39.あなたの遭難信号は了解された ~Your distress signals are understood.~
「セーラ、SOSって何のことだか分かるの!?」
ここまでの状況を軽く整理すると、船が大きく揺れたせいで立て付けの悪くなっていた棚が倒れ、私とセーラは倉庫に閉じ込められてしまっていた。2人で部屋からの脱出策を練るけれども、どれも危険だったり上手く行かなかったりで、私たちは早くも持久戦を強いられつつあった。そんな中、私が何気なく発した「SOS」という言葉を、セーラが特に疑問も持たず使ったことに私はとても驚いていた。なぜなら、「SOS」とは私が元いた世界では助けを求めるときに使う一般的な単語になっているが、元はと言えばモールス信号に由来する船舶関係の用語であり、それがこの世界でもそのままそっくり同じだとは思わなかったからである。
「七海、確かに私は座学があんまり得意じゃないし、無線のこともさっぱりわからないけど、それでも一応船のお仕事をしてるんだし、SOSくらい知ってるよ……。」
セーラがしょぼんと落ち込んだ様子で私に返してくる。確かに元いた世界と同じくらいにSOSがポピュラーな言葉だとしたら、私に目を丸くするほど驚かれるのはさぞかし心外であるに違いない。
「ごめんごめん、まさかこの世界でも……じゃなかったこの船でもSOSが通じるって知らなかったからさ、つい。」
「七海、ひょっとして疲れてるの?遭難信号は全世界共通だよっ!」
セーラの返答は私にバカにされたと感じて怒っているというよりは、船乗りなら常識中の常識であることを知らなかったことに対する驚きの感情が強くこもったものだった。それにしても、全世界共通の「全世界」とは、ひょっとしてこの世界のすべての国という意味では無くて、文字通り「すべての世界」だったりするのではないだろうか、今度海の安全の神様と話す機会があったら聞いてみよう。私の居た世界の私の母国でしか通じない緊急通報用ダイヤルでさえ知っていたあの人(?)のことだから、きっと嬉々として話してくれるに違いない。
「まあ、セーラがSOSの意味を知ってたとしても、結局それを発信できないことに代わりは無いわけで……」
「七海、悲しくなるからそれ以上言わないでっ!」
セーラの怒った顔が見たくてちょっと彼女に意地悪を言ってしまったが、彼女は意地悪をされると怒るよりもむしろ悲しくなるタイプのようで、再びしょぼんとしてしまった。これでは、この世界で衣食住を提供してくれ、暴漢から守ってくれ、崩れてきた棚から身を挺して私をかばってくれた命の恩人に申し訳が立たない。私はセーラに謝ると、相変わらず夕陽が眩しい窓の外を眺めた。船体から張り出しているブリッジは本当にすぐそこだ。あそこには多くの航海部門の乗組員が常駐しており、周りの海域に異変が無いか常に見張りを行っているはずで、その見張りにSOSを届けられれば助けが来るに違いない。しかし、懐中電灯でただ照らすだけでは他の光と混ざって気づかれないし、そもそもそれが異常事態の知らせだということも伝わらない。
「どうしたら気づいてもらえるのかな……」
私は何か良いものが入ってないかとスカートのポケットの中をごそごそとまさぐった。残念ながら中には身だしなみ用の手鏡くらいしか入っていない。何かの役に立つともあまり思えなかったが、とりあえず手鏡を出して蓋を開け、窓の外に向かってかざしてみる。すると鏡が眩しい夕陽を反射し、強い光が部屋の中に差し込んできた。
「そうだっ!」
私とセーラは顔を見合わせ、声を合わせて同時に言った。この手鏡を使えば、ブリッジに居る見張りの船員さんに強い光を届けられる。でも、それだけではいたずらか、海面が光を反射しただけだと捉えられてスルーされてしまうだろう、だからこそ。
「発光信号だねっ!」
私がひらめいたのと同じタイミングでセーラが声を上げる。そう、この手鏡を使い、太陽の強い光を明滅させれば、見張りの人にSOSが届けられると私たちは考えたのである。これなら光の強さの問題も解決できるし、私たちが危機に陥っていることも向こうに伝わるだろう。
「セーラ、ちなみにこの世界でもSOSはトントントン、ツーツーツー、トントントンでいいんだよね?」
SOSが通じても「トン」と「ツー」はさすがに伝わらない気がしたので、私は手鏡の蓋を開け閉めしてセーラに信号の確認をした。セーラは「この世界」という単語に一瞬不思議そうな表情をしたが、太陽が水平線に沈みかけ、タイムリミットが近づいているということもあり、それ以上は特に何も追求せずうなずいた。やはりこちらの世界でもこれでSOSを示すらしい。私はさっそくブリッジに向けて太陽の光を明滅させた。
「・・・ ーーー ・・・」
一度や二度繰り返しただけでは向こうに通じない。私は何度も手鏡の蓋を開け閉めする。沈みかけた太陽が水平線に隠れてしまえば、もはやこの方法で助けを求めることは不可能だ。私とセーラは祈るような気持ちでSOSを送り続けた。
すると、突然、ブリッジの方から太陽の光ではない、強力なサーチライトの光が部屋の中を照らした。その光は規則的に3回明滅すると、1分間の休んで再び部屋を照らす。この規則的な光の明滅は間違いなく、ブリッジが私たちの異変に気づいたことの現れだった。そして、この信号の意味を私は知っている。1分間に20秒の信号を3回、1分間休止して、もう一度20秒の信号を3回送出するこの信号は、私の元いた世界では遭難信号に対する「了解」という意味を表すものだった。
「やったよセーラ!これで向こうに私たちのことが伝わった!」
サーチライトで照らされた室内で私とセーラは喜びを分かち合う。 私が急いで倉庫の部屋番号を光の反射で伝えると、サーチライトの光は止み、それとほぼ同時に太陽の姿が西の水平線へと消えていった。もう少し手鏡に気付くのが遅れれば、ブリッジに届くのが遅れれば、私たちは少なくともマリさんとポーラが仕事から戻る明日の朝まではここで持久戦を強いられることになっていただろう。
「だれか居るのか!」
やがてドアを力強く叩く音が聞こえ、外から聞き覚えのある声が聞こえた。密航者騒動のときや、不審者騒動のときにお世話になった警備担当者のジュリさんの声だった。ジュリさん達は内開きのドアが開かないと見ると一旦工具を取りに戻り、その後ドアの向こうからドリルで金具を外すけたたましい音が聞こえた。そしてドアが完全に撤去され、私たちは半日ぶりに倉庫の外の空気にふれることができた。
「おい、大丈夫か!ってセーラと七海じゃないか。なるほど、この棚が崩れてきて外に出られなくなったってわけだな。待ってろ、すぐにどけてやるからな。」
ジュリさんと数人の警備担当者が棚を押し戻し、出入り口への通路が確保され、私たちは無事に救助された。
「立て付けが悪くて振動で倒れてきたってわけか、まったく急ごしらえで倉庫なんか作るからこうなるんだ。防災用の倉庫で遭難なんて悪いジョークにもならないよな」
ジュリさんが私たちに同情し、憤る。非常食で空腹と喉の渇きをしのげたとは言え、確かに平常時の揺れでこんな風になってしまう倉庫なら、非常時にどうなってしまうのかはとても心配だ。
「まあ、見たところ二人共怪我はなさそうだし、それだけは良かったよ」
そのとおりだと思う。念の為、私とセーラはお互いに怪我のないことを確認し、ほっと胸をなでおろした。私はともかくとして、セーラに怪我をさせるのだけは絶対に嫌だったからだ。
「よかった、私は大丈夫なんだけど、七海が怪我なんてしてたら私どうしようかと思ったよ」
セーラと私の考えていることが全く同じで、私はちょっとおかしくなってしまう。そしてクスッと笑うそんな私の姿を、セーラはまたまたよく分からないといった感じで見つめていた。




