70.氷は無い ~No ice.~
最初は突然手を強く握られ、引っ張られるようにして私に付いてきたリドも、青いドレスを着ている女性が金髪碧眼でセーラー服の少女と身振り手振りでなんとか意思を通わせようとしているところを認めると、逆に私よりも早いスピードで二人の元へ駆け寄っていった、
「お母さん!」
リドがそう大きな声で呼んだ。パーティーの最初を飾る船長の挨拶が一段落し、ざわざわとしていた会場の中でもひときわ通るその声は、女性と少女の耳にも確かに飛び込んだようで、二人はこちらの方を向き、そして揃ったように驚きの表情を浮かべた。女性の視線はリドへ、少女の視線は私に注がれている。
「リドじゃない!あなたどこに行ってたの!」
リドの母親はそう言うと彼女を抱えるように抱きしめ、周りのお客様の目もまったく気にすること無く、自分の娘との再会を喜んでいた。遅れて後を追いかけていたセーラー服の少女も合流する。……ここまで来れば、いや本当は最初から分かっていたけど、この少女はただの「セーラー服の少女」でも、「金髪碧眼の少女」でもない。何者にも代えがたい私の大切な家族同然の存在、セーラだ。
「七海、どうして!?」
セーラが喜びにも驚きにもつかない声を上げた。みんなの元から逃げ出してしまった後ろめたさと、謝りたい気持ちをどう伝えようかと悩んでいたところで、私が口を開くよりも先に青いドレスの女性が私の手を取ってぶんぶんと振り回しながら声を発した。
「あなたがリドのことをここまで見ていてくれたのね、本当にありがとう。私もあんまり人の事を言えないんだけど、この子は北の方の言葉がわからないから、誰にも助けを求められないんじゃないかってすごく心配していたの。あなたが居てくれて助かったわ、お礼をしたいから、名前を教えていただけるかしら?」
「いえいえ、お礼なんて結構です。私は客室乗務員として当然のことをしたまでですから。それよりも、リドちゃんのことを褒めてあげてください。彼女、言葉が伝わらないなりに頑張って周りの大人に助けを求めてましたよ。だからこそ私も彼女が困ってるってわかったんです。」
「あら、そうなの!この子、私と一緒にいるときは人見知りの激しい子なのに、そんなにたくましいところもあったのね。やっぱり親の見えないところで子どもって成長するのね……。」
私とリドの母親が流れるように会話をしているのを、セーラはポカンとした様子で見つめていた。彼女は私達の話していることがまったく理解できないといった様子だ。おそらく、さっきまでの二人の様子を見るに、リドの母親もリドと同じようにあまり北や西の言葉が上手でなく、コミュニケーションを取るのに悪戦苦闘していたのだろう。そこで私がいきなり、セーラの知らない言語で流暢に会話をしていたとしたら、驚くのも不思議ではない。
「それじゃあ、私達はここで失礼します。パーティーはまだまだ続きますから、リドちゃんとはぐれないようにお気をつけくださいね。」
私はそういうと一礼し、リド親子の元から離れようとした。
「七海お姉さん、船のこと、『リド』のこと教えてくれてありがとう!またどこかで会おうね!」
「ああ、七海さんとおっしゃるのですね。七海さん、そしてそちらの金色の髪の船員さんも、本当にありがとうございました。」
こちらに向かって手を振るリドと、西でも北でもない言葉ではあるものの丁寧なお礼を返してくれるその母親に見送られ、私達は一旦パーティー会場のポセイドン・シアターから退出した。
「七海、西の言葉も北の言葉も、そしてあの人達の言葉も喋れるって、一体何ヶ国語喋れちゃうの……!?もしかして違う世界から来た人ってみんなそうなの?」
「私以外にそういう人を知らないけど、多分そうなんじゃないかな?」
違う世界に行った経験を持つ知り合いはいないので詳しいことはわからないけど、世界の壁に加えて言葉の壁まで残っていたら暮らしていくのにかなり苦労しそうだし、そこら辺は海の安全の神様だけでなく、他の神様も考えてくれるんじゃないだろうか、多分。
「へぇー、すごいんだね。……って、そうじゃないよね、七海、どうして私達のところから居なくなっちゃったのっ!」
リド親子の迷子と私の持つ唯一の特殊能力の話でなんとなくごまかせないかと思ったけれども、さすがにそれでなんとかなってしまう程セーラ・アサートンという人間も甘くはないようであった。私はセーラと再会してからずっと、どういう言葉であの時の私の気持ちを表現しようか考えていたが、遂にその上手い答えは出て来ず、とうとうセーラからその回答を要求されるに至ってしまったというわけである。
私は眉を釣り上げて、逃しはしないぞという表情でこちらの顔を見てくるセーラからなんとか視線を外しながら、頭の中でさまざまな言葉をぐるぐる回転させていた。私の顔をなんとかして覗き込もうとするセーラが、身長差を克服するために飛び跳ねているのがとてもかわいいということを考える余裕すら無いくらいに、それはもう脳をフル回転させている。
そしてそんな私がはじき出した言葉は、とてもシンプルなたった一つの感情だった。




