騎士だと信じて疑わない…の4
アルバートは娘の元へなりふり構わず走った。格好つけたいわけではないが、どうしても矜持のほうが勝ってしまう。
(早いとこ引き連れて逃げ出さねえと…)
その場合の祖父の救助のことは想定していなかった。二人を連れて逃げるのは今のアルバートには出来ない。
(悪いが爺さんはあきらめてもらって…)
そう考えを巡らせていた時である。
「アルバートさん!」
娘が一人で手を振ってやってきた。自然と表情が和らぐ。
「さっさとここから逃げよう、あいつは…」
「その話なんですけど…」
娘はまるで人が変わったかのようにほほ笑む。
「もう大丈夫になりました。」
「えっ?」
アルバートがピタリと止まる。それはどういう意味なのだろうか、諦めたということかそれとも交渉が決裂したのか…。
「私、ここの旦那様と結婚します!」
「………はっ?」
青天の霹靂。アルバートはしばらく呼吸が止まった。心臓が止まったかと思った。
ことの顛末は…娘と祖父と成金で話し合っていた最中に、成金から出された条件が非常に良いものであった。ピカルチェの宝石に加えて、宿の営業の支援も行うと。それだけの条件を出されても祖父はまだ渋っていたが、しばらく談笑して相手がそんなに悪い人間に見えなくなってきたそうだ。
そう、これまで言い忘れてたが成金男は割と顔が整っていた。
健康的な肉体と、少し割れた顎が不格好にも見え、年もそれなりに離れているが、ここのほかの娘たちの暮らしぶりをきいても特に悪いようにはされておらず、彼女たちそれぞれの実家も色々と世話になっているらしい。
「断る理由もあんまりないように見えたので…。」
うぶな恥じらいを娘は見せつけてくる。アルバートはもう何が何やらわけのわからない状態だ。楽して暮らしたいという思いもあったせいか、この奇妙な縁談を娘は喜んで受けることにした。作戦中止の報告をアルバートにするために一人で抜け出してきたとのこと。
(そうだった、忘れてた…この女…結構なアホだった…)
「こっそり抜け出してください、旦那様に見つかっちゃうと怒られちゃうので。」
「うぎぎぎぎぎ…」
アルバートはギリギリと歯ぎしりをする。
人がどれだけかけて準備したと思っているんだろうか。アルバートはこの場で張り倒したい怒りをこらえつつ、娘に言う。
「せめて…出口までは安全に連れてって、くれないかな…?」
笑顔を作るがもう、左半分が引きつって口元なんてピクピクと痙攣している。
「任せてください。」
アルバートの心を知らない娘は陽気に今日着いたばかりの我が家を案内した。
「では、お元気で。」
もう送り出すその顔には一点の曇りもない。アルバートも、口だけ笑って別れを告げた。
「ああ、ここにいたのかね。おや、そちらの方は…」
「あっ旦那様この方は、私の友人で…」
娘が隠すようにアルバートの前に立った。その時アルバートがポケットからあるものを取り出す。
「いやあ、この娘が忘れ物しちゃって俺、届けに来たんですよ。」
ピラリと一枚、彼女の頭にパンティを乗せた。
その場にいた娘以外の誰もがあ然とする。当の本人は素性でなにか起こっているのか分からず口をパカッと開けて笑顔のままである。
アルバートは玄関を破る勢いで走り出す。その日のうちに街を出て他のところへと逃げおおせてしまった。
(何とか食いつないでるけどなあ…。)
それからひと月。アルバートの路銀もそろそろ底をつきそうだった。はじめのうちは賭場に顔を出したり、息の合った街の人に一杯おごってもらったりして食いつないでいたがそれもそろそろ限界である。1週間ほど前から真面目に働こうと色々職を探してはいたのだが、どこから漏れたのかこの街にも自分がしでかしてきた数々の悪事の噂がささやき始めている。かといって次の街に行けるほど金は持っていない。
アルバートは通りの街灯の下に腰を掛けて往来をぼんやりと眺めていた。一番体力を使わない昼間の過ごし方である。夜になったら水でもいいので体を洗い、どこか身を隠せるところで一晩を過ごす。前ならば酒場に顔を出して酒を飲んで過ごせていたのだが、ついに昨日ダメになってしまった。
ふと、鎧姿の青年が辺りを見渡しているのが目についた。おそらく流行りの冒険者というやつだ。この街には慣れていないのだろう、道行く人に声をかけて回ろうとしているがあまり相手にしてもらえない。
冒険者というのは言ってみれば道楽とか腕試しとかそういう社会性を欠いた行為をする者たちのことで、向こう見ずな若者が最もなりたがる職業だ。実際なんのライセンスもいらないので、誰でもその日から冒険者になれる。しかし、このブームが結構バカにしたものではない。彼らは金の羽振りがよく、鎧やなめし皮の服など普段なかなか売れないはずの品物をどんどん購入し壊してしまうので鍛冶屋防具屋武器その他もろもろ、冒険者を支援するテナントがどんどん市場にあふれていった。今では各有名ブランドも武器、防具のプロデュースに力を入れているようで、機能性、デザイン性ともに優れた商品が年々増えてきている。
鎧の青年は不安そうな足取りで市場の奥に消えていった。夢あふれる青年は少しぐらいうらやましくも見える。自分も老けたつもりはないが、歩んできた泥の道が達観させてしまう。
「悪いことはしてきたけどよぉ…」
はぁ、とため息をついて顎に触れる。そういえばそろそろひげが伸びてきた。これを剃るのにも金はかかる。
(いい印象は身だしなみからか…)
アルバートは新参者の心得のようなものを思い出してとぼとぼと理容室を探しに行った。