騎士だと信じて疑わない…の2
今までずっと人に褒められたようなことはしてこなかった。その日その日を生きるのに必死だったとも言える。だがギリギリのところで踏みとどまっていた。悪に染まり切れず、かといって正義に戻れるでもなし。
「世の中何でもその二つで答えられたら楽なんだけどな…。」
馴染みだと思っていた酒場を追い出されたアルバート。細い街路を通ってブカブカの服の裾を石の塀にこすりつけ、おぼつかない足取りでどこへでもなく逃げるように歩いていく。かつての自分をどこかに捨て去りたい気分であった。
酒場の孫娘の願いを聞き入れたアルバートは、さっそく富豪の屋敷に乗り込む手はずを整える。目標はピカルチェの宝石。あれさえなくなってしまえば交渉は成り立たず、娘も連れていかれないだろうという予測であった。失敗した今となってはこの辺りの認識が甘いとしか言いようがない。
泣きついてきた相手を一蹴できるほどアルバートは覚悟できていない。
彼のもっとも得意とすることは盗みである。
「自分は大丈夫ってタカくくってるやつこそいいカモなっちまうから、あんたも気をつけなよ。」
と優しい言葉を投げかけ、去り際に身なりの良い鼻持ちならない奴らから金目の物を奪っていた。人は安心したとき、味方ができたと感じた時心に隙が生じる。アルバートはそこの隙をつくのが得意だった。
人の心の隙間に入り込み良い印象を与え、どんなにいけ好かない奴らだろうと自分を目立たせず、そっと近づいていく。今度の標的の成金男ももちろんいけ好かない男であった。だが、アルバートが近づかなかった。
その男は最初から人を信用しない人間であり、万一信用を得られたとしても、どうもきな臭い仕事が多いようで悪の片棒を担がされる危険性が高かったからだ。
「もっと単純な、人から搾取するような人間とかならやりようはあるんだけどなあ…」
街で何かの商売をやっているらしいが、店の一つも構えていない。自分の邸宅に呼び寄せてそこで交渉するらしい。後腐れなく追いかけられにくい盗み方は、相手に取り入って侵入経路を確保するところだが、たった数日では呼び寄せられるようになるまで気に入られるのは難しい。
おまけに常に見張りが外門に立っていてこそこそと盗人のように侵入するのもやりにくい。穴を掘って地下から侵入するなんて、今日日、街の端まで下水道が張り巡らされた石畳の街では無理である。だが、一つアルバートの頭に考えが浮かぶ。
「下水は必ず成金の家までつながっている、一人なら難しくはないか…。」
アルバートは部屋でこそこそと思案を巡らせていた。手に入れた水路の図面と金持ち屋敷の見取り図を見比べる。
「悪くはなさそうだ。あとは…どこにお宝が運ばれるのか。」
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「ああ、しばらく待って。」
「大丈夫です。私です、アルバートさん。」
「一人?」
宿屋の娘であった。歳は18を過ぎたといっていたが、それにしても少し思慮が足りなくて考え方が甘っちょろいところがある。見た目は飛び切りの美人なので、その小金持ちでなくても、街の東端から西端まで、そこに住む様々な職業の男たちから求婚されたほどだが、それらすべてを断っていた。結婚の条件に合わないということらしい。
「アルバートさん、それで…どうなりそうですか?」
やはり不安なのは数日後の強制結婚。気持ちは痛いほどわかる。
「何とか見えてきたところだ。危ないからこれ以上は聞いてくれるなよ。」
そう告げてさっさと仕事の邪魔になる娘を部屋から追い出そうとするが、なぜだか頑なにその場を離れようとしなかった。
「…?なんか用なん。」
彼女の両親、祖父たちは、娘の依頼でアルバートが画策していることを全く知らない。それがまさかばれてしまったのだろうか。だがわかったところで止める理由にはあまりならない。自分たちの娘を助けようとしているのなら悪人でも黙認してくれるだろう。
「いえ、その…お礼、がしたくて…。」
そういって、娘は羽織っていたショールをその場に脱ぎ捨てる。こういうことには慣れていないだろうに、少し無理をして言っているのが肩の震えから見てもわかる。アルバートがあらわになったその肩に手を添えると、彼女の体がピクリと反応した。
「まだ始まってもねえし、ここで好きでも何でもない奴に『お礼』なんてしたら結局嫁ぐのと同じようなもんじゃないかよ。」
安心させるよう軽く肩を叩く。
「違います!」
娘は必死だった。アルバートはどうしてもひかない娘の様子に怪訝な顔をする。
「…同じじゃないです。………なら…アルバートさん…もし、失敗したら…私を…」
さらってくれとでも言いたげである。だが燃え上がる娘とは逆にアルバートはうんざりしてしまった。なぜなら彼女はこの依頼をするまでそんな素振りすら見せていなかった。切羽詰まって胸の内を明かしたとも言えるかもしれないが、アルバートは彼女の婚姻条件に全く当てはまっていない男である。容姿が整っていて、金に不自由なく、安定した職業についていること。
アルバートは目立つのが嫌なのでなるべく地味な格好をするようにしている。見た人の印象が残らないような薄い顔をわざわざ作っている。化粧道具が実はベルト右側のポーチにこっそり入っているのである。
つまるところ今のアルバートはオールアウト。一時の気の迷いで告白されてもアルバートは参ってしまう。
「…俺がやろうとしてることはどうやっても爪痕が残る。失敗した場合は存在しないから気にするなよ。」