危急存亡の秋…の1
アルバートとオーギは水神の社からロープゴンドラでのんびりと麓の待合場まで戻る。男二人相席の個室はなんとも気不味いものがあった。
「おお、なかなか眺めが良いですね。」
足元に広がる景色を楽しみながらオーギが語る。
「トロスさんご覧なさい。あの社から川の方に向かって斜面が削れています。あれが川をせき止める土砂になったのでしょうね。」
アルバートもその指し示す方向をじっくり見つめた。確かに中腹から下に向かって山が削れて赤土がむき出しになっている。雨もなく突然崩れたのだとしたら不思議だ。
(……もしかして、水神様にマナを捧げたからなにか変化があったのか?)
その可能性は大いにあるが今となっては確かめようがなかった。
「…それで。」アルバートにはオーギに構っている余裕があまりない。オーギよりも早くルリに合流しなくてはならない。
「神官様はなぜその女の子を待っていたんで?」
「あの村を通るはずだったのです…あなたを信じて言いますが…申し訳ないが何も答えられない、とお答えすることで察していただけますか。」
ますます怪しい。
神官の実力はその目で見てしまった。治療能力だけではなく、強靭な肉体を持っている。鈍重そうな見た目に反して健脚で、山を登るときもスタスタと生きを切らすことなく上がってしまった。
こんな男性を一対一で倒すのは奇襲が得意なアルバートには難しい。キーウィとフリティアがいてくれればルリを守ることができる。なんとしても自分の本来の目的も気づかれることなく、この男をまいてしまいたい。
オーギは自分を見つめるアルバートに気づいてニコリと微笑んだ。
麓つき次の場所を目指す。
「さて、あの村にたどり着けなかった、というのであれば…」
「こっちの湖畔のリゾートはどうですかね。」
アルバートはもともと自分たちが登ってきた道を指さした。この男をできるだけ引き離そうという考えである。真実を知っていれば全く無駄な行為だ。
「ふぅむ。」オーギは腕を組む。
「何かあったのならこのあたりで足止めをくらっている可能性は高いですね。」
よしよし。アルバートは心の中で頷いた。
「ではシャトルバンで…」
と促したところオーギはまだなにか引っかかるようで動こうとしなかった。
「うまくは言えませんが、ここにそのお方がいたような気がするのです。」
魔術師はこういうことを言い出すから困る。だが、その予想がなまじ当たっているせいで肯定はしたくない。かと言って強く否定しては怪しい。
「またまた。神官様の神通力なんですか?証拠もなしに立ち止まるとまた待ちぼうけをくらいますよ。」
待ちぼうけるのは悪くはない。少しでもルリたちとの距離が開けばそれだけでも十分である。ただここは休憩エリアであって宿泊施設はない。近くのキャンプ場まで降りなくてはならない。そしてキャンプセットは一つだけだ。オーギの荷物は全くなく、神とペンと、教典と祈りのためのチャームが一つ。あとは手鏡だとかカミソリだとかの身を整えるものと少しの衣類、路銀を持っているだけである。武器になりそうなものは鉄で作られた殴打棒、メイスだけである。中にはおそらくチェーンメイルを着込んでいる。ギャリギャリと歩くたびに金属のこすれる音が聞こえるのである。
「ひとまず食事をしましょう。健やかな体は適度な運動と食事によって保たれますからね。」
オーギは荷物を預け、アルバートを側の机に座らせた。アルバートのことを信頼しているのか。
(いや逆だな。俺は試されてる。)
ルリの写真など大事そうなものはすべて手に持ったのが見えていた。つまりこれを盗んで立ち去ろうとオーギにはあまり痛手はない。このまま逃げ出すのは難しい距離だ。オーギの背丈から言って観光客がごった返す雑踏の中からコソ泥をひとり見つけるぐらい造作もないだろう。
逆にアルバートを買いに行かせた場合はさっさと逃げられてしまう。荷物を預けることによって、その場にいるように、と杭を打たれた感じである。
「どうすっかな…」
アルバートは不意に手を机の下に突っ込んだ。
「ん?」
何かを掴んだ。
「恋愛成就のアミュレット…」
ルリの文字通り置き土産である。アルバートはそっと紐を解いて中を覗く。
(やっぱり。)
出てきたのは自分の首にぶら下げられたアミュレットのときと同じ、ルリからのメッセージである。
〈5〉
とだけ書いてあった。アルバートはこっそりと懐の深いところに紙をしまう。
「………わかんねぇ…」
ルリの目論見はことごとく外れる。