51.私の位置を知らせてもらえませんか? ~Will you give me my position?~
「私、昔からあの女の子みたいに、あんな不思議な世界に行ってみたいなって憧れてたんだ。」
セーラの何気ない一言は、きっとおとぎ話を聞いたり読んだりした人が一度は想像するようなことで、ほとんどの人は特に気に留めることなく同意するか、あるいは自分の好きだったおとぎ話に思いを巡らせるか、とにかく深刻に受け取る人はそうそう居ないだろう。
でも私は違った。セーラがちょうどあの舞台の上の金髪の美少女のように、この世界からどこか違う世界へ旅立ってしまったとき、彼女を待ち受けるものは何か、そしてこの世界に残された人はどう思うかということについて、自分の体験したことと絡めて考えずにはいられなかった。
「……そんなに良いもんでもないよ。」
自分でも信じられないくらい冷たい声が出た。実際に経験した身としての辛さ、別の世界への無邪気な憧れに対する不安、そして何よりも私の気持ちを揺さぶったのは、彼女を失ってしまうことへの尋常ではない恐怖だった。
「おいおい、まるで行ってきたみたいなこと言ってるけど、もしかして七海、ウサギを追っかけ回すうちに別の世界にワープしたりしてないよな。」
私の一言によってもたらされた微妙な空気を、ポーラが明るくしようと冗談を飛ばしてくれたのが分かった。しかし、ウサギこそ追っかけ回してはいないものの、私が似たような経験を現在進行形でしているのは紛れもない事実である。だから全否定してしまえば嘘になる、けれど本当のことも言えるはずが無い。そう考えてずっと黙っている私を見て、ポーラはますますこの場の空気をなんとかしないといけないと感じたのか、さらに付け加えた。
「それに、今日劇場でやってた話みたいに、別の世界でいい感じの仲間が出来たり、楽しいことだってあるかもしれないじゃんか。」
確かに、セーラ達と出会えたことは嬉しい。私が今まで生きてきた中で、こんなに仲の良い友達はそうそう居ない。船の生活だって楽しい。船内や寄港地でいろんな経験をして、泣いたり笑ったり、セーラのことを可愛いと思ったり。
……でも、元いた世界から離れることはとても寂しいことなんだ。家族とも友達とも永遠にお別れしなくちゃならない。見慣れた通学路の風景も、毎週何も思わずに見ていたテレビの番組だって、もう二度と見られないと思うととても大切なものを失ってしまったように感じる。そんな経験、セーラには絶対にしてほしくない。セーラが違う世界に行ってしまったら、セーラののお父さんやお母さんも、イルミスで帰りを待っているソアラも悲しむじゃないか。マリさんもポーラも、セーラが居ないと灯りが消えてしまったようになるだろう。そして私は……私は……。
「セーラが居なくなっちゃうなんて、絶対に嫌だから。」
私がそう言葉を絞り出した瞬間、それまで私のことをどこか不安そうな表情で見ていたポーラとマリさんが一気に「ああ、そういうことか」という納得と安堵の表情に変わるのが分かった。
「まあ、私たちだってセーラが突然あんな風に居なくなったら、悲しいでは済まないでしょうね。」
「ほんっとに七海はセーラのこと大好きだな。」
ポーラの放った「大好き」という言葉に、さっきまでとは正反対の方向で私は動揺してしまう。いや、セーラのことが好きか嫌いかで言ったら間違いなく、何が何でも「大好き」と答えるけれども、それはこう彼女のことを人間として好きというか、決してやましい気持ちを持ってるわけではなくて……。でも、セーラにずっとそばに居てほしいとか、彼女が居なくなることを想像するだけで胸が痛むとか、そういう気持ちを「好き」だって言うんなら、もう私は自信を持ってセーラのことが大好きですとしか言いようがありません。
「まあね。」
私の脳内でぐるぐる巡るセーラへの気持ちをつづった長い長い文章が口から流出する前に、私は平静を装い、まったく動揺していないことをみんなに伝えるべく短い3文字を返した。しかしその3文字はポーラを飛び越えて思いもよらない方向へ突き進むことになる。
「七海、今私のこと大好きって……。じゃなかった、心配させてごめんね。私どこにもいかないよ、だから安心して!」
セーラは彼女のドキドキがこっちまで伝わってくるような勢いで力強く私に宣言してくれた。多分彼女のドキドキは「大好き」の効果によるものがかなり大きいと思われるけれども、どうか今はその部分についてはそっとしておいて欲しい。いつか自分の心の中で整理がついた時にちゃんと話すから。
結局、私がセーラの何気ない一言を深刻に捉えてしまったことによる微妙な空気は、私の彼女に対する思いの深さが暴走した結果だったということにみんなの中では落ち着いたらしい。その後、いつものように真っ赤になってしまったセーラとの接し方に一日中私が悩むことになったのはまた別の話である。
そのまま今日という一日は何事もなく過ぎていき、やがて夜が訪れ、就寝時間となる。いつものように二段ベッドの上段に入り目をつぶって明日に備えようとするが、今日はなかなか寝付けなかった。それは、やはり昼間に「ポセイドン・シアター」で観た劇の「今までの大冒険はすべて彼女の見た夢だった」というラストシーンが大きく影響しているように思われた。
もう何回、何十回目と寝て覚めてを繰り返しているけれど、次に起きたら今度こそ私は元いた世界の自分の部屋に戻っていて、「この世界」で過ごした日々や出会った人達が全部自分の夢だったことに気づいてしまうのではないだろうか。そうなったらこのコーラル・マーメイド号やクリスタル・マーメイド号の人々は、マリさんやポーラは、そしてセーラはどこへ行ってしまうのだろうか。劇の主人公が不思議な世界で得た仲間やウサギのように、私の頭の中でただ風化するのを待つだけの存在になってしまうのか。そんなのあんまりだ、あんまりにも寂しすぎる。そんなことを考えると、眠りに落ちてしまうのが怖くて中々寝付けない。
私は外の通路を少し散歩して気持ちを落ち着かせようと、二段ベッドから下に降りた。すると、ベッドの下段ではセーラが目をつぶったまま寝息を立てている。セーラは確かにそこに居る。その姿を見ると、私の目からは涙の粒がポロポロとこぼれ落ちてきた。
「……んっ、七海まだ起きてたの?」
すっかり夢心地だったセーラを起こしてしまったようだ。それでも私は目からこぼれおちるものを押し止められない。彼女に一番見せたくないかっこ悪い姿。そんな情けなさも涙に拍車をかける。
「大丈夫だよ、私はちゃんとここに居るから。」
明らかに様子のおかしい私を、セーラはそれ以上何も言わずそっと見守ってくれた。そして私の気持ちが落ち着くと、彼女は二段ベッドの下段に私を招き入れてくれた。普段ならドキドキして眠れないとなりそうな展開だったけど、今日の私は何よりも、彼女がそこに居るという事実に安らぎを感じるのであった。そして、多分セーラはそれを察してくれていたんだと思う。だから、今日だけはずっとこうして彼女に甘えてしまうことを許して欲しいと、私はそう思った。




