八面六臂のしたり顔…の17
フリティアは張り切っている。最初の一回ぐらいでルリの出る幕もほとんどないまま、コボックローボックの這い寄るツタを切り刻み、ボックリの伸び縮みする長い舌を避け、ドグーの群れをかいくぐってしまった。
「ティアばっかり無理をさせて…。」
「守るべきもののために戦う、これが一番の力の源なのです。」
間違いなく興奮する源ではある。
「しかし、何と言いますか、べちゃべちゃしたものが多いですね。」
斧の刃を定期的に磨きながらフリティアが言う。
「うん、ここは海神さまの聖域だから。」
ローボックの粘り気の強いくさい樹液、ドグーの皮膚は言わずもがな。だがドロドロ
とよどんでいて海を司る神が祀られている空間にはとても見えない。しかしそのぬかるんだ道もようやく終わりを迎えそうであった。
「…ルリ様。」
ルリとティアは眼前に現れた純白の壁に息をのんだ。まるでそこだけ異界の中のさらに別の空間のように、リゾート地の景観がそのまま切り取られて持ってこられたかのように、清く空気が澄んでいるように見えた。
「幻でしょうか…。」
「いえ、感じます…」
ルリが目を閉じてゆっくりとそちらに向かっていく。フリティアは周りを警戒しながらその横に並んだ。
「ここがこの聖域の神殿。海神様が坐すところです。」
二人が同時に泥と石灰石の境目を越えると、カラッとした清涼感のある風が二人を向い入れるように吹き付けた。中央にはきらきらと光輝く丸い池が波一つ立てずに空を映し出している。まるで神殿の周りだけ快晴のようであった。
「ルリ様…ここが神殿…なのですね?」
今まで血なまぐさいことをやり続けてきたフリティアが、思わず後ろめたくなるような潔癖さであった。
「多分、あの奥…」ルリが中央からまっすぐと続く階段の上を指さす。
「あちらに海神さまがいらっしゃると思います。」
人一人いない静かな空間。だが先ほどから何者かにじっと見つめ続けられているような不思議な感覚に陥っていた。
「ルリ様さっそく!」
前に進むようフリティアが促すがルリは首を振った。
「まずお会いするためには身を清めなくては。」
「とおっしゃいますと?」
「この池がおそらくそのための場所でしょう。武器を置き一度体を洗って…。」
フリティアの目が大きく開く。
(つ、つまり水浴び…!?)
「この空間がひどく汚れた場所である理由はそういうことからきているのでしょう。ティア一緒に…」
「イエエエエエエス!!!」
「えっ?!なに!?」
フリティア、渾身ガッツポーズ。どこまでも嗜好がおっさんに近い。その邪念までにはルリに届かない。不思議そうな顔をしながらルリは身に着けた荷物を下ろし始めた。フリティアもワクワクしすぎて、普段なら決して離さないような武器や防具をガチャガチャとはずしていく。
「ティ、ティア!?なんでお衣装まで脱いでっ…!?」
秒で真っ裸になろうとしていたフリティアをルリがあまりの衝撃に腕ずくで止めてしまった。
「え…『水浴び』…ですよね…?」
「『清める』のですから服は着たままでいいんですよ!」
「うそ…。」
途端に顔に絶望感が漂う。
結局衣類は脱がないまま二人で池の中に入っていった。泥汚れを手で落として、外の汚れをはらっていく。
(あ…でもこれはなかなか…)
水にぬれた服がルリの肌にピタリと張り付くのを見て、フリティアはそこそこ満足した。顔には出していないが、鼻からは血が垂れそうである。
しかし、二人が身を清めている中、池の中に異変が起こった。
――ちょっとやめてくださいません!?
広場全体に響く池の底からの声。二人は驚いてその場に固まってしまった。
――ひとの昼寝の邪魔をしてなんなのあなたたち!!
姿は見えずとも声は聞こえる。ルリは間違いなく海神のものであると直感した。
「海神様、申し訳ありません!ここでの作法が分からず、身を清めてお会いしようと…」
――…あなたはタダモノじゃなさそうね?
「はい、私は…」
――ちょっと待ちなさい、言わずともわかるわ。今そっちに姿を見せてあげるから。
そう言って池が揺らいだ。ぶるぶると震え中央から泡が噴き出てくる。そして。
「きゃっ!」
大きな水柱が立った。
あたりに飛び散り二人は思わず目をふさいでしまう。そして次に目に飛び込んできた海の女神の姿は…
森の反対側。耳を澄ますリアのところに少女の叫び声が届いた。