第154話 活動拠点
クライヴは自分の目を疑った。
いるはずのないものが……、いや違う。いてはいけないものが城門の広場にいる。
「カリーネ。あれ、何に見える?」
自分の目が信用出来ず、クライヴはカリーネに訊ねた。
「どう見てもワイバーンですわね」
見間違いではなかった。広場には乗馬服風の制服を着た兵士が立っており、その隣に薄緑色の飛竜が翼を畳んで立っている。
兵士は城門の衛兵と何か会話を交わしていたが、用が済んだのかワイバーンに跨るとゴーグルをはめ手綱を手にした。
「それっ!」
ワイバーンが翼を広げて大きく羽ばたいた。周囲に突風が巻き起こり、ワイバーンが大空へと飛び立つ。
それを茫然と見送るクライヴたち三人。
「何でこんな所に? ワイバーンはエルドラ帝国にしかいないはずでしょ?」
「まさかワイバーンを盗んで連れてきたのか? だとしたら大事だぞ」
ワイバーンはエルドラ帝国の建国に深く関わっており、その翼を広げた姿は皇帝家の紋章にも使われている。正にエルドラ帝国の象徴とも言うべき存在なのだ。
エルドラ帝国のワイバーンは生息数が少なく、全頭が厳格に管理されている。管理下にない野生のワイバーンなど、エルドラ帝国にも他国にもいないはずだ。
もしあのワイバーンがエルドラ帝国から盗み出されたものであれば、決して看過出来ない事態である。
「これは本国に確認が必要だな」
せっかく皇帝陛下から預かった通信用の魔導水晶があるのだ。盗難の事実があるかどうか、本国に問い合わせて調べてもらおう。
クライヴはもう一度塔を見上げ、係留されている飛行船に目を向けた。
「天に届かんとする高い塔。巨大な飛行船。そしてワイバーン。到着早々驚きの連続だな。これは天空の島の信憑性がますます増したな。調べ甲斐があるというものだ」
クライヴの言葉にイングリッドがぼやいた。
「隊長。何でそんなに嬉しそうな顔をしてるんですか。面倒事の予感しかしませんよ。私はもう国に帰りたくて仕方ないんですけど」
◇◇◇
帝都バベルのとある宿の一室。
今後の方針を確認するため、クライヴ、カリーネ、イングリッドの三人が小さな机を囲んでいた。
「早速だがカリーネ。城門にいた男たちから何か情報は得られたか?」
「時間がありませんでしたから、あまり詳しくは聞けてませんが……」
カリーネは一つ息をつくと報告を始めた。
「あの塔に関しては、おじいさんの言ってた通りね。空き地で何か建物を作ってると思ったら、その建物がどんどん空に向かって伸びていって、あの高さまで成長したって事よ。建設は街の労働者を使わず、皇帝が連れて来た作業者だけで行ったそうよ。だからどんな手法で建てられたかは誰も知らないって」
クライヴは眉を顰めた。人に見られてはいけない建築方法とは一体どんなものなのか。
「あんな細い建物があれだけの高さまで伸びてるというのが、未だに俺には信じられん。エデン帝国の建築技術が優れているのは知ってるが、それでもあの塔は別格だ。あんなひょろ長い塔がなぜバランスを崩さず立っていられる?」
「隊長がどう思おうと、現に塔は立ってるんだから受け入れるしかないでしょ」
確かに目の前に立っている現実を否定してみても仕方がない。
「まあいい。それで、あの飛行船の事は何か分かったか?」
「あの船は、エデン帝国の空中フリゲート艦サラマンダー。隣国アルビナ王国の王城を完全破壊した船だそうよ。フリゲートって多用途の中型船を差す言葉みたいね」
イングリッドが驚きのあまり、すごい形相になっている。
「あんなに大きいのに、あれで中型? じゃあもっと大きな大型の船もあるんですか?」
「アルバトロスっていう空挺母艦があるそうよ。大きさの比較ならこっちの船の方が上らしいわ。なんでも鎧と兜で身を固めた重騎士をたくさん乗せて、敵の城とか砦の上から落とすための船ですって」
「空から重騎士を落とす? そんな事したら落された人は死んじゃうじゃないですか!」
「浮遊石を持ってるなら大丈夫でしょ」
エデン帝国がどれくらいの浮遊石を保有しているか分からないが、重騎士全員に浮遊石を持たせられるのなら、確かに有効な戦術だ。
「大きな船はその二隻だけで、他には人を運ぶための連絡機と、物を運ぶための輸送機があるそうよ。どちらも大きさは先の二隻に比べれば遥かに小型。連絡機と輸送機は同じものがたくさんあって、全部でいくつあるかは分からないって」
クライヴが何も言わない。カリーネがクライヴを見ると、彼はしきりに何か考え込んでいた。目付きが少し鋭くなっている。
「当然どれも浮遊石の力で浮いてるはずだな……。狙うとすれば連絡機か……」
「隊長。連絡機から浮遊石を盗み出すつもり?」
「あるいは連絡機ごといただくかだな。そこはもっと調べてからの話になる」
浮遊石はエデン帝国が独占しており、金を積めば買えるというものではない。外交関係がないため、エルドラ帝国の力を背景に購入や譲渡の交渉をする事も出来ない。
皇帝陛下からは浮遊石を入手するよう厳命されている。合法的に入手出来ないなら盗み出すしかない。
「カリーネ。他に何か聞けたか?」
「いえ、そんなところです」
行きずりの街の住人相手では、これ以上詳しい情報は出て来ないだろう。
カリーネの報告が終わったところで、イングリッドが手を上げた。
「隊長。あのワイバーンの事ですけど……」
「ああ、その件は今夜にも本国と連絡を取って、盗まれたワイバーンがいないか確認を取る。結果が出るまでは何もしない」
イングリッドが何か言いたげにクライヴを見ている。
「隊長はワイバーンがエルドラ帝国の領域にしかいない理由をご存知ですか?」
「エルドラ帝国が他国に出さないように管理してるからだろ」
「確かにそれもありますが、もっと本質的な問題があります。餌です。いろいろ複合的な理由はいくつかあるんですが、最大の問題は餌なんです」
「餌? 大食いって事か?」
「いえ、量じゃなくて嗜好の問題です。ワイバーンは肉食と言われていますが、実際は植物も普通に食べます。特にウラカナスの葉が大好物で、これを欠かすと体調を崩して飛べなくなります」
「……確かウラカナスは高地でしか育たない木だったか?」
「はい。だからワイバーンは山岳地帯から離れられないんです」
クライヴはしばし考えてから言った。
「だったらウラカナスの葉を沢山採っておけば、山から離れても大丈夫なんじゃないか?」
「ワイバーンが食べるのは新鮮な葉だけです。せいぜい前日に採った葉までで、古くなった葉には目もくれません。餌があれば飢える事はありませんが、ウラカナスの葉がなければ飛ぶ事は出来ません」
イングリッドがなぜこの話題を持ち出したか、その理由がやっと理解出来た。
このエデン帝国のワイバーンはちゃんと空を飛んでいる。
ウラカナスの木がないのに、空を飛べる理由が何かあるはずなのだ。その理由が分かれば、我がエルドラ帝国のワイバーンも活動領域の制限が無くなるかもしれない。
山岳地帯だけでなく、あらゆる戦場でワイバーンが活躍出来るとなれば、今後の戦争の質が変わる。
「どうやってワイバーンを入手したかに加え、この地のワイバーンが飛べている理由も探る必要があるのか。イングリッド、よく気が付いたな。大手柄だぞ」
クライヴの言葉を聞いて嬉しそうに頷くイングリッド。
「ワイバーンについては、もう少し街で情報を集めてから対応する事にしよう」
報告事項はもうなさそうだ。
クライヴは明日からの予定を伝えておくことにした。
「明日からの予定だが、まずは商業ギルドに行って活動拠点とする家を借りる。何カ所か隠れ家も用意する予定だが、それはまた後日だ」
諜報の仕事は常に危険と隣り合わせだ。いつ何時、官憲に目を付けられるか分からない。活動拠点に踏み込まれた場合に備え、複数の隠れ家を用意しておく必要がある。
「拠点の準備が整う頃には、オットとアクセルも合流するはずだ。五人揃ったら本格的な諜報活動を開始する。それまで目立つ行動はするなよ」
カリーネとイングリッドが同時に頷いた。
◇◇◇
「ねえ、おじいちゃん。ここ、いいんじゃない?」
商業ギルドの職員に案内された物件は、バベル城にほど近い区画の三階建ての空き店舗だった。
クライヴの孫娘に扮しているイングリッドが、店舗の中を見て無邪気な顔で勧めてくる。
だが渋い顔をしたクライヴは、商業ギルドの職員に疑問をぶつけていた。
「この区画って一等地じゃないのか? この店舗も人が入った形跡がない新築物件のようだし、何でこんなに賃料が安いんだ?」
提示された賃料は一等地の物件としてはかなり安い。何か瑕疵のある物件ではと疑うのは当然の事であろう。
「実はここ、とある商人が自分の店を開くために建てた、店舗付き住居なんですよ。ですが彼は建物の完成直後に商売で失敗し、多額の借金を負ってしまいました」
「いや、俺が知りたいのはここが借家になった理由じゃなくて、賃料が安い理由だ。…………まさかその商人、この建物で首を縊ったのか?」
商業ギルドの職員が笑いながら答える。
「その商人はちゃんと生きてますよ。今も借金返済に奔走していますがね」
「じゃあ、何でこんなに安いんだ?」
「借金はこの建物を売却すれば十分に返済可能な額だったのですが、その商人はここで店を開く夢を諦めませんでした。建物を担保として差し出すので、借金は一年間の分割払いにするよう債権者と交渉したのです。一年後に借金が完済されれば、この建物は商人に返却されます。つまり、この賃貸物件の契約期間は最長で一年。延長は出来ないとお考え下さい」
店を開いても最長で一年しか続けられないとなれば、借り手もなかなか見つからないだろう。一等地にも関わらず賃料が安い理由にも納得だ。
探していたのは居住用の物件だったが、この店舗付き住居なら五人が住むのに十分な部屋数がある。今回は長期の任務になると想定はしているが、一年を超える事はないはずだ。契約期間の条件に問題はない。
「イングリッド、ここで構わないか?」
「うん。部屋数も多いし気に入ったよ」
「カリーネはどうだろうな?」
今日はカリーネとは別行動だ。彼女には帝都内を見て回ってもらい、隠れ家を置けそうな地区を探してもらっている。
「お姉ちゃんは、化粧道具と服をたくさん入れられるチェストさえあれば、どこでも文句は言わないと思うよ」
「そうか、じゃあ、ここに決めるぞ」
手回しのいいことに商業ギルドの職員は、あらかじめ契約書を作成して持ってきていた。書類にサインして賃料と引き換えに鍵を受け取る。
これで活動拠点は確保できた。後は緊急時に逃げ込める隠れ家の準備だが、しばらくは合法的な活動しかしないつもりだ。その間にじっくり準備すればいい。
商業ギルドの職員を見送り、クライヴは椅子に座り込んだ。
「やっと一息付けるな」
エルドラ帝国からここまでの旅で、かなり疲労が溜まっている。もう昔のような無理の利く体でない事を実感させられる。
「お茶でも入れたいところですが、キッチンの調理道具を揃えないと火も使えませんね」
この建物はバベル城へと続く大通り沿いにあり、飲食店や商店が立ち並ぶ帝都でも指折りの繁華街だ。必要な日用品は全てこの周辺で揃えられるはずだ。
「確か隣は道具屋だったな。引っ越しの挨拶を兼ねて、何か使えそうな物を買ってくるか」
◇◇◇
隣接の店の前に立つクライヴとイングリッド。
店の入口の上には大きな看板が掛けられている。
「『クドー魔道具店』か。あれ? 道具屋じゃなかったのか?」
「道具屋も魔道具屋も似たようなもんじゃないですか?」
「いや、全然違うと思うがな。とにかく中に入ろう」
扉を押して店の中に入る。店の奥から出て来たのは二十歳前後の若い娘だった。
「いらっしゃいませ。商品はご自由にご覧下さい。ご不明な点がございましたら、近くの店員にお声掛け下さい。商品のご説明をいたします」
立て板に水を流すように、流ちょうな言葉が紡ぎ出される。
「この店の御主人はいらっしゃるかな。私は隣に越してきたクライヴという者で、これは孫のイングリッドです。ご主人に引っ越しのご挨拶をと伺った次第で」
娘は微笑むとこう言った。
「わざわざありがとうございます。私はこの店の店長のテレーゼと申します。主人を呼んでまいります。少々お待ち下さい」
テレーゼが店の奥へと消えていった。
「店員かと思ったら店長だったとは。あの若さでこんな立派な店を持ってるとは、よほど経営の手腕があるようだな」
さほど時間を掛けずに、店の奥から一人の若い男が姿を現した。




