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9.あなたはすぐに停船されたい ~You should stop your vessel immediately.~

「セーラが危ない!」


私はまだ少し痛む体をよそに、彼女の後を追った。部屋の外に出ると、廊下には既に不審者も彼女も居なかった。私は廊下の突き当りの曲がり角を目指して全速力で走る。


「おお、七海、廊下は走んないほうがいいぞ。事故ったらめんどくさいぞ~。」


長い廊下の途中で、私たちとは別の作業をしていたポーラとマリさんたちに出くわす。私はベッドメイキング中に荒らされた部屋を発見したこと、偶然にも不審者と出くわしてしまったこと、そしてセーラがその後を追いかけていってしまい、危険な状態にあることを大慌てで説明した。私の支離滅裂な説明でも、事の重大さだけは二人にちゃんと伝わったらしく、ポーラは私と一緒にセーラを追うことに、そしてマリさんは警備員に連絡を入れてくれることになった。


「ったく、セーラのやつ、ちょっとは後先考えて行動しろっての!」


廊下を駆けながらポーラがそう吐き捨てる。私もそう思う。もしセーラが不審者を発見したとして、そこから彼女が不審者と対峙できるとは到底思えなかった。相手が凶器を持っていたらどうしよう、持っていなくても相手は大人の男性だ、本気を出せばセーラのような少女など、いともたやすく痛めつけられてしまうだろう。もしくは人質になったら、見境をなくした不審者が凶行に及んだとしたら……。悪い想像ばかりが膨らんでいく。こちらの世界で始めてできた、一番信頼のおけるパートナーを、こんな短い時間で傷つけたくない。出来ることなら、すでに一度死んでいる私が彼女の代わりになってあげたい。彼女が苦しむ姿を想像するごとに、胸が締め付けられるような思いがした。


長い廊下の突き当りを曲がると、そこには上下階へとつながる非常階段があった。私とポーラはここで二手に分かれることにした。私は上へ、ポーラは下へと向かう。私は階段を一段とばしで駆け上り、非常階段の重いドアを開け、一つ上の階へとたどり着いた。

すると、すぐ近くで男の怒鳴る声が聞こえた。


「あぁ?お前みたいなちびっ子一人で何が出来るっていうんだ?」


先程の部屋の中では声を聞くことは無かったが、おそらくはこの声の主が不審者で間違いないだろう。


「……七海を突き飛ばしたこと、謝ってください。」


そして幼い声が続く、こちらは間違いなくセーラの声だった。しかし普段聞く穏やかな口調とは違い、幼い声の中にはどこか凄みが感じられた。私は今すぐに飛び出したい気持ちと同時に、突き飛ばされた恐怖が湧き上がり、足がすくんでしまう自分があまりにも情けなかった。


「七海ぃ?ああ、あのどんくさいガキか。正面に突っ立ってたからどいてもらっただけだ。邪魔なのが悪いんだろ。」


物陰から様子を伺う。不審者の手に鋭利なナイフが光っているのを見た瞬間、私は心臓が止まりそうになる。対するセーラは、掃除用のモップを手にし、男と対峙していた。そのモップでナイフに立ち向かうつもりだろうか、あまりにも無謀だと思った。


「まあ、あの部屋の様子を見られたからには、あんたも無事で済ますわけには行かないんだよ!」


男がナイフを振りかざし、セーラに襲いかかる。万事休す、私は声を上げることすら出来ず、この次に広がる光景を想像し、思わず目を閉ざしてしまった。


木の棒を何かに思い切り叩きつけるような鈍い音がした。私は一段と強く目を瞑る。次にカラカラという乾いた音がした。その音が、床をナイフが滑り行く音だということに気付く頃には、目の前の光景は想像だにしていなかったものとなった。


セーラがモップの柄をひらひらと華麗に操り、不審者の首や腕をめった打ちにしていく。不審者の手に先程のナイフの姿はもう無く、今は己の拳でセーラに対抗しようとしているが、リーチの差は如何とも埋め難く、セーラの操るモップに翻弄され、次々にその体を打ちのめされていった。最初の鈍い音は、男の手に強い打撃を加え、ナイフを弾き飛ばした際に生じた音だったらしい。


不審者が柄をつかもうと手を伸ばせば、がら空きになった胴の部分を打ち、胴の部分をガードしようとすれば、頭部に容赦のない一撃を加える。普段の天然で、穏やかで、天使のような振る舞いを見せるセーラとは似ても似つかないような、まさに相手を制圧するための攻撃。宝石のような碧眼は、相手の動作を冷静に捉え、的確に攻撃を加えていく。彼女の美しい金髪が踊るようになびき、動きの激しさを物語っていた。そして全身を木でできたモップの柄で殴打され続けている不審者の体力は見る間に削がれていく。相手が完全に抵抗の意志を失ったタイミングで、セーラは不審者の喉元にモップの柄を突きつけ、勝負は決した。セーラは肩で息をする。


「あなた達、大丈夫!?」


その時、ポーラに連れられてマリさんと、初日に私の密航容疑を晴らしてくれた警備員のジュリさんが駆け付けた。ジュリさんは、不審者の喉元にモップの柄を突きつけて動きを封じているセーラの姿を見ると、信じられないといった表情で一瞬フリーズしたが、その後はテキパキと不審者を拘束し、然るべき場所へと引き渡してくれることとなった。マリさんとポーラは、意外にも武術家もかくやというセーラの大立ち回りにはあまり驚いていないように見えた。


 私とセーラは医務室で簡単な検査を受け、どこにも異常が認められないことが確認された後、警備員事務室で事情聴取を受けた。事情聴取から解放された頃には、船内にはオレンジ色の夕陽が差込み始めていた。


居室に戻ると、先に帰っていたポーラが缶ジュースを1本ずつ、私とセーラに手渡してくれた。中身はきっと彼女いわく辛いことも苦しいことも忘れさせてくれる炭酸飲料に違いない。


「あの、セーラ、あれは一体……」


私は一日中ずっと気になっていたけれど、聞き出せなかったことを勇気を出して彼女に尋ねる。すると彼女は、何度か逡巡した上で、口をゆっくりと開いた。


「私の家は、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんもみんな海軍の軍人さんなんだ……」


それと先程の大立ち回りにどういうつながりがあるんだろう、選ぶように言葉をつむぐセーラを私は見守った。


「だから、私も昔からみんなに海軍に入ることを期待されて育てられてきたの。さっきの武術も、お父さんやお兄ちゃんが強くなれるようにって私に教えてくれたんだ。だけど、私は海軍よりもこの船みたいな客船にすごく憧れて、どうしても客船のクルーになりたいと思って。それで家族の反対を押し切って、船員養成学校に入学したんだ。」


セーラの瞳がいつか見たような涙目になっていた。


「せっかく客船のクルー見習いになれたんだから、お父さんやお兄ちゃんに教えてもらった軍人さんみたいなことは全部封印して、大人しくしよう、客船のクルーらしくお淑やかな女の子でいようって思って、それでずっと隠してたんだけど……。」


「じゃあ、私とセーラが最初に出会った時、密航容疑者だった私のされるがままに口を塞がれたりしてたのも、そのせい?」


私はセーラと出会った日のことを思い出す。今日の彼女の立ち振舞いをもってすれば、私を制することなど朝飯前だったはずだ。


「そう。それにあの時はまだ七海が密航者だって完全に確定したわけじゃなかったから、護身術を使って怪我でもさせちゃったら、みんなの迷惑になっちゃうし……」


「密航者って、私たちと出会う前に何があったんですか。」


黙って様子を見ていたマリさんが口をはさむが、セーラは気にせず進める。


「マリさんやポーラには言ってたんだけど、私が変わった女の子だって思われたくないから、七海にはずっと隠そうと思ってたんだ。でも、七海が突き飛ばされて苦しんでるのを見て、あの人をどうしても懲らしめないとって思っちゃって……。騙すようなことしてごめんなさい。」


セーラは今にも泣き出しそうな声で、私に謝った。


「謝る必要も隠す必要もこれっぽっちもないよ!今日のセーラ、とってもカッコよかった。それに、変な子だとも、騙されたとも思ってない。むしろセーラが私のことをそんなに大切に思ってくれてるんだって分かって、すごく嬉しい。だから泣かないで。」


「ありがとう、七海……」


私の言葉がトリガーとなってしまったのか、「泣かないで」という私のお願いは叶えられず、セーラは私の胸の中に飛び込むと、号泣を始めてしまった。


「でもね、気持ちは本当に嬉しかったんだけど、もう一人で危ないことはしないでね。セーラにもし何かあったらと思うと、私……」


号泣し続けるセーラに感化されてしまい、私も涙が止まらなくなる。私とセーラ、高さの違う2つの泣き声が、居室に延々と響き続けた。


「セーラだけならともかく、どうして二人して号泣してるんだ?」


「まあ、今日はセーラ達の好きにさせてあげましょう。」


その様子を、マリさんとポーラはそっと見守ってくれていた。

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