表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/71

50.風はどうなっているか? ~What is the wind doing?~

時折ごくごくわずかに感じられる揺れさえ除けば、ここが海の上だとは誰も思わないような立派な劇場の中は、家族連れのお客様で満員御礼になっていた。舞台にはメルヘンチックな中世の外国の街を模したようなセットが組み上げられている。もっとも、それは私の主観的な物の見方の中での話であって、ひょっとしたらこちらの世界では現代をイメージしたセットなのかも知れない。なんせこの世界はまだまだ分からないことだらけなのだ。


私が今いる「ポセイドン・シアター」はコーラル号にいくつかある中でも最大の劇場で、なんとこの船の乗客のほとんどを収容できる程度のキャパシティを持っているらしい。だから船が出港した直後のウェルカム・パーティーや、逆に旅の一番最後のフェアウェル・パーティーもこの劇場を使って行われるなど、この船の中でも知らない人は居ない、ある種象徴的な場所になっている。


とは言いつつも、普段は劇場としてミュージカルからコメディまで様々なショーや、話題の映画が上映されていたり、お客様の長い船旅を彩るエンターテインメント施設の中心として活用されている。


そんなところで私たちが何をしているかというと、もちろん演劇の鑑賞ではなく、お仕事である。お客様の持っているチケットを拝見して席に誘導し、開演後は途中で席を立たれる方の案内をしたり、非常時に避難誘導を任されたりと、結構その役割は重大だ。


「客室乗務員はサービスも大切ですが、その本質は船の保安要員なんです。」


マリさんが言っていたことを思い出す。つまり、今コーラル・マーメイド号に何かが発生した場合、この劇場にいる大勢のお客様の命運は私たちの仕事にかかっているというわけだ。そう考えるとやる気がみなぎってくる。


……逆に言えば、劇の途中で席を立つ人も居なければ「何か」も起こらない平和な劇場の見張りは、そうでもしないとついだらけて舞台上の演劇の方に注意が行ってしまう。


舞台の上では金色の髪をしてエプロンドレスを着た少女が、二頭身で歩くウサギを追っかけ回していた。なるほど、メルヘンチックなセットだと思っていたけれど、劇の内容もやっぱりファンタジー系だったのか。道理で家族連れが多いように見えるわけだ。それにしても、この主人公は髪の色といい、小柄な背丈といい、どこかセーラを思い出させるものがある。彼女も私の元いた世界なら絵本の中でしかお目にかかれないような美少女だし、私と違ってこんなファンタジー世界でも十分主人公としてやっていけそうだ。


そんなセーラは私とは客席を挟んだ向かい側の壁付近に配置されているため、残念ながら本人と舞台の主人公とを見比べることは叶わない。でも、主人公に負けず劣らず、いやセーラの方がかわいいことは私の記憶が保証してくれている。


セーラのことを考えながら客席の方を眺めているうちに、場面は切り替わっていた。ウサギを追っかけていた主人公はやがて、自分が今まで居た世界とは異なる不思議な世界に迷い込んでしまったようで、舞台の上の少女が大きな声で泣いていた。なんだか他人事とは思えない展開に、私の視線は思わず釘付けになってしまう。


自分の知らない世界に入り込んじゃったときって、確かに心細くて泣きたくなっちゃうことあるよね。でも、意外と入り込んだ直後は何がなんだかわかんないから、すぐに泣くっていうことは無かったかな。むしろ自分の置かれた状態が徐々に分かってきたときに、じわじわと涙腺が緩んでくるというか……。


そんな「違う世界に迷い込んだときあるある」で同情されても、舞台の上の少女も困ってしまうだろう。だって、この世界でそんな経験を実際にしてしまった人は何人もいないのだから。


それにしても、私からすればこっちの世界だって「今まで居た世界と異なる世界」であることに代わりはなかったりするのだが、彼女はここからさらにどの世界へ行ってしまったのだろう。逆に私の元いた世界かもしれない、じゃあ私も二足歩行のウサギを追っかければ元の世界に戻ってしまうのだろうか。


その後、舞台上の彼女は不思議な世界で不思議な仲間を得て、追っかけていたウサギと再会し、わがままな女王様を説得して彼女の元いた世界へと戻っていった。元の世界に戻ると、今までの大冒険はすべて彼女の見た夢で、ラストシーンは寝ぼけてウサギの話をする少女を見た家族が笑うというものだった。


ファンタジーの中でさえ、違う世界へ移動してしまった人間は居ませんでしたというその結末に、私はがっくりと肩を落とす。いや、普通の人が見たら無事に家に帰れたのだからハッピーエンドに間違いない。けれど、私にはひどく悲しい結末に思えた。それは何も、違う世界へ渡った人間という私の同類なんていなかったという喪失感から来るものでは無い。


彼女が夢から目覚めた瞬間、不思議な世界で得た仲間は、追っかけていたウサギは、わがままな女王様は全部無かったことにされ、彼女の頭の中で風化するのを待つだけの存在に成り果ててしまったのだ。彼女と楽しい冒険を繰り広げていた彼らのことを考えると、私は切ない気持ちで胸がいっぱいになってしまう。


終演後、劇場から次々に吐き出されていくお客様の案内をなんとか終えた私たちは、次の仕事場へと向かうために一緒に通路を並んで歩いた。


「あの劇、面白かったね。子どもの頃にお母さんが聞かせてくれたおとぎ話の内容にそっくりで、なんだか懐かしくなっちゃった。」


「セーラ、特に何も起こらなかったとはいえお仕事なのだから、あまり舞台の方ばかり見てはダメでしょう。」


劇の内容を嬉々として語るセーラをマリさんがたしなめる。私がこのコーラル・マーメイド号に乗ってから幾度となく繰り広げられてきた光景だ。


「ごめんなさい……。でも私、昔からあの女の子みたいに、あんな不思議な世界に行ってみたいなって憧れてたんだ。」


セーラの一言は、何気ないけれど私の感情を突き動かすのに十分な力を持っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ