危急存亡の秋…の7
角を曲がった先の階段の下から叫び声が聞こえてくる。だんだんと小さくなっていく声にルリはすくみあがってしまった。
「何者かが住んでいるという噂は本当なのかもしれませんね。ただ…」
フリティアはルリを勇気づけるように言った。
「相手は普通の人間ではないか、と。」
霊魂への信仰は間違いなく存在する。死後、肉体からその者の魂魄がはがれ、悪しき行いをしたものは地の底へ、功徳を積んだものは天の彼方へと召される。そういう考え方が広がっている。
これが正しいとすると、地上で幽霊などいないだろう。物事の良し悪しを下す高次の存在がいるとして、その者の裁量次第で運命を振り分けられてしまうのはいかんともしがたいが、善と悪、正しいか間違っているかでしか判断しないのだから、そのどちらでもないという中庸は存在せず、地上に霊が取り残されることもないだろう。
「ですから、幽霊なんていないんですよ。」
普通の人間相手でルリが怯えたままだと、事を構えた時戦うことができないかもしれない。フリティアはルリの安全を守ることを第一義としている。
「…でも幽霊というのはその方のマナの形なのです。」
地域ごとに魂への信仰がこうも違うのもフリティアが頑なに幽霊を信じない理由の一つである。
「なるほど…」恐怖心は根強いようである。フリティアは頭をひねる。
「ここは下がってもいいのですが…」
「助けを必要としている方がいますから…!」
そうだ。彼女は救世の巫女。正しい行いのために前へと進まなくてはならない時がある。フリティアは決心した。
「…フリティア・ワルディ、あなたに襲い掛かる何者をも打ち払いましょう。任せてくださいルリ様。私があなたをお守りします。」
そっとルリの手を取りその場でかしずいた。
「…なんか、声聞こえなくなっちゃいましたけど…?」
階段の下に耳を澄ましていたキーウィが報告をしてくる。
不気味なほど静かになった地下。その先にあったのはもうしばらく使われていないであろう収容区域、平たく言えば牢屋であった。確かに観光客に見せるような空間ではない。所々についたランプが返っておどろおどろしさを演出している。三人はいつ襲い掛かってこられても平気なようにそれぞれ武器を構えた。
「フリティアさんの斧、それ実際どれくらい重いんです?」
幅の広い両刃の斧、刃だけでも5kgはゆうに超えている。それを自分の手足のように振り回すフリティアの両肩のすさまじさには感心してしまうほどであった。
「たぶんあなたその鎧ぐらいなら軽くへこみますよ。」
怒らせないようにしよう。キーウィはひそかに胸に誓った。
一歩一歩慎重に進む。
ブーツの金具が当たるたび、空虚な地下牢に響き渡る。
奥に進むごとに、壁にかけられているランプの明りが減っていく。ルリはポケットから一つライトをとりだした。
「マジックランタンですか?」
違う、とルリは黙って首を振る。
アルバートが譲ってくれたダイオードライトである。スイッチを入れると一気に光の線が奥に向かって伸びた。
「おおーそれめっちゃ明るいですね。」
「わ、私はいらないって言ったんですけど…」
なんだか不満層に頬を膨らませているものの、本心ではこのライトのすごさを目の当たりにして認めているのだろう。周りの光がなくなってもダイオードライトは鋭く闇を切り裂いていた。
「何か変わったところは?」
「…ンン?とくには。」
キーウィとフリティアはルリを挟んで左右をくまなく睨みつける。
「ぎゃあっ!」
するといきなり真ん中にいたルリが悲鳴を上げた。慌てて彼女に目を向けると金縛りにあったようにその場で動けなくなってしまっている。
「!?いかがいたしましたっ!?」
プルプルと震えて足元を確認するように指をさす。フリティアとキーウィが目線を落とした先には、潰れた人間のような形の皮のようなものが置き去りにされていた。