イタさないための努力
それからは次々と現世で思い出せる限りのボードゲームを作り出した。その度にアイザック王は瞳をキラキラとさせてゲームを楽しんでいた。この人、こんな子供っぽいところがあったんだと、小説では語られなかった彼の一面に胸がほっこりと暖かくなる。
いやいや、でも、ここで絆されてはいけない。うっかり甘い顔を見せれば、彼がいつ押し倒してくるのか分からない。そうなれば、こちらには拒否権など有りはしないのだから。けれど彼は余程私の作り出すゲームが楽しかったのか、最初は3~4日に一度だった来室が、いつのまにか2~3日に縮まり、気付けば2日と空けずに訪れるようになっていた。そうなればいつかはゲームのネタだって尽きてきてしまう。次の策を講じなければと焦っていた頃、ふとワインを口にしていたアイザック王がぼんやりと月を眺めているのが目に入った。
「美しい月ですね」
「あぁ、今宵は満月かもしれん」
月光を受けて煌めく彼の瞳は、今は赤紫色だ。端正な顔だけでも狡いのに、瞳まで綺麗なんて、天は二物を与えすぎでしょう。私にほんの僅かにでも分け与えて欲しかった。
「王様は、こんなお話をご存じですか?」
そう前置きしてから話し出したのは、日本なら子供から大人まで皆が知っているかぐや姫の物語。違和感がないように、少しだけアレンジして話し始めれば、アイザックはワインを時折口に含みながら黙って聞いていた。冒頭の部分を話終えてから彼を覗き見れば『続きは?』と促される。どうやら異国の話にも彼は興味があるようだった。母親が我が子を寝かしつける夜話のように、ゆっくりと話を進める。半分ほど話終えたところで、私は彼の方へと視線を向けた。
「この続きは、次回のお楽しみにしましょう」
月の傾きを見れば、時刻は恐らく夜半に近づいているはずだ。明日も激務のある王の身を案じれば、アイザックは少しだけ不満を浮かべている。
「そんなところでやめれば、気になるであろう」
「だから、次回のお楽しみと申したのですよ」
唇を尖らせている彼は、まるで幼子のようで、思わず笑みが零れる。それに応えるかのように彼の口元にも笑みが浮かぶ。その笑みに、私の心臓が鷲掴みにされる。
――その笑顔は、反則じゃないかな。
普段のアイザックは無表情とまでは言わないが、そこまで表情を崩すことはない。だというのに最近の彼は、酔っているせいなのか、時折こんな風に蜂蜜のように甘い笑みを零すのだ。その度に私の心臓が痛いくらいに暴れまわっていることを、この王様は微塵も知らないのだろう。
「そうか、では次回の楽しみとすることにしよう」
そう言いおいて彼はいつも通り椅子から腰を上げる。サファイアブルーの髪が姿を消した扉を黙って見つめていると、背後で茶器を片付けていたベルナが声を掛けてきた。
「このままで宜しいのですか?」
唐突なその問い掛けに、私は思わず『へ?』と間の抜けた返事をしてしまった。
「本来の側室のお役目をお忘れですか? このままではお役目を果たせません」
じとっと横目で睨め付けられ、私は思わずビクリと肩を揺らす。さすがベルナだ、私の思惑に気付き始めているようだった。
「失礼ですが、リコリス様は王様を嫌悪されているご様子ではありません。だというのに、毎夜の如く現れる王様を、朝まで引き留めるおつもりもないようにお見受けします。それはどうしてですか?」
痛い所を突かれて、私は言葉が出ない。事実私はアイザック王を嫌悪したことなど一度もないし、寧ろ彼にならこの場で押し倒されても構わないとさえ思っていた。けれどもし一度そんな間違いを起こせば、それは即ち自分の死へと直結しているのである。何も答えられず唇を引き結んだままの私に、ベルナは何を思ったのだろう。はぁっと軽くため息を零すと、言葉を続けた。
「もし、リコリス様が王様とのお子を成すことを避けていらっしゃるのであれば、それ相応の対処をなさることをお勧めいたします」
「それ相応の対処って……?」
ベルナは茶器を全てカートに乗せ終えると、硬い声音で答えてくれる。
「王様にはお世継ぎが必要です。リコリス様にその意思がないのであれば、他の方が早急にそのお役に就かねばならないと思うのですが」
それは『他の方に子供を産んで貰わなくてはならない』ということで。
そうだ、王様は毎夜のごとく私と遊んでいる場合ではない。お世継ぎが生まれなければ、悪い噂が立たないとも限らない。それはこの国の安寧にも直結する重大案件だ。
「そうだね……肝に銘じておく」
美しいアイザック王。表紙が擦り切れるほど何度も何度も読んだ小説の主人公は、想像通りの素敵な人で。本来であれば彼の側室なんて飛び上がって歓喜したいくらい嬉しいことなのに、それを素直に喜べないことが苦しくて堪らなかった。でも、本来のストーリーのように彼を受け入れることが出来ないのであれば、私は彼の傍に居てはいけないのだろう。この物語の女主人公は、側室であるコーネリアなのだから。
それ以来、私は王様が訪れる度に寝物語を披露しながら、少しずつ距離を置くように心掛けた。同時にこの物語の本筋へと彼の軌道修正も図る。
「今日、とても良いお天気でしたので、コーネリア様をお誘いして庭園でお茶を頂いたんです。コーネリア様は御姿だけでなく、御心も素敵な方ですね」
コーネリアは貴族出身の側室だったが、王都から遠く離れた領地を与えられたあまり高位ではない貴族だった。そのため慎ましい暮らしを送ってきた彼女は、容姿の美しさだけではなく、心優しい女性だった。まさしく、この物語のヒロインとなるべくしてなった女性――アイザックに本当に相応しい女性だと思えた。
「……そうなのか?」
「はい! 庭師の子供が庭園に入り込んできてしまったのですが、それを咎めることもなく、甘いお菓子を差し上げていらっしゃいました。同性であっても見惚れるくらい、素敵な笑顔でした」
じくじくと痛む胸に気付かないふりをして笑顔で答える。大丈夫、上手く笑えているはず。こうしてコーネリアの良いところを売り込んでいけば、いつかアイザックも自分が脱線していたことに気付くだろう。そうなれば、私も毒殺されずに済むのだから、これで良いはずだと自分に言い聞かせる。
コーネリアの良い所を王様に売り込むために、私はコーネリアにも出来るだけ接近することにした。彼女のことをもっと知れば、王様に更に彼女の良い所をアピールできる。天気の良い日にはお茶に、偶には二人で刺繍を楽しんだりもした。そうして知りえたコーネリアは、同性の私から見てもとても魅力的な女性だった。ストロベリーブロンドの髪を緩くハーフアップにした横顔は、鼻梁がスッと通った美しい面立ち。その髪色を引き立てるようなミントグリーンの瞳は、吸い込まれそうなほどに美しい。スタイルだって私とは違って、出ている所は立派に出ているし、引っ込んでいるところはキュッと引き締まっている。コルセットで多少の補正はされているだろうが、それを差し引いてもスタイルの良さは窺えた。こんな女性がベッドに誘ったなら、世の大抵の男性はイチコロだろうと思える。
アイザックだって、きっともう彼女のドレスの下の白い肌を知っているだろう。そもそも彼女は王様の側室なのだから、何の遠慮も要らないはずなのだから。チラっと過ったその想像だけで胸元に鋭い痛みが走り、つい眉間に皺を寄せてしまった。
「……リコリス様? どうかなさりました?」
無意識に胸元を擦っていた私に、コーネリアが心配そうに声を掛けてくれる。
「いえ、少し、紅茶が熱かったようです」
気を付けて飲まなくてはなりませんねと、本当は温くなりかけた紅茶のカップをソーサーに戻す。こんなことで傷ついていてはいけない。コーネリアはこれから王様の御子を宿す人なのだから。
平民出身の私でさえ、分け隔てることなく接してくれる麗しい女性。彼女の従者の態度を見ていれば、周囲の人間にも彼女が好かれていることがよく分かる。きっと従者にも横柄な態度などとらないのだろう。この物語の女主人公である彼女が、アイザック王の隣に並ぶ姿を想像するだけで胸が震える。あるべきパーツがあるべき所に収まったと誰しもが瞬時に理解できるはずだから。
だから、今感じているこの胸の痛みは、そういうものではないのだと自分に強くいい聞かせる。本来早急に毒殺されるはずの私なのだから、美しい二人の姿を眺められるだけで満足しなくてはならない。命が繋げるだけで幸運で、それ以上なんて望んではいけない。
そんな日々が、数週間ほど続いた。気付けば王様が私の部屋を訪れる頻度は、3~4日に一度へと戻っていた。この調子なら、コーネリアの懐妊も間もなくかもしれない。そんな予感を胸に、今日も私は王様と相変わらずの夜を過ごしていた。寝物語を聞かせたり、ボードゲームに興じたり。夫婦というよりは最早友人の立ち位置だと感じれば苦いものが込み上げてきたけれど、敢えてそれには気付かないふりをして。
「今日はコーネリア様にピアノを弾いていただきましたの。とても優雅で美しかったです。気品というものは、音色にも表れるのかもしれませんね」
コーネリア情報は相変わらず盛大に盛っている。いや事実をちゃんと述べてはいるけれど、彼女の印象が良いものになるように私が感じた気持ちを盛っているだけだ。そんな私の様子に、アイザックがぼそりと呟く。
「そなたは本当にコーネリアを好いているんだな」
「私が、ですか?」
コーネリア様を好いて欲しいのは貴方なのですが、とは言えず。でも、私情を抜きにしても、彼女は本当に素晴らしい女性だと解っているから。
「えぇ、勿論。とても素晴らしい方ですし、好きにならずにはいられないのでは?」
にっこりと我ながら素晴らしい笑顔と共にそう述べれば、アイザックが一瞬だけ目を眇めた――ような気がした。
「では聞くが、そなたの良いところは何処だ?」
「私の、ですか??」
唐突な問いかけに戸惑ってしまう。自分の良い所といわれて、すぐに思いつかないのは元日本人の悲しい性だろうか。
「うーん、そうですね……。開き直りの速さ、とか?」
毒殺される運命だと気付いたその時から、それを回避することだけを考えて生きてきた。表紙が擦り切れるほど読み込んだ、大好きな小説の主人公が目の前にいるこの現状であっても。
「開き直り? 何に開き直っている?」
開き直りの第一要因の人にそう尋ねられても、素直に答えることなど出来やしない。この世界の今後の展開を知ってるんですよ、私! なんて、誰が言えるというの。
「あぁ、えっとー……昔から我が家は極貧だったので、色々諦めてきたんです」
リコリスの過去は小説には書かれていなかったが、平民の出身であるという設定から、彼女がそこまで金銭的に恵まれていなかったというのはあながち間違えてはいないだろうと当たりをつける。そもそも間違えていたって構いやしない。王様がリコリスの過去の生活を詳細に知ることもないだろうから。
「なるほどな。ではそれ以外で自分で良いと思えるところは?」
「それ以外で?」
うぅーんと再度首を捻る。いや、待て待て、そもそもこの問いかけに答える意味ってあるのかな?
「いやあの、王様。私の良い所を私が語ることに意味ってございますか?」
ポリポリと頬を掻きながら尋ねれば、何故かアイザックは眉間に皺を寄せた。
「お前は……自分に興味が無さすぎだ」
自分に興味? いやだって、私ただのモブキャラじゃないですか。そんな私に興味を持つ人なんて、この世界に居ると思います?
そもそも、転生前だって、私は誰かに興味を持たれていただろうかと想いを馳せる。彼氏にも簡単に疑われ、あらぬ容疑を掛けられたのにも関わらず、クラスの誰も助けてなどくれなかった。そんな私を、誰が必要としてくれただろう?
知らず苦い笑みが零れる。転生してもモブキャラだったのは、今更ながら当然と思えてきた。私の存在は、転生前も今も、大して変わりはしていなかったのだ、と。
「リコリス?」
急に黙りこんだ私を、心配そうにアイザックが覗き込んでくる。こんな平民出身の側室にまで優しいなんて、世界の中心人物はやはり器が違うのだろう。
「王様の素晴らしい所なら、私幾らでも上げられますよ!」
「は?」
きょとんとしたアイザックを前に、私は彼の素晴らしい所を次々と上げていく。擦り切れるほどに愛読した小説の主人公の彼。そんな彼を褒める要素なんて、幾らでも簡単に上げられる。
「美しい相貌は誰しも知るところでしょうけれど、鍛え上げられた躰もきっとお美しいことでしょう。しかし、外見だけではなく、中身も美しいのが王様の素晴らしいところです。いつでも民を想い、民のための国事を執り行っておられます。その想いが貴族だけではなく、平民にまで注がれていることを平民もきちんと存じておりますよ」
平民出身の私だからこそ、解ることですと付け加えれば、アイザックはプイっとそっぽを向いてしまった。何か気分を害することを言ってしまっただろうかと思ったが、赤く染まった耳先をみれば、どうやらそうではなかったらしい。
「……そなた、そういうところだぞ」
「え?」
ぼそりと吐き出された言葉の意味が理解できずに首を捻っていると、頬を薄紅色に染めた王の顔が真正面に戻ってくる。
「そなたのそういう所が厄介だと言っている」
「……はぁ」
彼の言わんとするところが理解できずに疑問符を頭上に散らしていれば、アイザックははぁっと深い溜息と首筋を数回撫でた。
「今は理解できないのなら、それで構わん。ただ、そなたはもう少し自分に興味を持つべきだ」
アイザックは再度そう言いおくと、そのまま腰を上げて部屋を出て行ってしまった。
その日から数日後、優雅に紅茶を啜りながら刺繍を楽しんでいると、突如として響いてきた扉のノック音にベルナが慌てて扉へと向かう。開かれた扉の先には王様の側近の姿があった。
「失礼いたします。私は丞相のレオニードと申します」
確かによく王様の傍に仕えていた男性であったことを思い出す。レオニードは軽く会釈をすると、室内へと足を踏み入れた。そのままカツカツと踵を鳴らして私の傍まで歩み寄ったレオニードは、胸元に手を当てて軽く会釈をする。この国での上位の者への挨拶の一種だ。
「時にリコリス様、明日は何かご予定が御座いますか?」
「いえ、特には。何か急ぎの御用ですか?」
王様の側近が直々に来たということは、王様に関わることに違いない。ならば第一優先事項だと促せば、レオニードは頭を戻して話を続ける。
「明日、王様が城下町にお忍びでお出かけになられます。その際にリコリス様にもご同行頂きたいとのことなのですが、宜しいでしょうか?」
「私に?」
突然の要請に驚きを隠せずにいると、側近の男性はゆっくりと頷いた。
「はい。リコリス様は城下町のご出身とのことで、是非直にご意見をお聞きしたいとのことでした」
側近の言葉に『なるほどな』と納得がいく。確かに実際に住んでいた者の言葉は重みがあるのだろう。
「分かりました。そういったことであれば、喜んでご同行いたしますとお伝え下さい」
にっこりと笑みで返せば、レオニードは『その様にお伝えいたします』と再度首を垂れてから退出した。
「それでは明日のお召し物を考え直さなくては」
側近を見送ると、即座にベルナがクローゼットへと向かおうとする。
「いやあの、お忍びだからね? 目立つ格好は駄目だよ?」
そう付け加えれば、大層つまらなさそうな瞳を返された。一体私に何を着せようとしていたのだろうかと、深い溜息しか零れなかったけれど。
次回は王様とお忍びデートです~!