65.もっとゆっくり信号を送りましょうか? ~Shall I send more slowly?~
私とセーラの二人はコーラル・マーメイド号の上部デッキにあるランニングコースをとてもゆっくりとした速度で走っていた。元々運動神経もよく体力も十分にあるセーラにとってはきっと物足りないくらいのスピードだろうけど、この世界に来るまで運動はからっきしだった私にとってはこれでも少し背伸びしたくらいの速度だ。セーラにはちょっと我慢をしてもらっている形になるけれども仕方ない。だって以前私が彼女の走るスピードに合わせたら、この船を一周するだけで私の体力が完全に尽きてしまい、セーラに置いていかれてしまったからだ。それに今日は私の「特訓」という名目になっているので、私にとって少しキツいくらいの今の速さが「特訓」にはちょうどいいくらいなのだ。優しいセーラはきっと我慢してるなんて思ってもないだろうけど、なんとなく後ろめたさを感じていた私は、自分で自分にそう言い聞かせつつ、北の大陸沿岸の涼しい風を浴びながら走っていた。相変わらずコースにはお客様を含め人っ子一人見当たらず、こんな絶好の環境なのにランニングコースは私達の貸し切り状態になっていた。
「ねぇ、さっきもちょっと聞いたけど、七海の本当のふるさとってどんなところなの?」
隣を走っているセーラが私にそう問いかけてきた。彼女は相変わらず息一つ切らしていない、このまま10周走っても20周走ってもこのままいつもの表情を保っていそうなくらい余裕だった。
「私の故郷、かあ……。港以外にはあんまり何もないんだけど、魚は新鮮で美味しいよ。」
セーラに言われるまで、私は元いた世界で自分の住んでいた街についてあまり深く考えたことが無いことに気づいた。確かに港や船は私の家のすぐそばにあったし、冬は山間部ほどでは無いけれど雪が積もることも実感として覚えているけれど、それ以外に何かあるかと言われると、あまり思いつかないのが事実だった。
「そっか、実は私お魚得意じゃないんだけど、七海の街なら食べられるかもしれないね。七海の居た国はどう?ノルトリンクみたいな小さな国なのかな、それとも西の大国みたいにとんでもなく大きな国だったり?」
「うーん、そんなに大きい国でもないんだけど、島だから周りは海に囲まれてて、いろんな街に港があって、海運も発達してて……」
自分の故郷について誰かに説明するのも難しいけど、自分の国についてもそれは同じことで、私はとりあえず自分の得意分野である海や船の話から始めることにした。自らも船員で家族は海軍というバックボーンを持つセーラにもそっちの方がわかりやすいのではないかという判断だ。本当は陸地面積だとそんなに大きい国ではないけど、経済水域を含めた面積だと世界でもトップ10に入るくらい大きな国だという話もしたかったけれど、彼女に上手く伝えられる気が全くしないので諦めた。
「だから、海とすごく関係の深い国なんだ。海の恩恵に感謝する日とかもあって、その日は学校も会社もお休みになるんだよ。」
「海に感謝するために、学校もお仕事もお休みになるのっ!?ノルトリンクも海に面してるけど、そんなお休み聞いたこと無いよ。」
「まあ、そのお休みにみんな海に感謝してるかというと別にそうでも無いんだけど……。」
私の国の祝日にセーラが軽いカルチャーショックを覚えたところで、会話は一旦止み、私達は再び船の外周を黙々と走り出した。しかし、その静寂はやがてセーラのさっきよりも神妙な声色の一言で打ち破られることとなる。
「七海、そういえばポーラとマリさんには、違う世界から来たっていう話をするつもりなの?」
その一言は私がセーラに「告白」をしてからずっと思い悩んでいたことをずばりと言い表すものだった。私はランニングの息苦しさも相まって上手く返答が出来ない。その状況を見たセーラは、私の答えを待たずに話を続けた。
「多分、七海は私にこの話をちゃんとしてくれた時も、すっごく悩んだんだと思う。だから、マリさんとポーラにもこの話をするかどうか、きっと迷ってるんじゃないかなって。」
「セーラはすごいね。私の考えてることなんでも分かっちゃう。」
事実、私は二人にこの話をするかどうかについて、とても迷っていた。「私がもし突然元いた世界に戻ってしまったら」の事を考えれば、二人にもいつかこの話をしなければならないのは明らかだ。しかし、セーラがこの話を受け入れてくれただけでも奇跡なのに、マリさんとポーラまでこの話をすんなり受け入れてくれる確率はあまり高く見積もらない方がいいというのもまた私の率直な気持ちだった。
「きっと、二人も七海が真剣に言うことを疑ったりはしないし、違う世界から来たとしても今まで変わらずに接してくれると思う。だから七海が心配することは無いと思うよ。……でも、こればっかりは七海の気持ちの問題だと思うから、七海が落ち着いて答えを出せるまで、二人に伝えるのは焦らずゆっくりでもいいのかなって。」
「焦らず、ゆっくり……。」
セーラとマリさん達との付き合いは、3人が北の大陸にある船員養成学校に居た頃からだから、私とマリさん達とのそれよりも格段に長い。そのセーラが言うことだから、私が違う世界から来たということを打ち明けても大丈夫だというのはおそらく間違いないことなのだろう。だから、最終的に打ち明けるかどうかはまさしくセーラの言う通り、私の判断次第ということになる。でも、情けないことに今の私にはその決断をする勇気が無かった。
「分かった。いつになるかはまだわからないけど、必ず二人には私のことを話す。だからセーラは私の決心がつくまで、このことは内緒にしててもらえないかな。」
「もちろん、七海が2人に話すその日までは、私と七海だけの秘密にしておくよ。私、こう見えて口は堅いから、安心してっ!」
そう言ってセーラは、いたずらっぽく微笑むと口をつぐむジェスチャーをした。私とセーラの秘密が秘密でなくなるのはいつの日か、私はまだ決められなかったけれど、彼女が言ってくれたようにゆっくりと、焦らずにそのタイミングを待てばいいと、私は海面にコーラル・マーメイド号が残す航跡を見ながら思った。




