世界が闇に包まれる…の12
アルバートが苦戦に陥る少し前。
キーウィは何とか安定したところまでルリを連れてくることができた。ライトを顔に当てて怪我の様子を眺めるが、少しかすり傷ができているぐらいで他に目立った外傷はなさそうであった。ほっと一息ついて応急処置にうつる。
「うう…ごめんなさい…。」
自分の不注意で二人の足を引っ張ってしまったことをルリは深く反省する。
「まあ、そんなこともありますよ。」
キーウィはへらへらと笑って、慰めなのだかよくわからない言葉をかけていたわった。足は怪我をしていないか見るために、キーウィはルリの下履きを遠慮なくまくり始めた。
「やっ!」
思わず反射でキーウィの顎をけり上げてしまった。だがこの場合悪いのはキーウィである。
「あ、足はこの通り大丈夫そうなので、あんまり服をめくらないでいただけますか?」
「ああ、すみません!そうですよね。」
(言われる前に気づいてほしい…)
ルリが里を出発するときに迎えに来たのがこのキーウィである。自分と意見が合うのはとても心強く感じるのだが、いかんせん思慮に欠ける部分があることを彼女は見抜いていた。あんまり物事を深く考えず行動する。
(根は悪い人ではないんですけど…。)
今のように怒ってみせれば素直に反省する。里を発つとき「道中は危険ですよ。」ということでルリの体を背負って旅立とうとした。当然ルリは出会っていきなりおんぶなど言語道断。激しく拒否をした。しかし「巫女様をお守りするのですよ。」と引き下がりもしない。この度は世界を救う旅であり、修行の旅なのだから自分の足で歩くべきではと告げたら、「では出口まではそうしましょう。少ししたら背負いますよ。」と返される。いい加減気付いてほしくて、
「私の袴はまた下で二つに分かれていないんです!背負おわれたら履物がめくれてしまいます!」
と顔を真っ赤にしながら訴えた。そうまでしたらようやく引き下がった。
今も治療セットを準備しながらルリの顔を傷がないかまじまじと眺めてくる。年上の男性に見つめられるだけでも気恥ずかしさを覚えるのに、何事もないかのようにふるまうので本当に困ってしまう。実際のところキーウィには全くの下心がないのでよりタチが悪い。
「あの、キーウィ…治療は自分でしますので、このお鍋を外すのを手伝ってください。」
「仰せの通りに!」
返事だけは一級品である。
キーウィは外側を抑えるだけでいいのに、合図もなしに鍋の下側から手を突っ込んでくる。
「ギャッなにを!?」
驚いてルリは後ろにのけぞる。
「えっ、まず腕を抜いてからと思って…」
現在ルリの腕は寸胴鎧の内側の胸のあたりでクロスされている。この鎧をアルバートに着せてもらうときに、その一部始終を見ていたはずだがなんてことを言いだすのだろう。
「まあとにかく…」
まだやろうとしてくる。ルリは全力で後ろに身をよじった。ガリガリと鍋と坑道の壁がこすれて嫌な音がする。
この時だ。
ルリの体が一瞬ビクンと跳ね上がる。また蹴られるのではとキーウィは距離をとって身構えた。だが、ルリはそのまま何もせずにパクパクと口を開きながら小刻みに震えている。
「ど、どうかしましたか…?」
「な、何か背中に…」
削れた際の小石だろうか。いや違う。何かがもぞもぞと動くのがルリの柔肌につたわってきた。ルリはこれに似た感じのものをおとといの夜に見かけている。こそばゆさは上に上がったり下の深くまで行こうとする。
硬直したルリを心配してキーウィは鍋と背中の隙間をグイッと覗き込んだ。
「あっ、なんかいますね!」
ナンカイマスネ!
背筋が凍った。
乙女の叫び声が鉱山内にこだまする。
「ルリ!無事か!」
アルバートが声をかけるものの、奥底からは獣のような嘆きの声。これはただ事ではない。
「キーウィ!どうした!何があった!」
「なんか!何かいます!」
(こいつらの仲間がまだ中に?!)
アルバートは急がなくてはならなくなった。後ろの二人に危機が迫っている。アルバートは長剣を大きく振って威嚇する。ルリが放つ負の気により不安を掻き立てられていた強盗たちはそれだけで怯んでしまう。
「どいてろ!」
一閃、正面の太った男を袈裟切りで下す。
しかし浅く入ってしまい致命傷にはいたらなかった。だが十分な効果があった。飛び散った味方の血液がおののいていた周りの男たちの恐怖を煽る。
一瞬のスキを見つけてアルバートは急ぎ二人の元へかけていった。
「ルリ!キーウィ!」
ルリは半狂乱で呪詛のような言葉をもごもごと口ごもっている。
「何があった!?」
キーウィは迫真の表情で、汗が噴き出るアルバートに告げた。
「セナカニムシガハイッタミタイデス!」
「はっ?」
よく聞き取れなかった。
「背中に虫が入ったみたいです!」
「…ああああん!?」
彼女の絶叫よりも大きい、アルバートの怒号。だが無碍にもできない。世界のバランスを保つ程のマナに大きな悪影響が及んでしまう。
「キーウィ!お前あっち行ってあいつらの相手してろ!死んでもその位置から動くんじゃねえぞ!」
どちらがならず者だといわんばかりの乱暴な口調である。これまでにないアルバートのあまりの怒りの形相にキーウィはびびって返事もろくにせずに敵に突っ込んでいった。
「ルリ!」
「滅セヨ…!」
見ると手のひらにすでに魔力が集まり始めている。
「こら!」
アルバートは力いっぱいガツンとルリの頭の鍋の底を叩いた。
その衝撃でルリが涙目にもどり始める。
「あっ…ア、ル…」
息もか細くまるで死期が近いように見える。
(虫ごときで死なれてたまるかよ。)
「とってやるから…背中こっち向けろよ。」
ルリを手招きして身を寄せあった。
「さ、刺すやつですか?噛むやつですか?」
プルプルとおびえながらルリがこわごわ聞いて来る。アルバートは何も答えなかった。
出口の方では再び火花が飛び散るような鉄の鋭い音が聞こえ始めた。
「あ、アル…」
「はぁ………あれ、結構深くまで行ってんな…」
ため息交じりのアルバートのつぶやきをきき、再びルリの表情が曇り始める。
「ルリ、この鍋外すからじっとしてろよ。」
急ごしらえの肩の留め具を愛用のナイフでブツブツと切り裂く。しかしルリの豊かな体のせいなのかそれだけでは落ちることはなかった。
「…とりあえず立ってみるか。」
アルバートはルリの鍋を横から支えながらまっすぐその場に立たせる。少し上下させても肌がすれてしまいそうで気を遣う。アルバートは提案した。
「水魔法は出せるか?」
「…んすっ…これでですか?」
鼻をすすりながらルリが水の印を切ろうと試してみる。ただ腕を動かすと背中の奥に何かの虫が入っていってしまいそうで怖くてできない。
「しょうがない、まず腕引っ張るぞ。」
「えっ…?」
アルバートは肩から手を伸ばしてルリのクロスしている手に触れた。離さないようにルリは無言でアルバートの手を握り返した。
(手のひらさえも…これかよっ…)
例の痛みに思わず手放してしまいそうになるが、ルリががっちりつかんできているので振りほどくことでしか話せない。じんわりとアルバートの目には涙がたまった。ゆっくり慎重に腕を上にあげさせる。肘が胸の上を抜けたとき、
ガランッ
鍋がそのまま下へ落下した。
背中にはまだ何かがうごめいている。
「手、放してもらっても…?」
苦しそうなアルバートの声にハッとして、ルリは手をパーにした。あとは背中の虫だけである。
「これどっから手を突っ込めばいいんだ。」
「は、恥ずかしいですけど…アル…」
ルリは肩のあたりを着崩して首周りにゆとりを作った。彼女の白いうなじが薄暗い洞窟の中でも光って見える。
「突っ込んでいいんだな?」
ルリは表情を悟られないように岩の壁を眺めたまま小さくうなずいた。アルバートは腕当てを外す。
「あっ…」
ぬるりと汗で湿った漢の腕がルリの背中を伝っていく。
「ん、ん…」
くすぐったさに悶えそうになるが、ルリは必死に声を抑えて我慢していた。それなのにルリはこの時間を少し楽しんでいるような感覚に陥った。
その甘美なひと時をぶち破るように入り口の方から爆音が聞こえてきた。ならず者も叫んでいる。恐ろしい地鳴りがルリたちの元へと近づいてきた。