8. あなたは危険に向かっている ~You are running into danger.~
それからの数日間は、嵐のように過ぎ去っていった。特筆すべきことと言えば、私の制服が転生してきた時に着ていた黒のセーラー服から、コーラル・マーメイド号の船員用の白いセーラー服へと変わったことだ。船が出港してしまった以上、私のサイズにピッタリな制服が船内にあることなんてあまり期待はしていなかったけれど、ポーラがクルー同士のネットワークを駆使してどこかの倉庫に眠っていた新品を探し出してくれ、マリさんはポーラが倉庫から勝手に持ち出してきたその制服を、正式に私用の制服にするための色々な手続きを取ってくれた。
「これで見た目もバッチリ、私たちの仲間入りだねっ!」
真新しい制服に身を包み、姿見で様子を確認していると、セーラがそう言って私の隣に並んだ。鏡の中にはおそろいの青いスカーフにおそろいのスカート、そして私と私以上に新しい制服に喜んでいるセーラの姿が映っていた。確かに、みんな白い制服を着ているのにも関わらず、私だけ上下とも黒い制服を着ているというのは、なんとも浮いた感じがしていたので、これは素直に嬉しかった。
一方で、日々の仕事はと言えば、掃除、ベッドメイキング、お客様のご案内、船内の見回り、荷物運びに書類仕事と覚えることはいくらでもあり、私はみんなに助けられながらも、徐々に客室乗務員としての仕事を身に着けつつあった。
特にありがたかったのはマリさんの存在だった。優秀な客室乗務員見習いであると同時に、彼女は優秀な先生の素質もあるらしく、私が新しい仕事に出会う度に、まずは彼女がしてみせ、次に仕事の方法についてレクチャーを行い、最後に私にそれをさせ、私がちゃんと出来れば褒めてくれるという理想的な教育法で私をとりあえずの戦力へと育ててくれた。
一方で、教科書に載っていないような裏の知識についてはポーラの得意分野だった。彼女は私に、近づかない方が良い先輩クルーや、逆に見習いに優しくしてくれるクルー、船内で人に聞かれたくない話の出来る秘密の場所、クルーでごった返す朝の食堂でいち早く食事にあり付く方法など、マリさんの教えてくれる正統派な知識とは違うけれど、この船内で生きていくためにとても便利な情報を出し惜しみせずに教えてくれた。
さてセーラはと言えば、天使のような笑顔で私に心の安らぎを与えてくれた。もちろんそれだけではなく、彼女と私は一番最初に出会った縁もあってか、ペアで行動することが多かった。マリさんほど正攻法の教育をするわけでもなく、ポーラほど暗黙のルールに精通しているわけでもなかったが、細かい質問やちょっとした雑談の中で彼女から得たものは、二人に負けないくらいであった。
そして、こちらの世界に来てから既に1週間ほどが経った今日も、私は彼女と一緒にもはや朝の定番となった客室のベッドメイキングに励んでいた。
「七海、だいぶベッドメイキングも上手になったね。時間もあまりかからなくなったし。」
「でしょ?マリさんに結構鍛えられたからね。そろそろ一人で任せてもらっても大丈夫なんじゃないかな?」
「うーん、それはあんまりうれしくない……かも」
セーラはしょんぼりとした口調でそう言った。この10日間で、私のベッドメイキングの速度は格段に向上しており、今ではセーラと二人がかりなら、初日には敵わなかったマリさんをも上回るスピードで一部屋を完了することが出来るようになった。それがあまりうれしくないとは一体どういうことなんだろう。
「私が一人でするようになると、セーラの担当する分がまた大変になっちゃうから?」
まだまだ半人前とは言え、それでも今では彼女のアシスタントくらいには十分になっているはずだ。ここで私が抜けると彼女にとっても痛手なのかもしれない。
「そうじゃなくって……七海が上達するのはうれしいけど、一緒にお仕事する時間が減っちゃうのは、うれしくないかも……」
彼女はモゴモゴと何かを口ごもる。後半はよく聞こえなかったけれど、とりあえず彼女も私が仕事面で成長するのは嬉しいようだ。セーラにもっと認めてもらえるよう、これからも精進しなければ。
部屋の整理整頓を終わらせ、最後に担当者の名前を部屋備え付けの名簿に記入する。「セーラ・アサートン」と「常神七海」の名前が並ぶ名簿は、すでにこの船内の多くに存在しており、誇らしさと同時に、二つの名前が並ぶことになぜだかくすぐったさも感じる。私たちは部屋のドアを締め、次の部屋へと向かった。
セーラが慣れた手付きでマスターキーを差し込み、部屋の鍵を解錠する。そしてドアを開けると、私の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
衣服が散乱し、部屋中の引き出しが開け放たれていた。ベッドの上のシーツはめちゃくちゃで、床には薬や書籍が放り捨てられている。
まさに「めちゃくちゃ」という言葉がふさわしい状態の部屋の様子に私たちがただ呆然としていると、部屋の奥からガサガサと物音が聞こえた。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
私は物音の主にそう呼びかける。しかし物音の主から帰ってきたのは、返事では無く慌てた足音だった。
全身黒尽くめ、顔はバンダナとサングラスで隠し、黒のキャップを被った見るからに不審そうな男が、部屋の奥から飛び出してくる。男は私たちの方を見ると、「こいつらならやり過ごせる」とでも考えたのか、まっすぐ私たちに突っ込んできて、部屋の出口を目指した。
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
私は反射的に黒尽くめの不審者の前に立ちふさがり、行く手を阻もうとした。次の瞬間、不審者は私の体を突き飛ばし、一目散に部屋の扉から出ていった。
突き飛ばされた私は、衝撃を軽減する姿勢を取ることもできず、そのまま床に倒れ込んでしまう。
「七海っ!」
セーラが私に駆け寄ってくる。その顔は私に対する心配と、不審者に対する怒りの表情がないまぜになったようなものだった。
「私は大丈夫だから、早く警備の人を呼ばなくちゃ……」
床に突き飛ばされた衝撃で体は痛むものの、怪我には至っていないようだった。となればやるべきことはただ一つ、然るべき対処を然るべき人にしたもらうだけだ。ところが、私と違う考えを持った人間が目の前にいた。
「……七海にこんなひどいことするなんて、許せない!」
セーラの、普段は穏やかな海のような青い瞳が、今は怒りに燃えているように見えた。しかし、彼女一人で不審者に立ち向かうなんて、いくらなんでも無謀が過ぎるし、とても危険だ。
「気持ちは嬉しいけど、こういうのは危ないからちゃんとした人にお任せした方が……」
私は床から身を起こし、彼女に忠告する。しかし、一度スイッチの入ってしまったセーラを止めることは出来ず、彼女は部屋を出て不審者を追い始めた。その素早さは、いつもの、のんびりとしていておっちょこちょいなセーラとはまるで別人のようだった。
「セーラが危ない!」
私は警備事務室に一報を入れることも忘れ、まだ少し痛む体で彼女の後を追った。