4.私は水先人を乗せている ~I have a pilot on board.~
「なんとお詫びをしてよいやら……」
本当は意外と核心を突いていたのかもしれない私の密航疑惑もなんとか誤魔化すことができた。セーラは「武士ならこの場で切腹でも始めるんじゃないだろうか」といった勢いでひたすらに謝り続けている。私はなんとか彼女をなだめ、これからの生活に直結するある話題を切り出した。
「いやーなんというかね、出港の直前までこの船に乗り組むって決まらなかったから、上の人たちもあんまり調整が出来てなかったみたいで、私の自室がどこになるすらも決まってなかったんだ。それで途方にくれて廊下に座り込んでたらいつの間にか眠っちゃってて、そこに偶然あなたが通りかかったってわけ。」
「なるほど、あの時七海さんは意識を失っていたわけではなかったんですね。」
そう言うのと同時にセーラは何かを思い出したようにくちびるを押さえ、顔を赤らめた。その件についてゆっくりお話をして、彼女の慌てる表情を見てみたいという意地悪な気持ちも湧いたが、今はそうしている場合ではない。
「意識を失ってたのは当たらずとも遠からず……。まあ、それはともかく、未だに私の部屋が決まってないんだけれど、どこかいい場所は空いてないかなあ。」
そう、これからの生活に直結する話題とは、放任主義の神様のおかげで未定となっている私の寝床についてである。このタイミングでセーラにお願いするというのは、なんとも人の弱みに付け込んでいるような気がして後ろめたい気持ちも無くはないが、生きるためには仕方無いことだと心を鬼にする。
「部屋も決めずに乗り組ませるなんて、上の人たちのせいで七海さんも苦労しますね。……そうか、だからお部屋の番号を聞いたときも答えられなかったんだ。」
セーラが私の言ったことに対して、勝手に自分の解釈を付け加えていく。いくら上がゴタゴタしていても、部屋さえ用意していないという言い訳は無理があるのではないかとも思ったが、彼女の突っ走りがちな性格は、今度は私にちょうどいい方向に向かってくれているようだ。
「わかりました。七海さんは確か客室乗務員見習いなんですよね、ちょうどコーラル・マーメイド号の客室乗務員見習いが使っている居住部屋のベッドが一つ空いてるんです。そこに居られれば万事解決ではないでしょうか。」
「本当に!?」
「はい、七海さんがそれでよければ、私は大歓迎ですよっ。」
「もちろん大丈夫、行きます行かせてください!」
ほとんど弱みに付け込んだも同然なのにも関わらず、心から私を歓迎してくれている様子のセーラを前に、私はただ「ああ、天使とはこういう存在のこと言うんだ」と考えることしかできなかった。
さて何はともあれ、これで衣食住の住の部分は確保できた。残りの2つもとりあえず研修生ということでなんとか誤魔化していくしかないだろう。
「そうと決まれば、早速私たちのお部屋までご案内しますね。」
セーラは私の手を取ると、さっきまでの切腹を始めそうな様子とは打って変わり、意気揚々と船員の居住区へ進み始めた。
居住区への道順はまるで迷路のようだった。レセプションを出て、クルー専用の通路を右に曲がり、左に曲がったかと思うと急な階段を何度か降り、再び左に曲がって、もう一度左に曲がったところで、私は道順を記憶するのを諦めた。しばらくはセーラの後を追っかけていかなければならないだろう。その後も何回か角を曲がり、階段を降り、通路を進んだ所で、セーラが立ち止まる。
「ようこそ、ここが私たち客室乗務員見習いのお部屋です!」
彼女が金属製の重そうな扉を開けると、そこには2段ベットが2つと、4人分の机や物置が完備された質素な部屋が広がっていた。ベッドの上も机の上も、よく整理されている。
「4人部屋なんですけど、私以外にあと2人しかいないので1人分余ってたんです。七海さんの分のベッドはここ、私の上ですね。机と物置はこっちです。」
そう言いながらセーラはテキパキと物置の中から私の分のリネン類を用意し、ベッドに広げてくれた。私は自分にあてがわれた机に向かい、引き出しの中を調べてみる。文房具一式、この船のデッキプラン、それと手紙が入っていた。しかもさっき部屋に入ったばかりだというのに、宛名は私になっている。
「ええっ、手紙……?」
ベッドの用意をしてくれているセーラに気取られないよう、私は手紙を開いた。
―常神七海様 そちらの世界にはもう慣れましたか、お友達は出来たでしょうか。あなたの望みは過不足無く叶えたつもりですが、名前と豪華客船以外の注文が無かったため、本当にそれだけで暮らしていけるのか心配しておりました。ひとまず、貴女が衣食住は確保できるよう、あなたの『研修生』という嘘を現実のものにしておきましたのでご連絡します。それでも、どうしても困ったことがあれば『海のもしもは118番』この言葉を思い出してください。
追伸:絶対にあってはならないことですが、次に転生することがあれば転生先の注文はもう少し細かくされることをおすすめします。―
こんな芸当が可能なのは一人(この数え方であってるのかな?)しかいないと思っていたが、差出人はやはり海の安全の女神様だった。これを読んで私は、何の設定も身分も与えられず、いきなり客船の中に放り込まれた理由を理解した。大まかに望みを言えば細かい部分はいい感じに調整されるというわけでは無いらしい。どこまでもお役所仕事といった感じだけれど、これも女神様に言わせれば「コーポレートなんちゃら」なんだろう。
しかし、手紙の内容は悪いことばかりではなかった。神様の手助けという圧倒的な力によって、目下の懸念事項だった衣食住の問題、それに私のこの世界における公式な身分も確定したというわけだ。これでしばらくはこの世界で安定した生活を送ることが出来るだろう。
「七海さん、さっきから何を読んでるの?」
セーラが後ろから私の手元を覗こうとしてきた。この子には成り行きで私が異世界から来た話をしてしまったとはいえ、こんな怪しい手紙を目撃されるとせっかく落ち着いたかに見えた問題が余計にややこしくなってしまいそうだ。もっとも、セーラは私の転生の話は全く真に受けていなさそうだったけれど。とりあえず私は慌てて手紙を隠した。
「いや、なんでもないよ。全然なんでも。」
「そうですか……、ならいいんですけど。」
「そんなことより、これからよろしくね、セーラ!」
「はい、こちらこそです。七海さん!」
セーラはそういうと、にっこりと微笑んで握手を求めてきた。ここまで来る短い間に、既にいろいろあったけれど、やっぱりこの子はすごくいい子だ。この子と一緒なら、ただでさえ別の世界の、しかも客船の中という「異世界の異世界」でもなんとかやっていけるかも知れない。私はそんな予感がした。
その直後、室内にけたたましいベルが鳴り響き、船内放送が入った。
「これは訓練です。10F調理室にて火災が発生しました、直ちに客室乗務員の指示に従い、安全な場所に避難してください。これは訓練です。」