開いた。

「医師をお連れしました!」

 若い兵の後から、フラフラとした足取りの白髭の男性が姿を現す。恐ろしい勢いの馬で連れて来られたのだろう。ぜえぜえと息を乱したままだったが、医師はベッドサイドに鞄を置くと、聴診器を取り出して王様の胸へと当てた。あちこちに聴診器を当て、手で体中を撫で、目や舌までを診察した老齢の医師は、ふうっと軽く息を吐きだした。

「病状は、どうなんですか!?」

 診断結果が出たのであろう医師に、レオニードが噛みつく勢いで問いかける。すると白髭の医師はゆったりとした動きでレオニードへと向き直った。

「落馬されたとのことでしたが、何処かを強打されましたかな?」

 レオニードに気圧されることなく、老医師がゆったりとした口調で尋ねた。

「いえ、幸い近くに控えていた歩兵が受け止めたとのことです」

 レオニードの言葉に医師は『ふむ』と顎髭を一撫でする。

「そうでしたら、恐らくは過労と栄養失調かと。ここのところ、王様は少々ご無理をなさっておいででは御座いませんでしたかな?」

「え……?」

 医師の診断結果が告げられた室内は、正に『シ~ン』と効果音が書かれそうなほど静まり返っていた。

「え? あの、ただの過労と栄養失調ですか? 急に倒れたんですよ?」

 オロオロとした様子でレオニードが医師に詰め寄る。冷静沈着が服を着て歩いているような普段の彼からは、想像も出来ない姿だった。

「もし最近ご無理をなさっていなかったのであれば、別の病も考えられますが」

「……いや、確かに最近の王様は、かなりの激務をこなされておいででした」

 『でしたら、ほぼ間違いないでしょう』と告げて、医師は聴診器を鞄へと戻していく。

「これだけ疲弊されていては、倒れるのも無理もない。とにかく今必要なことは、十分な睡眠と休息、そして栄養のある食事をたっぷり摂ることでしょうな」

 それだけ言い残すと、医師は『それでは、私はこれで』と告げ、さっさと帰って行ってしまった。室内に残された4人に、何とも言い難い沈黙が落ちる。その静寂を破ったのは、やはりレオニードだった。

「ここ最近の王様は、我々が何度止めても休んで下さりませんでした。食事も碌に摂らず、何かに憑りつかれたかのように激務をこなし続けて」

 ベッドで眠る彼の目元は、遠目ではそれほど気付けなかったが、確かに酷く落ち窪んでいた。頬もこけて、恐らく体重も大分減少しているだろう。

「夜もあまり眠っていらっしゃらなかったようです。そもそも寝所に入る時間自体が遅かったのに、熟睡も出来ていなかったようで」

 どうして、こんなことに。私が後宮に居た時は、王様が不眠の症状を抱えているようには見えなかった。

「コーネリア様や、ナミル様の元へは行かれなかったのですか?」

 お一人で上手く眠れなかったというなら、誰かの温もりがあれば眠れたかもしれない。単純にそう思って尋ねてみたのだが、レオニードの顔は翳る一方だった。

「不眠になり始めた頃には、数回ほどお二人の元を訪ねていらっしゃいました。けれどそれも功を奏さないと気付かれてからは……」

 コーネリア様でも癒すことが出来なかったというならば、一体誰が彼を癒すことが出来たのだろう。思わずぎゅっと眉根を寄せてしまう。苦いものが下腹部の方から迫り上がってくるようだった。

 彼をここまで追い込んだものとは、一体何だったというのか。確かに元々政務にのめり込みやすいところはあったが、それもここまで度を越えたものではなかったはずだ。緊急性の高い政務が重なってしまったのだろうかとレオニードに尋ねようとした瞬間、逆に彼の方から声を掛けられた。

「お願いが、御座います」

 急に改められたその姿勢に、知らず私の背も伸びる。

「王様が回復なさるまで、こちらで療養させていただくことは出来ませんか?」

 『こちらで』ということは、『この家で』ということだよね? 彼の切望を前にして、私はぱしぱしと瞬きを繰り返していた。

「王様が動けるようになるまで、ということでしょうか? 確かに今は安静が必要だとは思われますが、何もこんな狭苦しい所でなくとも……」

 この家は幸い街からそう遠くない位置にあるので、街に戻ることもそれほど難しいことではないだろう。街に戻れば、王城とまではいかなくとも、それなりに高級な宿がある。ゆっくりと療養するなら、そういった場所の方がいいはずだ。しかし、レオニードは胸元に拳を当て、切なげな様子で訴えてくる。

「いえ! こちらで是非療養させていただきたいのです。今の王様に必要なのは、恐らくそういうことだと思われますので」

「そういうこととは、どういうことですか?」

 レオニードの言わんとするところが読めなくて、聞き返す。普段の彼なら、絶対に、こんな奥歯に物が挟まったような言い方はしない。

「この家には十分な医薬品もありませんし、上質な食事も、ベッドもご用意できません。それでは王様の回復は望めないと思うのですが」

 別に王様をこの家から追い出したかったわけではないけれど、どう考えても王様の回復の条件に合わないとそう思えてならなかったのに。

「必要な物は、医薬品でも食糧でも何でもお届けいたします。ベッドは……スペースを考えてもご用意が難しいかもしれませんが、それに近しい物をご用意することは出来るかと思います。それでも、お願いできませんか?」

 レオニードがここまで必死になる意味が全く分からなかったが、そんな捨てられた子犬のような顔をされては、無碍に断ることも出来なくて。

「す、数日であれば、問題ないかとは思いますが……」

「有難う御座います! 本当に有難う御座います、リコリス様!!」

 ぎゅうっと両手で右手を痛いくらいに掴まれて、私の方が戸惑った。どうして彼はここまで必死なの?

「それではすぐに必要な物をこちらに運ばせます。どうか王様をよろしくお願いいたします」

 そうして即座に退出しようとするレオニードの腕を慌てて掴んだのは私の方だ。

「え!? ちょっと待って! レオニード様も残られるのでしょう!?」

 彼は王様の側近中の側近だ。その彼が、こんな状態の王様の傍を離れるなんて、考えられないことだと思うのだけれど!?

「いえ、私は城に戻り、王様の不在の間を取り仕切らねばなりません」

「そ、それはそうかもしれないけれど、じゃあ、誰が王様のお世話をするのですか?」

 尋ねた私の顔を覗き込みながら、レオニードがにっこりと美しい笑みを浮かべた。

「リコリス様しか、いらっしゃらないでしょう」

「わ、私~~!?」

 自分の鼻先を指させば、レオニードはこくりと首を縦に振った。

「そもそもこの家で何人もの人間が動いては、王様はゆっくり休養をとることは出来ないでしょう」

 た、確かに、元より独り住まいの予定で頂戴した家だったから、お世辞にも広い家とはいえなかったけれど。

「そうかもしれませんが、それなら王様付きのメイドがこちらにいらしては? その間、私は街の宿にでも参りますので」

 多少の出費は否めないが、それも後でレオニードにでも請求すれば、恐らくは返して貰えるだろう。ならばその方がいいのではと提案したのに。

「いいえ! この家はリコリス様の物でしょう? 家主以外の者が滞在して、何かあった場合はどうなさるおつもりですか?」

「この家に盗まれるような高価な物はありませんけど?」

「そういうことではないのです」

 じゃあ、どういうことですかと尋ねる間もなく、レオニードに『とにかく!』と話をブチ切りにされた。

「王様をこちらで暫く療養させていただきたいのです。謝礼は勿論お支払いいたします。宜しいですか?」

 頼まれてるのはこちらのはずなのに、どうしてこんなに威圧感を感じなくてはならないのか。レオニードのその口調は、有無を言わせない強さが確かにあった。

「謝礼は、まぁ、要らないんですが。でも一度お受けしたことなので、きちんと最後までお世話をさせていただきます」

 武士でも男でもなかったけれど、平民の、女にだって二言はない、はずだ。だからそう返せば、レオニードは柔らかく上質な笑みで私の右手を再び握った。

「有難う御座います。ではすぐに必要な物をお運びしますので」

 そう言いおいた彼が去って一時間もしない内に、この家にふかふかのソファベッドと大量の食糧が届けられたのだった。

王様との再会に加えて、同棲生活のスタートです!!

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