世界が闇に包まれる…の1
にわかにおびただしい鳥が何かにおびえるように飛び立っていく。黒き森の木々の間を縫って、重く湿った怪しい風が吹き抜ける。あたりは霧がかかったように視界が悪い。遠くから野犬の咆哮。
「くそっ、はじまったか…」
男の眉が険しくなる。道を探そうと見渡すと暗がりの先に光が見えた。はたして、そここそこのまがまがしい負の気の出どころのようだ。男は闇をかき分けるように遮二無二走り始めた。ぬかるんだ土をえぐりながら森の中をかけていく。男の腕から獣の死骸が落ちる。振り返りもせず、ただその災いの中心へと足を運んだ。
葉の隙間から夕暮れの空が赤く照っていた。
「滅ボス!滅ボシテヤル!」
明かりへと近づくにつれ、その中心でおぞましき呻き声を上げる白衣の少女の姿がはっきりと映った。
見つけたのもつかの間、突如として少女の手のひらから火柱が立ち上がった。みるみる天まで焦がすほどの巨大な炎へと変わる。
「森で…それは…やめろっ!!」
男がそばにあった水入りバケツを燃え盛る少女をめがけてぶちまける。
「ギャッ!」
火はジュッと音を立てて消え、少女はおとなしくなった。
「なっ………何するんですか!アル!」
上から下までずぶぬれの少女が黒い髪から滴る水も気にせず、ひとまず騒ぎが収まり安心している男に詰め寄る。
「………今度は何があったよ。」
怒る少女の質問には答えず、アルと呼ばれた男がため息交じりに尻のポケットから小さいタオルを一枚渡す。
「んっん…あ、あれです!」
指でビシッと示した先には彼女の私物のランタンがあった。その明かりを囲うようにしてちょっと驚くくらいの虫たちが群がっていた。バタバタとおびただしい数のガやらハネアリやら…。男はもう一度大きなため息をついた。
「だから森であんな照明使うなっつったんだよぉ…。」
「マジックランタンは光魔法だけで燃料いらずです…この先の旅のためにも少しでも消耗品は節約すべきでしょう?」
少女が男の胸当てを叩く。
男は彼女の手を払いのけると準備していたタープの下でおとなしくしてるよう促した。それからたかってくる虫をランタンから振り落とし、小窓に指を入れて明りの元に蓋をする。
あたりは一瞬闇に包まれたが、すぐに男がポケットからライトをとりだして少女の顔を照らして勝ち誇ったように言う。
「このダイオードライトはさらに光魔法いらずですぅー。」
「!?…わっ、私は!そんな、そんな機械なんて嫌いです!」
彼女はプイとそっぽを向いて用意されたテーブルに頬をついた。ふつふつとまた周囲に靄が出てくる。
男は慌てた。
「あっ、わるかったよ。ほら、ルリ。お前のアイデアはいいんだが…その、ちょいちょい自分のマナってやつを使うだろ?これから先のために温存しておいたほうがいいだろ。」
少女に優しく話しかけるとピタリと彼女から湧いていた靄が止まる。
男はタープの下に持っていたダイオードライトをつるして少女の前の椅子に腰かけた。
「そ、それくらい…べつに何ともないです…。」
「ちがうちがう、お前は大事な使命があるんだから。手伝えることは俺らに任せていいんだぜ。」
トンと自分で胸を叩いて自信があることをアピールをした。
「それだと…申し訳なく…。」
「何言ってんだルリ。お前は世界を平和にするために旅をしている、俺はそんなお前を助ける。こういうのは持ちつ持たれつ、っていうだろ?」
もう彼は自分でも何を言っているのかわかっていないが、ルリと呼ばれた黒髪の少女は響いたようで、彼女は手を合わせて指をぐるぐると回していた。
「……私、よく失敗しちゃうし…」
「いや…助け合いだぞ、ルリ。お前のしていることは立派だよ。」
「それほどでも…。」
ルリはきゅっと唇を結ぶ。
靄は散っていった。森の中に静けさが戻ってくる。虫の音が草木の陰から聞こえ始めた。
(………ふぅ、チョロいな。)
危機が去って一息をつく男、アルバートは目の前のルリを見つめた。
彼女は『救世の巫女』である。
ここ数年、地殻変動の影響なのか、星回りの影響なのか、はたまた預言者の言う世紀末なのかはわからないが、災害や異常気象が各地を襲っており、世の中は大混乱。
そんな折、たまたま当代の『救世の巫女』としての修行のため各地を渡っていたルリが、世界を支える四神にその身に宿す魔法の源、『マナ』を捧げることになった。それぞれの神が司る力によって世界の乱れを鎮めてもらう。
今はその大役を引き受けた若き巫女見習いが、世界各地で待つ協会によって定められた仲間とともに、神の祭壇へと向かう重大な旅の途中である。
「どうかしましたか?」
ルリは大陸の東端の小島出身だそうで大陸から切り離された文化のせいか装束が少々独特である。服なんて裾からスポッと入れればいいのに、先に腕を通して、体の前で腰あたりまで伸びている襟を重ね、帯紐と彼女が読んでいる細いひもで腰を縛ってその上にヒトエと呼ばれる着衣を羽織って…とにかく面倒そうな服装である。さらに濡れるとこれだ。ピタリと体に張り付いて、なかなか発育の良い、男を惑わせるような体つきがより一層強調される。
そんなあられもない姿を目の当たりにしてアルバートの脳内はよこしまな思いでいっぱいであった。
「アル、そんなに見つめられては…。」
しかし彼女は花も恥じらう乙女。男性の熱い視線に気づくとやはり恥ずかしい様子。ただ相手が何を見ているかまではまだわかっていない。さすがにこれ以上露骨に見つめるといけないのでアルバートも頭をかいてごまかす。
「いや、ほら…お前まだびしゃびしゃだろ?タオルあるからちゃんと拭いとけ。風邪ひくぞ。」
すっと極めて自然な態度で、さも最初から心配してたかのように今度は大きなタオルを手渡した。
「ありがとう…アル。」
少し頬を赤らめてルリは毛羽立つタオルのぬくもりを味わった。
晴れたようなさわやかな夜風が吹いてくる。
ルリは年頃の女の子。ちょっとのことで心が揺らいでしまう。困ったことに、この心がマナと深くつながっているらしい。楽しい、うれしい、そんな心は正の力に、悲しい、悔しい、そんな心は負の力に。そしてさらに困るのはルリは元々マナの力が今までの『救世の巫女』よりも格段に強い。うっかり負の力で放出されようものなら、先ほどような虫へ対する嫌悪感と恐怖でこの森が完全に焼き払われていた。バケツ一杯の水と女ったらしが世界を救ったのである。
(…感謝してほしいぐらいだね、この俺の迅速な働きに。)
勝利にも似た余韻に浸っていたところ、ふと何かに気づいたアルバートは周りを見渡し始めた。見るとガサガサと生い茂る草木が不自然に揺れている。アルバートは背追っていた弓矢をつがえて護衛対象のルリの前に出る。
ガサッ
アルバートは大きく揺れたところを逃さず射抜いた。
「ひいっ!」
のそのそ茂みから出てきた鎧の男はその場にしりもちをつく。
「……あっ?」
「あー…もーやだなあ、味方の顔ぐらい覚えてくださいよ。」
一言文句を言ってから尻についた泥を払って男がへらへらして近づいて来る。
「あっ、お帰りなさいキーウィ。」
ルリが手を振った。
彼はともに旅をする仲間の一人キーウィ。職業は自称・勇者。意外と剣と槍の腕前は侮れないとか。
「おい、てめえ…。」
そんなことはともかくアルバートは睨みつけながら、キーウィの高級そうな肩当をつかむ。板金でできているのに指の跡がくっきり残ってしまいそうである。
「どこほっつき歩いてたんだ!お前にはルリを守っててくれって言ったろ!?」
「…いやぁーちょっとお腹痛くてお手洗いに。」
「俺が戻るまで我慢しろよ!」
とんだ無責任なことを抜かす男だが、彼はいつもこの調子である。
「お前よ、ただでさえルリは大事な『救世の巫女』なんだぞ?それを…女の子を森の中で一人にしていいと思ってんのか、男として。」
「…!」
後ろでルリが頬を赤らめたのだが怒っているアルバートには関係ない話である。
「…男として女子の前で漏らすわけにはいかないな、と。」
「知るかよ!漏らしとけ!」
「ははは、アルバートそんなに怒って何かあったんですか?」
とりあえず一発殴っておいた。