57.私は入港できるか? ~May I enter harbor?~
海の向こうに広がる陸地は、無数のオレンジ色の灯りで彩られていた。それはつまり、この船が明朝には入港することを何よりもはっきりと物語っていた。コーラル・マーメイド号が北の大陸で最初に寄港するフォクスロッテは、世界でもトップクラスに夜景の美しい街として有名らしい。私は北方特有の冷たい空気を全身に感じながら、船の後部にある作業用の甲板で、一人夜の海を眺めていた。手に持っている2枚のロープウェイのチケットが、オレンジの暖かな光に浮かび上がっている。チケットとフォクスロッテの街並みを交互に眺めながら、私は深くため息をついた。
ランニングの後、私はセーラをいわゆる「デート」に誘った。もちろん、セーラに対して「デート」という言葉を直接使えば、彼女がフリーズしてしまうのは簡単に想像のつくことだし、だいいち私だって気恥ずかしい。だから、ポーラとマリさんが「いや、あんたらが2人きりで街を出歩いたらどう見てもデートだろ」という目線を送ってきても、私たち2人はお互いにその言葉を使わなかった。
とは言うものの、セーラの喜びようといったら半端ではなく、入港は明日だというのに、すでに明日何を着ていくかについてあれこれと思案を始めていた。ただし、いくら服に気を使うセーラと言えども、船に持ってこれる私服の数はかなり限られており、その点でかなりの葛藤があったようだ。
一方の私は、セーラのそんなワクワクとは裏腹に、自分の気持ちを伝えるその瞬間へのカウントダウンが始まったことに、ナーバスにならざるを得なかった。それは決して、私の持っている私服が、こちらの世界に来た時に着ていた学校のセーラー服しかないからという理由でも無ければ、自分の気持ちを打ち明けることへの怖さといったものでもあまり無かった。ただ、私の心にしこりのようにして存在していた「この世界の人間でない私が、彼女に告白する資格はあるのか。」という一点が私をそうさせていたのだ。
私がこの世界に来たきっかけは、偶然の連鎖反応だ。偶然豪華客船が私の街に来航し、偶然船内見学会に参加することができ、偶然吹いた風にあおられ、海に転落し、偶然海の安全の女神様の目に止まり、偶然このコーラル・マーメイド号で第二の人生を歩むこととなった。それは裏を返せば、同じような偶然の連鎖によって、私が元の世界に戻ったり、はたまたこことは別のまた異なる世界へと飛ばされたりする可能性がゼロではないということを意味している。特に私は海の安全の女神様に一度目を付けられている存在だ。普通の人よりもそうなる確率は格段に高いと考えてもいいだろう。
だからもし、私がセーラに対する気持ちを打ち明けて、彼女がそれに応えてくれたとする。その後に女神様の気まぐれや、私のうっかりでこの世界から私が消えてしまうようなことが無いとはいえない。そうなったとして、セーラは一体どんな気持ちになるのだろうか。「この世界」を生きる普通の人と一緒になればおよそ無縁で居られたような痛みを、私と一緒になったばっかりに味わわせてしまうことにはつながらないだろうか。
それを思うと、「異世界人」である私が「この世界で生まれ育った」セーラに告白してもよいのだろうか、そう思わないわけには行かなかったのだ。
「あっ、誰かと思えば七海さんじゃないですか。」
その時、私の背後から声がした。客室乗務員とは少し異なるデザインの制服を着ている彼女は、松帆わかば、マリさんを姉と慕う航海部門の見習い乗組員だ。
「見張りをしてたら、夜は誰もいないはずの甲板で一人海の方を見て思い悩んでる人影があったので、早まらないように説得しに来たんですけれども……。」
私の姿は客観的に見ると相当危なく映っていたらしい。大丈夫です、一度海に落ちて死んでいるのでそういうのは間に合ってます。
「まあ、七海さんに限ってそんなことは無いと思いますが、何か悩んでいることがあったら相談にのりますよ。」
夜の海の泡と消えるようなことは考えていないとはいえ、悩んでいるのは事実だ。私が彼女に今の悩みをどう分かりやすく説明しようか迷っていると、先にわかばの方が口を開いた。
「恋人の聖地行きのチケット2枚を握って、入港前日に、一人きりで物思いにふけるということは……つまり、恋の悩みですね。いいでしょう、私そういうの得意なんです。」
完全に見破られてしまっていた。まあ、これで説明の第一段階はクリアしたとして、私の悩みは普通の恋の悩みではなくて、たぶんこの世界で私しか経験し得ないような、文字通り世界を股にかけるお話だ。これをちゃんと伝わるように、かつ怪しまれずに説明するのは至難の技だ。
「……まあそんな感じなんだけどさ。思いを伝えようとしてる相手が、自分とは育ってきた世界が違うような人だったとき、思いを伝えてもいいのかなとか、育ってきた世界が同じ人と一緒になる方がいいのかなとか、そういうことをちょっと考えてて。」
「何言ってるんですか七海さん! 私たちは船乗りなんですよ、自分の育って来た世界がどうのなんて、いろんな出身を持つ人が同じ船に乗り合わせてる、ここでは関係の無いことじゃないですか。」
私と出会うまでコーラル・マーメイドただ一人の西の大国出身者としてあり続けた上、お互いの持つ文化が全く異なるマリさんに対し、臆すること無く自分の気持ちを伝えたわかばが言うと、その言葉の説得力は何倍にも感じられた。
「もし私が宇宙人で、地球人に恋をしたとしても関係ない?」
私は大げさなたとえ話でごまかしつつ、それでいて本質的にはそこまで遠くは離れていないような質問をした。
「当たり前です。もし七海さんが宇宙人だったとしても、『地球人』だからじゃなくて『その人』に対して恋をしたんですよね。だったら同じことです。七海さんと『その人』の関係が先で、それ以外の違いは後から二人で越えていけばいいんです。」
普通なら冗談だと笑い飛ばすような私のめちゃくちゃな質問でさえ、わかばは極めて真面目な口調で返してくれた。その後、彼女は「でも」と付け足す。
「でも、ある日突然母星に帰ったりして目の前からいなくなられたら、残された方はとても悲しいと思います。だから、覚悟をちゃんとしてもらうために、正体は明かさないとダメだと思いますね。」
「宇宙人」の恋愛相談にここまで真剣に答える人は見たことが無かったけれども、その回答は「地球人」である私をも導いてくれるものに他ならなかった。




