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46.ソアラ・アサートンの航海日誌 ~各員一層奮励努力せよ~

「すいません、サインください!」


お姉ちゃんの乗っている船の姉妹船、確か名前はクリスタル・マーメイド号と言ったでしょうか。その姉妹船の客室乗務員見習いさんが、突然厚手の色紙とペンを私に向けてそう言いました。私は今まで、海軍に入った以外はごくごく普通の一般人として生きてきたので、誰かにサインをねだられた経験なんてありません。あったとしても、宅配便の配達員さんくらいです。そんな訳で、突然の出来事に私はどう対応して良いのかわからず、ただ困惑してしまいました。スポーツ選手や歌手のようにこなれたサインなんてあるはずもないですし、普通に名前を書くだけでよいのでしょうか、というかそれって悪用されたりしないでしょうか。ひょっとしてマニアに見せかけてこの国の機密を狙うスパイだったりして、いや下っ端の私のサインなんて真似しても何にもならないと思いますよ。


「申し訳ない、こいつがいきなり変なことを言い出して。」


私がすっかりサインを書くことを前提にいろんな妄想を膨らませていたところで、舞さんの相方のくれはさんが私に謝ってきました。どうも突然のことに私がとまどっているように見えたようです。私は確かに戸惑ってはいたものの、それがどんなサインを書こうかという悩みだった自分を顧みて、あまりの自意識過剰ぶりに急に恥ずかしさがこみ上げてきました。


「こほんっ……。いえいえ、ただサインなんて今まで求められたことが無かったものですから。」


「普通そうだと思う。だが、こいつはずっと前から、イルミスに入港して王国海軍の人に出会ったら、絶対にサインをもらうと言って聞かなかったんだ。突然のことで驚かせてしまったと思う、誠に申し訳ない。」


くれはさんは丁寧、というかそれを通り越してむしろ古風な言葉遣いをしています。私の家にあった昔の語学の教科書がそういえばこんな言葉遣いをしていたような気がします。その一方で、サインを止められた舞さんは不満そうにくれはさんの方を見ていました。


「私は全然気にしてませんよ。それより、そちらの舞さんはとても王国海軍にお詳しいんですね。」


「はいっ!小さいときに私の街に王国海軍の駆逐艦が入港したのを見たときから、ずっとファンでした!王国海軍の艦船は強くて先進的で、海賊被害や大きな災害があったらすぐに駆け付けてくれる、私にとってはヒーローみたいな存在なんです。」


舞さんは今まで私が出会った人達のなかでもトップクラスに輝いた目をしてそう語ってくれました。そして言い終えると彼女は小さな声で「王国海軍の人が私の名前を覚えてくれた!」と嬉しそうにつぶやいていました。船に、しかもよその国の軍艦にここまで好意を抱くというのは、私の中にはあまり無い感情でしたが、私は船を見て同じような目の輝かせ方をする人をもう一人だけ知っていました。私のお姉ちゃんです。


お姉ちゃんはイルミス港に毎日のように出入りする軍艦には、家族の乗っているもの以外ほとんどと言っていいほど興味を示しませんでした。その代わりに、今日のように港に大型客船が寄港すると、ただでさえ青く輝いている瞳をより一層輝かせて客船を見学しに家を飛び出しました。私は両親の教育の成果もあり、船については軍艦・民間船問わずそこそこの知識を持っていますが、それでもお姉ちゃんほど興味を持つことはありませんでした。だからこそ、船が好きで、そんな大好きな船を仕事にできているお姉ちゃんのことがとてもうらやましく思います。……これで私と同じ海軍に入ってくれたら最高なのですが。


お姉ちゃんのことを話すとつい長くなってしまいます。ともかく、舞さんの表情はどこか小さい頃のお姉ちゃんに通じるものがあるような気がして、私にはなぜだかこの人のことが他人のように思えなくなってしまいました。すると、「サインを書いてあげたら、この人はどんな反応をするのだろう」ということが気になってきます。


「すみません、その色紙貸していただけますか?」


私は舞さんからペンと色紙を受け取ると、サラサラとペンを滑らせて自分の名前を「それっぽく」書いてみました。色紙を再び舞さんに返すと、それを見た彼女と、なぜかくれはさんまでもがとても驚いた表情をしました。私、そんなにおかしなサインを書いてしまったのでしょうか。


「ソアラ・アサートンさん……ってもしかして、セーラ・アサートンさんの妹さんですか!?」


今度は私が驚く番でした。この二人からお姉ちゃんの名前が出てくるとは思わなかったからです。確かに、よく考えればこの人達とお姉ちゃんは同じ会社の社員です。それにこんなに王国海軍に詳しい舞さんなら、同期にいるアサートン家の名前を見逃さないはずはないでしょう。それでも、偶然出会ったこの二人とお姉ちゃんに面識があるということは単純に驚くべきことです。やっぱり私とお姉ちゃんは運命でつながっているのでしょうか。


「私の姉をご存知なんですか!マーメイド・クルーズ社の船員さんなのでひょっとしたら、とは思っていましたが、まさかこんなところでつながりがあるとは思いませんでした。姉はどうでしょうか、上手くやれてますでしょうか。何か仕事で困ってたりはしませんよね?」


私はつい熱くなって二人からお姉ちゃんのことを聞き出そうとしてしまいました。二人は突然私のテンションが上ったことに若干面食らってしまったのか、気まずそうに顔を見合わせ、それから私にこう言いました。


「確かに、セーラさんと私たちは同じ会社の船員です。でも、顔を見たのは一番最初の研修のときくらいで、後は名前だけしか知らないんです。……そうだ、セーラさんの親友の常神七海さんのことなら結構知ってますけど。」


七海さん、私はその人の名前を聞いて少し胸が痛くなりました。私も彼女のことなら結構知ってます。コーラル・マーメイド号の船員さんの中で、おそらくお姉ちゃんと最も仲の良い人です。お姉ちゃんのくれた手紙の中にも何度も彼女の名前が登場していました。でも、彼女と私は初めて出会った時にほとんどケンカのような形で言い争いをしてしまい、最終的にお姉ちゃんがその場を収めてくれました。あの時七海さんに言ってしまったひどい言葉や、お姉ちゃんがイルミスに戻ってくるつもりはないという固い決意を改めて思い出すと、やはり心にモヤモヤとしたものが残ります。


「まあそうですよね。でも、やっぱり私たちもう他人のようには思えませんね。この後お時間があったら、お茶でも一緒にしませんか?私もそろそろ休憩時間に入る頃なんです。」


お姉ちゃんのことはよく知らなかったとしても、この人達がお姉ちゃんと似たような仕事をしているのは確かです。私はもっとこの人達とお話をして、いろんなことを聞いてみたいと思いました。しかし、返ってきたのは残念な反応でした。


「あー、私たちもそうしたいところなんだが、あいにくもう間もなくで私たちは船に戻らなければならないんだ。せっかくのお誘いを断ってしまうことになってすまない。」


「……そう、ですか。」


「また今度イルミスに来る機会があれば、そのときはぜひ都合をつける。セーラさんの妹とあれば、私たちだけでなく、陽子や佐代にも合わせたいな。」


くれはさんはそう言うと、腕時計をちらりと気にし、「さあ行くぞ」と舞さんを引っ張りました。舞さんはまだ私のことも、この博物館の展示の内容ももっともっと知りたいといった様子でとても名残惜しそうにしていましたが、やがて諦めて足を動かしはじめます。段々遠ざかっていく舞さんを見ていると、突然先程の艦船に目を輝かせる彼女の姿がフラッシュバックしました。


「ちょっと待ってください。せめて、連絡先だけでも教えてもらえませんか!」


私は二人に駆け寄ってそう言いました。客船はある程度のコースが決まっているとはいえ、次にイルミスに寄港するのがいつになるのかははっきりとは決まっていません。それに、客船が入港する日に私がこの街にいない可能性だって十分にありえます。そんなことを考えていると、ここで何もなしにお別れしていまえば、次に会うことは一生無くなってしまうかもしれません。そう考えると急に切ない気持ちになって、私はつい二人を呼び止めてしまいました。


「もちろんです!」


舞さんはそう言って、私にクリスタル・マーメイド号の出入港予定と、彼女の西の国での連絡先をメモに書いて教えてくれました。私も同じように連絡先を交換します。


「これで、また絶対に会えますね!」


舞さんはそう言って観光客の人混みの中に消えていきました。客船や軍艦は特に「どこにいるか」というのがあやふやなことが多く、特にそれが世界スケールともなれば次に会えるのがいつになるのかは分かりません。でも、このメモがあれば、きっと再び舞さんやくれはさん、そして彼女たちが私に会わせたいという陽子さんや佐代さんにも会える日が来ると、私には根拠の無い確信がありました。


その日の夜、私は二通の手紙を書きました。一通は長ーい長ーい長ーい手紙で、宛先はお姉ちゃんの船が次に入港する北の大陸、トワイランド共和国のフォクスロッテ港です。そしてもう一通はル・トゥーガ港に宛てたもの。そこは、舞さん達の乗るクリスタル・マーメイド号が入港する予定の場所でした。

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