騎士だと信じて疑わない…の3
いよいよ忍び込むという日に限ってとんでもないことは起こる。
「あっ?」
はじめはカタカタと机の上のペンが震えた。何かと思ってペンを見つめていると、落ち着く間もなく下から突き上げるような揺れに襲われた。
街全体が大騒ぎである。道路にきちんと敷き詰められていた石がずれて道がでこぼこになり、向こうので店などは商品が散らかってしまっている。揺れが完全に収まったのをみて周りの人が駆けつけ手助けしているのが窓からでも見えた。
天変地異、災害がここのところ多かったが、まさか今日起こるなんて…。アルバートも街の様子を見に行く。被蓋らしい被害は本棚が倒れたり貴重なものが割れたり散らかったりその程度で済んだのが幸いだった。表面上は。近所の奥様方が集まって「今のすごかったわねー」とか「イヤーびっくりしたー」などと互いの安否を確認しつつ、過ぎ去った安どの表情を浮かべている。街を行く子どもたちも少し興奮気味だった。大きな被害が出なかったお陰か街はすぐに落ち着きを取り戻していった。
街をさまよっているとしばらくして下水の入り口の穴に作業服を着た男たちが詰め寄っている所にでくわした。
「…なにかありました?」
アルバートは紐を括り付けている作業員に声をかける。
「ああ。」男は首に巻いていたタオルで顔を拭いた。
「さっきの地震でどうも下水道から漏れちゃってるらしいんですよ。町内放送でそのうち断水のアナウンスがされると思いますから…」
「ありがとう。」
アルバートはにこやかに手を振ってその場を離れる。
(まずい…)
角を曲がった先ですぐに宿屋へと走って帰った。
緊急断水と応急処置、他の箇所の状態の確認がおそらく、いや間違いなく入る。となると地下を通って成金邸に侵入するときに誰かと鉢合わせになる危険性が高い。人に見られるわけにはいかないだろう。部屋に戻って計画を練り直すアルバートは頭天井を仰いだ。
「あーちくしょ…」
(残るタイミングは…。)
交換の際に娘と祖父が立ち会うことになっている。このタイミングの直前、宝石を持ってくる時に手に入れる。
「それしかないか。」
アルバートは宿屋の娘に作戦の変更を告げた。
地震があったから、もしかしたら予定が先延ばしになるかと淡い期待もあったが、そこは抜け目ない小金持ち、当然約束の日に迎えに来るのは曲げない様子だということはその日の夜に伝わった。
当日の昼。定刻通りに迎えの成金の馬車がやってくる。娘と祖父は浮かない顔で乗り込んだ。
「こちらの荷物は?」
馬車の運転手が娘が持ってきた大きなトランクを抱える。
「嫁入り道具なので持っていきたいです。後ろに積んでおいてください。」
「かしこまりました。」
運転手は丁寧に馬車の荷台に乗せた。まだきちんと直っていない道路を馬は軽快に歩いてく。金持ちの屋敷にはそう長い時間はかからなかった。
「よくぞ、来ていただけましたな。」
主が両手を広げて娘を迎え入れる。その眼中に恨めしい表情をした祖父の姿は映っていないようであった。
「ではお約束の品を…」
成金が言いかけた時に
「私の住む部屋を見せてくださりませんか?それと今後のことも話し合いたくて。」
と娘がお願いをした。もちろん男は喜んでこれを受け入れる。男はすでに様々な街の娘、貴族の娘など情婦を囲っていた。それぞれが気ままに暮らしていて、呼び出されたら金持ちの相手をするだけである。
周りが静かになったころトランクのふたが開かれた。
「あとは宝石だな。」
この短時間では盗んだのもすぐに気づかれて当然追われるだろう。それをなるべく引き延ばすために娘が男のことを引き留めた。潜入するために用意していた召使いの衣装をまといアルバートは手の平に書かれた屋敷の地図を確認する。客間がやたらと多く迷いそうだが、宝石が眠るのは重要な位置に他ならない。今は娘が部屋に案内されているおかげで屋敷内が少し手薄になっている。
食事会の話によると、宝石は男が付き人呼んでその場に持ってこさせたらしい。となると、その日は最初からそれを材料に何かと交換するつもりだったのだ。そして今日もおそらくその男が宝石を運ぶ役割だろう。
(作戦は練ったけど改めて確認すると準備期間が少ないせいで可能性の話ばっかに…)
なんにせよ一つでも予想が外れたらその場でプランを変更しなくてはならない。最悪、娘が言った通りさらってやるのが一番の幸せなのかも…と思い始めたその時、この屋敷に雇われている姿勢の正しい男が廊下の向こうを通り過ぎた。
やつは運んでいるのか、運ぶ前か。
アルバートはそう直感して様子をうかがいながら後をつける。
男が手袋を外しているのを確認した。
(これから取りに行くのか。)
アルバートは宝石のある部屋の可能性を割り出す。道なりに行くと主人の部屋と書斎とバスルームだ。このバスルームの通気口はアルバートが初めに計画した侵入ルートの出入り口だ。下水道から出ると屋敷の横に出る。そこから塀を越えまっすぐ行くと壁の上部に通気口がむき出しになっている。ここを夜間のうちに出入りして探索するつもりだった。
男は手袋をはめて主人の部屋のドアノブに手をかけた。
(あそこか…。)
男は部屋から出るとバスルームから漏れてくるシャワーの音を聞きつける。見ると入り口が半開きになっていた。恐る恐る扉に近づいてみると床には女性ものの下着が散らかっている。曇りガラスの向こうに何やら人影が見えた。ハッと息をのんで扉を慌てて閉めようとしたところ、
「おや、あなた今何を?」
ふいに背後から声をかけられて男は飛び上がる。召使の一人がたっていた。
「いえ、何も…」
「ははぁ?なかなかやましいことを…」
「違います!扉が開いていたので閉めようと…」
ふーん?とニヤニヤと笑いかけて相手の召使は不遜な態度をとる。
「私はやましいことなど一つも。」
「ですが、まあ事実はここに収めましたからね。」
召使が懐からカメラを取り出してくる。
「な、何を目的に…」
青ざめる付き人。これを主人に告げ口されようものなら自分の立場が危うくなる。
「いやね…ご主人様が大切にされてる…ほら、ピカルチェの…」
「それは割に合わない!」
召使は慌てて首を振る。
「滅相もない!違います違います。一目だけ見て触ってみたいんですよ。俺みたいな下賤なものがその眼に触れる機会なんてなかなかないでしょう?触れられるのはご主人様から絶大な信頼をうけるあなたぐらいだ。すぐこの場でお返ししますので、どうか。」
…その程度なら。と苦渋の表情で付き人はケースにしまっていた宝石と手袋を召使に渡す。召使も持っていたカメラを渡した。
「フィルムをとってしまって構いません。これで遺恨はなくなるでしょう。」
「全く…。」
「こうでもしないと、お目にかかれませんからね。」
付き人はほっとしながらカメラのクランクを引き上げて裏蓋を開けた。たしかにフィルムがはめられている。
「あ、ちょっと!」
召使が前に乗り出してフィルムを無造作に取ろうとしていた男の手を抑える。
「まだカメラは使えるんですからちゃんと取り扱ってくださいよ。」
とさっきまで持っていたケースを押し返してカメラをひったくるようにして取った。
「…もう構わないかな?」
付き人がケースの中をのぞき込むときちんとガラス玉のような宝石がはめられている。
「フィルム外したことありませんでしたか?」
器用にフィルムを外して召使が放り投げる。
「いや、そんなことは。」
「えー、でもさきほどは手元ばっかり見てましたし…。」
ケラケラと笑った。
「では、私はこれで失礼するよ。」
「ええ、では。」
不機嫌になりながら付き人はその場を去っていった。
アルバートはほくそ笑んでバスルームに入っていく。カメラもさっき書斎で手に入れたものだ。
「だいたい、下着をその場に抜き捨てるかっての。」
女性もの下着はすべて娘がトランクに押し込んでいたものである。体を曲げているとき痛くならないようにという配慮だったが、有効利用させてもらえた。バスルームの影はハンガーにバスローブをかけたものである。水にぬれてべちょべちょだが最早構うまい。
「さて帰ろう…」
と思って今日の報酬を見つめた時、アルバートは目を見開いた。
「しまった…!」
彼の手に握られていたものも紛うことなきガラス玉であった。すり替えたのもガラス玉である。ハナからガラス玉しか用意されていなかったのである。