八面六臂のしたり顔…の16
強烈なにおいはそれだけでそのものの居場所を伝えてしまう。アルバートが念入りに体を洗い消臭をしているのはそのためである。だが今はそれができない。腕からはとんでもない腐臭が漂っていた。少し体調も悪い。さらにいうと、他の者から物理的に距離をとられている。
「なあ…なんか…水魔法でばしゃーって丸洗いできるとかないのか?」
「水魔法って操ることはできるけどきれいな水そのものは出せないのよね。」
ルリが氷の魔法を使ったときも氷の塊が現れるのではなく、水が凍ってしまうほどの寒風が吹いていた。炎魔法は着火させて使っている。
「まあ魔法の才能がないあなたたちはわからないでしょうけど、マテリアルとエレメントっていってね。魔法が司るのはエレメント、『物体をどのように変化させるか』っていう部分なの。」
先ほどの火の玉も小さな火種になるものを用意して、その周囲の空気に燃焼するようマナが働きかけることによって、炎の塊になる。
「中心に燃やせるようなものが何もなければ火の玉は作れない。」
「解錠の魔法などが分かりやすいですね。」
シズが解説を付け加えた。
「実体のない鍵を生み出しているのではなく、錠前を『開いている状態』に変更させるんです。」
「なるほど?」
アルバートは臭っていない方の腕で顔を触った。
「じゃあ気持ち悪い粘液を消し去る魔法はあるのか?」
その説明によれば、粘液は物体なのでこれに対してマナが働きかけることによってかき消すことができるのではないか、と考えた。だが魔法使い二人は首を振る。
「そのものの存在自体を消す、ということはできないんです。」
あくまでも物体の状態を変化させるのが魔法なのだという。有を無にすることはできない。同様に無を有にすることもできないそうだ。
「乾燥させたりすることはできそうですけど…。」
粘液がこびりついてカピカピになる未来が予測される。その場合臭いが染みつく未来しか存在しない。臭いぐらい我慢するべきなのだろうが、これから信頼を気付こうという相手と距離をとられたままだと作業に支障が出る。それでも幸いなのは利き手と逆の腕でナイフを握ったことだ。
「しかたねえ、沼で洗ってくる。先行っててくれ。」
泥水の方がマシである。当然魔物が潜んでいるだろうが、応戦できないわけではない。アルバートは一人、道を外れて沼の方へ静かに歩いて行った。キーウィが先頭に立ち目印を残してくれるはずだ。後でゆっくりそのあとを追いかければよい。
アルバートは腹ばいになり茂みに身を潜めながら沼のほとりを確認する。霧はまだ晴れず、辺りはどんよりと重い空気が漂っているが、幸運なことにこの周りには今は何もいなさそうであった。
「となると前から這い出てくるあの泥人形どもを警戒してればいいか。」
中腰になってズリズリと沼の方へ近づいていく。そのとき後方の茂みから草のこすれる音が聞こえた。アルバートは剣を逆手に持ち後方へ剣先を突き付けて警戒をする。
揺れる草の音がだんだんと大きくなっていく。アルバートは息を止めた。
音が最大になった。
「だれだ!」
アルバートが即座に振り返りながら背後を切りつける。
「きゃああっ!」
ドテッとその場にリアがしりもちをついた。それと見たアルバートは少し緊張を和らげた。
「なんだよ、リアちゃんか。危ないじゃんか。」
「どっ、どっちがよ!信じらんない、いきなり切りつけるってある?!」
「それぐらい当然だろ。」
アルバートは首を振った。
「それにメンバーの中で唯一警戒を怠らないリアちゃんならわかるだろ、それぐらい。」
「…ん、そ、それはそうだけど…!あたし、手伝いに来たっていうか…なんていうか…。」
それなのに声もかけられず攻撃を仕掛けられたのが不服なようである。
「そりゃ悪かったな。」
アルバートはゆっくり沼に腕を浸けて洗い始めた。
「一人できたら危ないだろう、あんな音を立てて。」
「別に敵が来てたら察知できるもん。」
「へえ?」
不満な顔をしながらも自信ありげに答えるリア。彼女には何か秘密があるのだろうとアルバートは確信する。
チャプチャプとかすかな音と小さな波を立てながらアルバートは腕についた木の樹液を落としていく。その間、手伝いに来たというリアは特に何もすることがなくその場で膝を抱えてアルバートの背中をじっと見ていた。
「そんなに熱心に見つめて、どうしたよ。」
アルバートが振り向かずリアに話しかける。
「違うし、そんなんじゃないし。」
「ははは…。」
再び会話が途切れる。アルバートは何か話たがっていそうなリアをじっと待っていた。泥を片手にすくって服にこすりつける。沼は比較的きれいで水の腐った臭いもしない。泥はなかなかきめ細かく、手触りもよかった。一時的な臭い消しとしては上等である。
やがてリアがもじもじと話し始めた。
「…あんたたちって…何者なの?」
「……冒険者だよ。」
「その年で?」
「あっ?リアちゃん、俺のこといくつだと思ってんだ?」
「3…4ぐらい。」
「まだ20代だぞこっちは!?」
そんなに老け込んでいるつもりはない。相手がいくら年若いといってもあまりにも離れているという感じではないはずだ。
「いや待て、そんなにおっさんに見えるのか、俺は。」
「えっと…まあ、そう。」
若い娘から無慈悲な宣告をされる。アルバートは「マジかよ…」とうなだれた。
「あ、いや…なんていうか落ち着きがあってさ…うちの男子ってやる気に満ち溢れてたり優しかったりでいいんだけどなんて言うか、子供っぽくて。」
実際子どもであるが、アルバートはそうは考えていない。
「…外出たらもう立派な大人だよ。」
何者にも守られない、自分だけが頼りの世界に頬りだされたときそれがアルバートにとっての成人の儀である。
「あんたたちってベテランっぽいのに、勇者番付とかパーティボードとかでは一度も見たことがなかったから…。」
「あんまり詮索されんのは好きじゃねーな。」
旅の目的が目的である。ルリと無事出会えるとしてもその直前で別れようとアルバートは考えていた。
「…ごめん、でも何度も助けてくれてるし…悪い奴らじゃないんだろうけど…。」
「わかんないぜ?俺が親切にしてるのはリアちゃんだけだし。」
ニタニタ悪い笑みを作ってその横顔をリアに見せつけた。
「……あんたって何者なの?もう一人は自分のこと勇者とか言ってたけど。」
それでもひるまずに話すリア。
「俺は騎士だよ。」
「騎士?え、全然見えない。」
「フリーナイトってやつだよ。自由騎士。」
騎士号をもらっているものは基本的に領地をもらい、誰かに仕えている。アルバートに騎士号の証書を奪われた本物の騎士ロコウもその類である。対してアルバートの言うフリーナイトとは騎士の証書は持っているものの、統括地の運営がうまく回らなかったため領地を雇い主に変換し、在野で日銭を稼ぐために傭兵稼業をやっているような放浪の民である。彼らのたいていは収入もよくないので鎧のグレードも低く、急いで次の身を落ち着ける場所を探すため傭兵の傍ら新たな主を探している者たちである。
アルバートが嘘を問い詰められそうになったときは十分に説得力を持つ設定であった。「そ、そっか…。」
「それで?」
「え?」
アルバートが沼から腕を引き抜く。持っていたかわいたタオルで多少水けをふきとりながら、不敵な笑みを浮かべてリアに振り返った。少し様子が変わったことにリアは体を堅くする。
「…あっ…きゃっ!」
アルバートはリアの腕をつかみその場に押し倒した。組伏しながらアルバートがリアの顔をのぞき込む。
「あっ…あっ…」
男の顔が間近に現れリアは顔をこわばらせた。心臓が飛び出そうなほど激しくなる。口が乾いて叫び声も上げられなかった。少しだけ信用してたのに…なんで?リアの目じりに涙がたまり始める。
「くっく…」
アルバートが笑う。そしてそっと口ものを彼女の耳に近づけた。
「リアちゃんの秘密を教えてよ。」
「えっ…ひ、秘密?」
「そ。」
パッと握られた手から力が抜けた。お互い目を離せぬまま会話が続く。
「さっきの休憩の時、俺とキーウィがこそこそ話してたの…全部聞こえてたんだろ?それについて聞きたいんだわ。」
まだ頭は混乱したままで、呼吸も乱れている。だが、アルバートは自分に危害を加える様子がなかった。笑いながら彼女の身を起こす。背中に触れられても全く嫌悪感を感じなかった。