誰かさんを忘れてる…の4
オーギから笑顔で握手を求められる。その手はアルバートのかつて盗みを働いていた手よりも二回りも肉厚で、
「俺はトロスです。どうぞよろしく。」
と握り返すと、彼の手の驚くほどの暖かさが伝わる。あまりの力強さにオーギの気が変わり、急に握りつぶそうとしてこないだろうかと、交わされた握手を見つめてアルバートは思った。
「なかなか盛大に転びましたな。」
「ははは、でしょう?昨日は運が悪かった。」
識者の家の縁側に再び腰をかけるようにオーギが促す。アルバートはその柔和な表情に向かって少し警戒気味に言った。
「神官様、治療していただけるのは本当にありがたいのですが、あいにく旅の途中で懐が…」
「そうでしょうとも。ですからお代はこれくらいでいいです。」
手のひらを見せる。5、という意味だ。一般的な治療代が診察料込みで金120なのだが…
「えっ金500も?おかしいだろそれは。」
アルバートは足元を見られるのが大嫌いなのでその場で足が痛むにもかかわらず立ち上がって憤慨した。
オーギは笑顔を絶やさぬまま落ち着いて首を振る。
「これは失礼、金50のつもりでした。」
「なっ…?それじゃ商売にならないでしょう?」
それに安いと安いでかえって不安になる。いい加減な治療や、わざと完治の遅いやり方で何度も何度も診察代をせびる方法もあるからである。
だがオーギはこれも軽く流した。
「私は神官。医者でも商人ではないですからね。」
「トロスさん、神官様を信用なさいませ。この方が来てから村は病知らずです。もちろん怪我もございません。」
これだ。
治療師はいともたやすく相手の心の中に入る。でも考えてみろ、神官と言う割には筋骨隆々の、そのまま重鎧を着させたほうが良さそうな大男である。髪が短いのか、あるいはないのかはわからないが、高位の神官を示す、白地に紺縁の冠がちょこんと頭に乗っかているだけに見える。
アルバートはさっと金50を取り出し前払いをした。あとからどんどんそういえばこれよしてなかったアレもしてなかったとどんどん積み重ねられて結局高値をふっかけられる可能性もあるからである。
「ふむ。」
オーギは興味深そうに患部を探りながらアルバートの足を見つめた。
「骨など折れてはなさそうですね。さすが足腰を鍛えてらっしゃるだけはある。」
「そうみえます?」
「ええ、走るのが得意でしょう?」
逃げ足や身のこなしはたしかに自信がある。しかし、少し診ただけでわかってしまうとは、それなりに治療を行っていることがわかった。
「では、じっとしていてください。」
オーギは赤く腫れたところ、広く血が固まった擦り傷、大きなアザ、アルバートの痛むところに次々と呪詛を唱えながら手を当てていった。
たちどころに痛みが消え熱っぽさがなくなり、傷口が閉じられる。恐るべき治療術である。
「ふぅ、深刻な怪我がなくてよかった。無理に治療しようとすると逆に苦痛を与えてしまいますからね。」
アルバートは傷のあったところをさすってお礼を言う。
「助かりました。これで旅が続けられそうです。皆さんにもお世話になりました。」
「これが私の役目ですから。どちらへ行かれる途中だったのですか?」
「まあ気の向くままに。今回は近くに海神様の社があったので立ち寄ったら何故かバチに当たりまして。」
ははは、とその場にいた者たちで顔を見合わせて笑う。
「女性関係ですか?」
アルバートは内心ドキリとした。何も話していないし一人旅だと強調したのになぜだろうか。冗談かもしれないし、カマをかけているだけかもしれない。アルバートは隠さない方法をとった。
「くく…そうですね。やらかしました。」
「海神様は不貞に厳しいそうですからね。」
俗説によるちょっとした小話だったようだとアルバートはほっとする。
「女性の残り香が一晩経ってもするのです。海神様の嫉妬を買ったのでしょう。」
「!?」
昨日から森を彷徨ったアルバート。だからルリやリアの匂いなど残っているはずがない。どこから…?慌てて身の回りのものを冷静に見つめると答えはすぐわかった。
背負っていた荷物の一つルリの寝具である。確かにほのかにルリの砂糖水のような甘やかな香りがした。
(この神官…只者じゃないぞ…)