68.私はあなたを見失った ~I have lost sight of you.~
セーラ達の追いかけてくる声を振り払いながら、私はただひたすらに入り組んだ迷路みたいな通路を右へ左へ、あるいは階段を登ったり降りたりを繰り返し続けた。そのうちに私の名前を呼び続けていたセーラの声も、もはや聞こえなくなった。聞こえなくなったはずなのに、セーラの声が耳に残って仕方がない。
気がつくと私はコーラル・マーメイド号最大の劇場である「ポセイドン・シアター」へと続く大きな通路に出ていた。「ポセイドン・シアター」ではこの後すぐに、船長のあいさつを始めとした様々なお別れのための式典が行われることになっている。だから通路はフォーマルな服装に身を包んだ老若男女様々な人達で賑わっており、雰囲気もどこか華やかな気配が漂っていた。そんな中にすっかり憔悴しきったセーラー服の見習いクルーが一人、行くあてもなくフラフラとさまよっている様子は、明らかに場違いだ。
私は劇場へと続く大きな通路から一歩入った人通りの少ない通路で立ち止まると、大きく深呼吸をした。通路に備え付けられた小さな窓からは、濃い緑に染まった陸地がすでに顔をのぞかせており、この船がもう間もなくで港に入港することをなによりもはっきりと伝えていた。
「何やってんだろ、私。」
細い通路に誰もいないことを確認すると、私はため息混じりにそうこぼした。
別に私が他のクルーズ会社に引き抜かれたわけでもなければ、マーメイド・クルーズ社の他の船に転属するわけですら無い。この船がオルチャ港に着いた後の私の行き先ははっきり言って真っ白だし、私が希望さえすれば、このままコーラル・マーメイド号に乗り組み続けられる可能性はかなり高い。客室乗務員見習いの事情について詳しいポーラが太鼓判を押してくれたのだから、きっと私はずっとこの船でみんなと一緒に過ごす選択肢を取ることができるだろうし、私は絶対にそうするつもりだ。
だけど、みんなの考え方は私とほんの少しだけ違っていた。マリさんもセーラでさえも、「七海の将来のためなら、この船に留まる以外の選択をしても応援したい」という意見だった。私がなぜ悲しくなったのは冷静に考えると、分かるようでいて分からない。ただ、この船で一緒に過ごした時間より、「私の将来的な成功」なんていうあやふやで自分勝手なものが優先されてしまったのが悲しさの原因だったのかもしれない。
生きていくためにはお仕事をしなければならない、それはこの世界でも元いた世界でも変わらない。そしてお仕事をする以上は良い条件で、自分の能力を活かせるところを見つけるべきだ、それもきっとどの世界だろうと変わらない。だから、マリさんもポーラも、セーラも私のことを誰よりも、なんなら本人よりも、しっかりよく考えてくれているからこそ、そういう意見を言ってくれているんだ。それなのに私は、自分の気持ちにこだわって感情を破裂させ、みんなを困らせてしまった。
深呼吸でちょっぴり冷静さを取り戻した私の頭の中は、後悔と反省と気まずさがいっぱいにあふれ返り始めた。今からでも冷蔵庫に戻ってみんなに謝った方が良い、頭の片隅ではそういう風にちゃんとした判断ができているのに、体は言うことを聞こうとはしなかった。
私は再び、劇場へと続く大きな通路をあてど無く歩くことにした。もうすでに式典は始まりつつあるのか、お客様の数も大分まばらになりつつあった。
タキシードの男性が似たような格好をした恰幅の良い男性と談笑をしている、聞こえてくるのは北の大陸の石油採掘の話だった。きっと船から降りた後の仕事につなげるために、こういうところで売り込みを掛ける必要があるのだろう。そんな二人の隣をすり抜けるように通り過ぎると、次に目に入ったのは、青くて薄い生地でできた服を着た、小さな女の子がドレスを来た妙齢の女性に一生懸命何かを伝えようとしている様子だった。
「あのっ、私のお母さん知りませんか?わたしと同じ青い服を着てて、この劇場の中に居るはずなんです!」
しかし、女性の反応はあまり良くない。
「えっと……、なんて言ってるか分からないわ。ごめんなさい。」
そう言い残すと女性はそのまま劇場の中へと立ち去ってしまった。先程の男性たちもいつの間にかどこかへ消えてしまい、通路には小さな女の子と私の二人だけが取り残されていた。少女の言っていた言葉を聞く限り、彼女は母親とはぐれてしまい、途方に暮れているのだろう。私は同じように途方に暮れているもの同士、ここで出会ったのもなにかの縁だろうと考えて、女の子に話しかけることにした。
「ねえ、あなた迷子になっちゃったの?」
小さい子とは言えどもお客様なので、本当はこんな言葉遣いはしてはいけない。けれども、今の私は彼女をお客様ではなくシンパシーを持つ相手として捉えていたので、第一声はこんな風にくだけた調子になった。
「お姉さん、私のしゃべってることがわかるの?」
女の子は意外にはっきりとした口調でそう答えた。
「どういうこと?もちろん分かるけど……。」
目の前で話している人が何を言ってるのかなんて、そんなこと分かるに決まっている……と思ったところで、私は自分がこの世界で得ているほとんど唯一の特殊な能力に思い当たった。それは、私の使う言語は、海上ならどの国の船でも理解することができる国際信号旗のように、この世界のすべての人々が理解できるものになること、そして同じように私は読んだり聞いたりした言語を、船が信号旗を理解するように、すべて理解することができるという能力だった。
この少女の話している言語は、おそらくコーラル号の中では乗員・乗客を問わずほとんど使われていない言葉で、彼女はその言語しか使えないのだろう。それでさっきの女性のように、助けを求めても理解してもらえずにそっけない反応をされてしまうということに違いない。しかし、私は能力のおかげで彼女とコミュニケーションを取ることが出来る。やっぱりここで出会ったのはなにかの縁だ。せっかくだし、この子と母親が再会できるまで全力で協力しよう。
私は女の子の小さな手を取って、劇場の周りを歩き始めた。




